慶長11年2月江戸(その11)

力業で上から押し込む無三四だが、不惑の忠明も負けてはいなかった。

・・・下から背伸びするようにして押し返してきた。

無三四は上から、忠明は下から、ふたりは顔を寄せて木刀越しに睨みあった。

・・・力くらべの押し合いが小半時も続いた。

互いに、ここで先にからだを離したほうが、その瞬間に打たれると知っていたからだ。

息が荒くなった忠明は、木剣を支える手を外すと同時に飛び退り、脇差を抜刀し、

「きえッ」

とひと声鳴いて、武蔵の脇腹を突いた。

のけ反って脇差をすかした無三四が短槍で忠明の肩を打ったので、忠明はたまらず脇差を取り落とし、片膝を突いた。

仁王立ちした無三四が短槍を突きつけると忠明は片手を上げた。

「参った」

と口に出しては言わなかったが、負けを認めたということだろう。

・・・そのとき、癇癪玉が破裂するような乾いた音がした。

小藪に隠れていた門弟たちがばらばらと駆けつけようとしたところへ、甚右衛門が鉄砲を撃ったのだ。

棍棒を握った吉田屋の若い衆が立ちはだかった。

「奉行所である。そこまでじゃ!」

深編笠の侍が草地に飛び出して十手を大きく振ったので、小野道場の弟子たちはその場を動けなくなった。

従者に支えられて、肩を押さえて立ち上がった忠明は、

「みんな止めい!」

と声を絞り出すように言うと、弟子たちは馬糞の川流れのようにだらだらと引き上げて行った。

・・・それを確かめた無三四は、忠明に頭を下げて、練兵場を後にした。

「木剣でと決めたのに、真剣を使うとはな」

甚右衛門は忠明をなじった。

無三四が、痛む脇腹を押さえた手を見ると、赤い血がべっとりとついていた。

「引き分けだったのかの」

そうつぶやくと、

「なんの。たしかに相打ちではあったが、宮本さまも真剣だったら、忠明は袈裟に斬られてふたつに泣き別れじゃ」

甚右衛門は勝ち誇ったように言った。


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