慶長5年9月美作(その2)

行燈に火がともされた奥座敷に通され、しばらくすると、奥方が現れた。

「まあ、まあ、捨丸どの、ご無事で何よりじゃ」

捨丸を見るなり、奥方はわが事のように喜んだ。

「捨丸どのがいちばんお会いしたいお方が、おられますよ」

奥方が手を叩くと、襖が開き、百合姫が静かに座敷に入って来た。

「捨丸どの、無事のご帰還祝着至極に存じます」

三つ指を突き、型通りの挨拶をした百合姫だが、こらえきれない喜びが、強張った表情の下にあふれていた。

「宇喜多軍の半数が討ち死にし、あとは落武者となったと聞きます。大殿と長春どのの消息は未だ知れません」

備前保木城に人質として送り込まれた奥方と百合姫は、関ケ原での宇喜多軍敗北の報を聞きつけ、竹山城下の井口長兵衛の屋敷にもどったばかりだった。

捨丸が、先に落ちた明石掃部守と伊吹山で遭遇し、京大坂を抜け、海路で姫路までともに来ることができた、と言うと、

「おお、叔父上はご無事だったか」

百合姫の顔は、ぱっとほころんだ。

「捨丸どの、関ケ原のことなど教えてくだされ」

と奥方がせがんだので、捨丸は福島軍と霧の中で遭遇したことから戦端が開き、背を見せた敵を深追いしすぎたのを明石掃部守に叱責された話をすると、奥方も由利姫も膝を乗り出して聞き入った。

「掃部守さまご家来の河内さまに続き、徳川陣に突き進んだところ、味方の砲弾で吹き飛ばされて気を失い、ひとり取り残されました。雷雨に打たれて目覚めた後、東軍で戦う兄の無三四に助けられました」

「おお、その雷はゼウス神の怒りにちがいない。神はそなたを蘇らせ、兄と引き合わせたのじゃ」

奥方は胸の前で十字を切った。

「よかったのう。捨丸はやはり神に選ばれた子じゃ」

百合姫は、喜びの涙にむせんだ。

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