慶長11年2月江戸(その9)

未明。

短い樫の木の槍を肩にした武蔵は、駿河台の丘の雑木林のいちばん太い杉の木に登り、雑木林を切り開いただけの二町四方の練兵場の草地の先を見ていた。

春の日がのぼり、やがて小野一門の弟子たちが三々五々やってきて、練兵場の横手の藪の中に姿を消した。

その数、およそ十名。

弟子たちが槍や鉄砲を持っていないのに安堵した武蔵は、懐から握り飯を取り出してゆっくりと食べた。

やがて、ふたり連れの深編笠の侍が現れ小藪の中に隠れた。

姿格好からして、これは奉行所の者にちがいない。

次に、肩に鉄砲を担いだ甚右衛門が、尻を端折り太い棍棒を握った屈強な三人の若い衆を従えてやってきて、小野の弟子たちが隠れた小藪の前に陣取った。

最後に、長い木剣を捧げ持つ従者を従えた陣羽織姿に白鉢巻き姿の小野忠明が悠然と現れた。

今日の立会いは木剣と決めてあった。

従者が草地に置いた床几に腰を下ろした忠明は膝の上に拳を置き目を閉じて何事か唱えていた。

朝日が昇って来た。

木立の奥を流れる小川の清冽な水で口をそそいだ無三四は、渋茶の手拭いで鉢巻きを締め、黒革の紐で襷がけをして、ゆっくりと丘を下った。

忠明の三間先に立ち、

「作州牢人宮本無三四。大先生に一手ご指南などいただきたくまかりこしました」

と陽光を背にして口上をのべた。

「小野次郎左衛門忠明である」

忠明は床几を蹴って立ち上がると、従者の差し出す長い木剣を受け取り、ぴたりと正眼に構えた。

背はさほど高くない渋面の中年の男だが、胸板は厚く腕も太かった。

一刀流では長い刀を使うと聞いていたが、忠明が手にした木剣は標準的な剣の長さの三尺を超える長大なものだった。

それを想定していた無三四は、五尺の短槍を持ち込んでよかったと思った。

これなら槍として突くことも刀のように振り回すこともできた。

子供だった弁之助時代に、父無二斎に当理流の十手槍を刀のように扱う技術を徹底して仕込まれた。

それで、十三歳でのはじめての果し合いで、廻国修行者の有馬喜兵衛に勝つことができたのだ。

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