慶長11年2月江戸(その12)
札ノ辻を左に折れてすぐの高輪の細川家の中屋敷は真新しく、まだ木の香りが玄関といわず案内された客間といわず辺りに満ちていた。
招いておいて、細川家家老の松井康之は登城中とかで、ずいぶんと待たされた。
半刻は待ったろうか、小姓を従えた松井康之が奥の襖から現れた。
平伏する無三四が許されて顔をあげると、武骨な戦国武将の顔でありながら、そこはかとない気品に満ちた大名が無三四を見ていた。
「秀忠さまの剣術指南の御子神典膳こと一刀流免許皆伝・小野次郎右衛門忠明との果し合いに勝ったのはそのほうか」
家老は厳しく問い糾すようにいった。
「私的な戦いでしたので、お奉行は口外ならぬとの仰せです」
無三四がそう答えると、家老は豪快に笑った。
私的戦いといっておきながら、甚右衛門が裏で画策して、奉行所の与力が密かに立ち会っていた。
尾鰭がついて幕府の上層部も知るところとなった。
「もはや江戸中の噂となっておるは。知らぬは秀忠どのだけじゃ・・・あの獣のような一刀流の達人に、よくぞ勝ったものよ。なんぞ奇策でもあったか」
「若いが故に勝ったと思っております。小野さまは不惑を越え、拙者は本年二十七です」
「ほほう、若いが故にとは面白いことを申す」
「もうひとつございます」
「申してみよ」
「体格です。小野さまは、筋骨隆々ながら、おそらく五尺そこそこ。拙者は六尺を越えます・・・」
中年の武将はよほど武術に興味があるのか、膝を乗り出した。
無三四がさらに語ろうとすると、家老はとどめて、
「このような興味しんしんの武術の話、儂ひとりで聞いてよいものか」
と、小姓に何事か命じた。
やがて奥の襖が開き、眉目秀麗な若武者が、「お呼びで」と顔を見せた。
「ここへご足労いただいたは、作州牢人・宮本無三四と申す廻国武者修行の者。いまだ剣術の試合で負けを知らず、つい最近も、かの秀忠どのの覚えめでたい小野次郎右衛門忠明と果たし合って、木剣で脳天を打ち砕いたとか聞く。いや、いや、打ち砕く寸前に、寸止めしたそうだ。今からそのときの話を語ってくれるというので、ぜひともお前にも聞かせたいと思ってな」
長い前置きで、家老は松井家世子の若い興長に武蔵を引き合わせた。
「ご家老は小野どのにどのようにして勝ったか、とお尋ねですが、まず、ひとつは、わたくしが小野さまより若かったということ。ただ若いだけでなく、背もはるかに高く、しかも鍛錬した膂力をもっているということです」
「ほほう、若くて、背が高く、鍛えた贅力があるほうが有利ということか」
「御意。長い刀での突きが、小野一刀流の攻めの定法であることは世間に知れています。逆に小野どのは無名の牢人者である拙者の剣法をまるで知りません」
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