慶長11年2月江戸(その10)

獰猛な野犬のような忠明は、鋭い目で無三四を睨みつけ、長い木剣を正眼に構えたまま三間の間をじりじりと詰めた。

一刀流では正眼の構えからの必殺の一撃の突きに利があると伊藤一刀斎の教えにある。

一騎打ちでの必勝法は、刀を振るよりもまず喉を突くのが常道なのだ。

無三四は一刀流の達人が使う三尺を超える長刀よりもさらに長い槍で対抗することを思いついた。

ごくふつうの長槍では長さは一間半ほどある。

もっとも戦場では、長槍は突くのでも振り回すのでもなく、叩くのだ。

無三四は宿の近くの刀剣屋に頼んで、長さ五尺、太さ一寸の樫の木の重い短槍を作らせた。

・・・その短槍を、ぴたりと構えた無三四。

以外な武器と思ったのか、間合い一間で足をとどめた忠明は、出方をさぐるようにして動かない。

無三四は槍を上段に構え、わざと胸を空けてスキを見せ、・・・誘った。

果せるかな、忠明は長刀を捧げるように保持し、凄まじい勢いで突いてきた。

『二つ目の突きは、ない!』

武蔵は天高く舞い上がった。

忠明の長刀の切っ先が武蔵の草鞋の底をかすめたそのとき、無三四は勝利を確信した。

空中で反転した武蔵が振り下ろした槍先が、背を向けた忠明の脳天を裂き、脳漿が八方に飛び散るのを見下ろしながら着地する、・・・はずだった。

・・・が、そうはならなかった。

そこで踏みとどまった忠明は、武蔵の喉を虚しく突いた長刀を引き戻し、半間も退いた。

・・・それも瞬時に。

突き損じたときに、後戻りして次に備える技が、伊藤一刀流にあったのだ。

逆に武蔵は忠明に背を見せることになった。

「危ない!」

甚右衛門が叫ぶ間もなく、

「おりゃっ」

と叫んだ忠明は無三四に襲いかかった。

あわてて向き直って構えた無三四の短槍は、忠明の長刀によって横に払われ、穂先が草地を打った。

右下段に構えた忠明は、すかさず長刀で無三四の足から逆袈裟に斬り上げた。

再び跳躍してこの逆袈裟をかわした無三四は、空中で忠明の脳天を打ったが、忠明は腰を落とし、頭上で長刀を横に渡してこれを受けた。

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