慶長10年12月平塚
東海道平塚宿のとば口に、
「腕に自慢の武芸者は果し合うべし」
の高札が掲げてあった。
右端に波多野某と墨書され、左端の余白に果たし合った二名の名が自書されていた。名前の上から縦一文字の筆で消されているのを見ると、ふたりの挑戦者はあえなく敗れ去った、ということか。
無三四は、三番目に名を記そうとしたが、余白がない。
「申し込みかね?」
背後から声をかける者があった。
振り向くと、うらなり瓢箪のような細い顔の町人風情が、値踏みするような目をこちらに向けていた。
「お前か、相手をするのは」
「・・・め、滅相もございません」
うらなり男は、半間も飛びすさった。
「ひとも行き交う東海道も平塚宿に顔出しもなりませんので、この権蔵が、その代人といいますか、なんといいますか。へへへ」
と口だけは達者だ。
「ならば、波多野とかいう者のところへ案内してもらおうか」
と無三四。
「ようございますとも。ですが、まずは先立つものを」
「なに、金を取るのか」
「へい、万が一敗れたときの回向料としまして・・・。打ち捨てておくとお役人がうるさいので、しかるべき寺の墓地に葬ります。波多野さまも同じ額をお出しになります」
「勝った者が総取り、つまりは賭け試合か。・・・拙者、金はない」
「それは困ります」
「拙者は、果し合いで負けたことはない。賭け金はいるまい」
蓬髪を背で束ね、垢とほこりにまみれた武者修行姿ながら、三白眼の目だけをぎらつかせた無三四に恐れをなしたのか、
「ちょいと聞いてまいります」
とひょうたん男は走り去ったが、すぐに戻ってきて、
「負けたら野晒しにするが、それでよいかとおっしゃっております」
と、ニヤリと笑った。
枯れすすきの野原を横切り海岸沿いにしばらく歩くと、海に注ぐ幅一間ほどの川に一筋の水しか流れていない冬枯れの河原に、ひとり海を背にした中年の牢人が飄然と立っていた。
「お主か、ほら吹きの文無しの乞食侍は。・・・真剣か木刀か」
「そちらが命を落とすことになるので、どちらでも同じこと」
「何をほざく!」
無三四は、足元の長さ三尺ほどの枯木を拾い、両手をだらりと下げた。
「枯れ木とは、・・・ふざけた若造だ」
波多野某が抜刀した真剣を正眼に構えるや、無三四は無造作に走り寄り、頭上高く舞い上がり、枯木を振り下ろした。
あまりにも動きが速かったので、波多野某に構えた真剣を持ち上げて防御する暇も与えなかった。
ボゴッとスイカを割るような嫌な音がして、中年の牢人者は砂地に前のめりに倒れた。
・・・日が傾きだした東海道を品川へ急ぐ無三四は、
『俺は強い。天下無双の剣の使い手だ』
と誇る気持ちより、手加減を知らず、獣のように敵を嬲り殺すおのれの性を呪った。
『十七で戦った関ヶ原から負け知らずの武者修行の十年の間、俺は剣で何を学んだのだろう』
背筋をうすら寒い思いが這い上ってきて、無三四は思わず首をすくめた。
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