慶長11年1月江戸(その8)

「果し合いで宮本さまに頭蓋を打たれた忠明の甥の有田某は、即死したようです。その他の門弟たちの多くは重傷でおそらく再起不能でしょうな」

西田屋の奥座敷で、太夫がたてた抹茶を飲みながら甚右衛門は言った。

みぞれ混じりの風が吹き荒れた果し合いの日とは一転し、おだやかな日の光が坪庭に差していた。

「しかし、小野忠明ほど評判の悪い男はいませんな。徳川の旗本が秀忠公付きの兵法指南役になったところまではよかったが、秀忠軍が関ケ原合戦に遅参した原因となった上田城攻めで軍令違反に問われて上野国吾妻に蟄居を命じられた」

いつまでも茶の湯の作法をおぼえられない無三四は、戸惑いながら茶碗を口に運んだ。

「ところが、忠明はここでうまく立ち回り、蟄居を解かれて下総国の本領を安堵されただけでなく加増までされた。その上、秀忠公に一刀流の秘伝を伝授したとして、名前も一字頂戴して忠明とし、過分な褒美まで手にしている」

甚右衛門は、小野忠明こそ唾棄すべき侍として悪口を並べ立てたが、無三四は黙って聞いていた。

「じつは、あの日奉行所の役人が果し合いの一部始終を見ておりまして、ご奉行に報告が上がっております。あとは、ご奉行がこれを幕府の目付に言うかどうか。傲慢でひとをひととも思わず、何かと秀忠公のご威光を笠に着る、まさに天下の嫌われ者の忠明の失脚を望む者は幕内に大勢います」

甚右衛門は舌なめずりするように言って、抹茶の茶碗を口に運んだ。

「たしかに、一介の武者修行者でしかない宮本さまが、徳川二代将軍の秀忠公の兵法指南役と立ち会うのはむずかしいというか、ありえないでしょうな。・・・万が一にも敗れれば、幕府の権威に傷がつき、忠明は失脚する」

と淡々と無三四との立ち合いの困難さを語った甚右衛門だが、

「しかし、それは公的な話で、私的には少しちがう」

と言ってニヤリと笑った。

無三四は何も言わずに甚右衛門に語るにまかせた。

「早くに正妻を亡くした不惑の忠明は無類の女好きで、死んだ甥の有田某と同じように、あちこちの遊郭に登楼して遊んでおります。しかも、一切払っていない。そのつけ書きを集めました」

傍らの手文庫から書付の束を取り出した甚右衛門は、

「忠明にこれを突きつけます。宮本さまと私的に立ち会えば、これをすべてチャラにすると。さらに、立会いに勝てば褒賞金を上乗せすると申し出ます。甥の有田某を討たれて宮本さま憎しでこり固まっているところへこの話。猫にマタタビとはこのことです」

そういって豪快に笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る