慶長5年2月京(その6)

「こ、こやつ・・・」

突っ立った矢頭は、棒を呑んだようにあとのことばが出てこない。

「吉岡直綱、起きれや!」

無三四は長刀をすらりと抜いて直綱の鼻先に突きつけた。

「遊郭でだんびらを振り回すなんぞ、無粋じゃありませんか」

大げさにのけぞった太夫が、長い袖で無三四の長刀を振り払う構えをした。

「この直綱と立ち会って何とする」

目の前に長刀を突きつけられながら、直綱は少しもあわてない。

「将軍家兵法指南役の吉岡憲法は天下無双じゃ、憲法の二代目を打ち負かして、儂が天下無双を名乗るんじゃ」

「お主は、おめでたい大馬鹿者じゃ」

「何じゃと」

「吉岡憲法が天下無双とうたわれたのは、昔も昔、足利将軍家が栄えた大昔のこと。国と国が争うこの戦国の世に、剣術など糞の役にも立たん」

直綱は苦く笑い、みずからを嘲った。

「若輩者と侮りおって!」

「怒ったか?」

大馬鹿者と罵られただけでなく、命をかけで取り組む剣術を役立たずと否定された無三四は、たしかに怒り狂った。

目を吊り上げて、さらに迫る無三四に、

「是非もない。先に下で待て」

膳に盃を伏せた直綱は、そう言うと、

「お千代、しごきを貸せ」

と太夫に手を伸ばした。

萬里小路の柳並木の下でしばらく待つと、襷掛けに腿どりを高く取り、藍染めの手拭いで鉢巻きをした直綱が降りて来た。

どこで聞きつけたのか、小路の両側の遊郭が、二階の縁側に、まばゆく光る雪洞やら張り出し提灯などを並べはじめた。

折から、東山から登る満月が、果し合いの場をさらに華やかなものにした。

そのとき、無三四に向かって駆け寄る若い女がいた。

「無三四さん、これを」

と言って赤いしごきの帯と白い手拭いを、緋色の派手な着物の女が差し出した。

顔にはまだ少女の可憐さこそ残していたが、襟首の白粉が熟した女の色気を醸し出していた。

・・・これは、一年ほど前に捨丸とともに因幡の遊郭から救い出した静可という少女ではないか。

『静可がどうしてここに?』

せんさくする間もなく、

「真剣でよいかな?」

直綱が三間先からたずねたのに、

「かまわんぎゃあ」

赤いしごきを襷に掛けながら答えた無三四は、静可に礼を言うのを忘れた。

・・・無三四はこれを生涯恥じることになった。

「蒼次郎、立会人になれ」

直綱にうながされた矢頭は両者の間に立った。

遊郭の二階の縁側に鈴なりになった女郎たちが、欄干から身を乗り出し、果し合いがはじまるのを、今や遅しと待っていた。


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