慶長5年10月美作(その3)

ある日、小房山の峠に張り付かせていた物見があわててもどり、

「岡山の軍が来よった」

と、荒い息をつきながら報告した。

「いよいよ、か」

捨丸は、城兵たちに持ち場につくように命じてから、天守閣に登った。

奥方と百合姫は、白袴に赤い甲冑の女武者のいでたちで、捨丸に従った。

「捨丸どの、いよいよか」

奥方は、落ち着き払っていた。

たしかに、小房山の尾根に浮多左京亮の旗印が押し立てられていた。

その数ざっと千。

しかし、千の兵が、いっぺんに押し寄せた訳ではない。

先兵の二百ほどが、吉の川を渡河し、城門に殺到してきただけだ。

大手門に兵を引きつけてから、上から弓と銃で攻め立てた。

攻め手は、いったん引いたが、次は別の一隊が蟻のようにぞろぞろと西面の石垣を登って来た。

こちらは、石の礫を投げつけ、釜でわかした熱湯を浴びせ、撃退した。

浮田勢は、それ以上は無理に攻めては来なかった。

竹山城のような小さな山城など、歯牙にもかけぬということか。

しかし、浮田軍は、いつまでも小房山に居座って動こうとはしない。

ある日、城の後方の虎口で城内の様子をさぐる武士の一隊を見つけた。

浮田勢ではない。

引き返す一隊のあとをつけさせると、姫路城に入った池田輝政の物見と分かった。

さらに、播州との国境の日名倉山の尾根に、二千ほどの池田軍が蝟集している、との知らせも入った。

関ヶ原で東軍が勝ったことにより、西の備前岡山城には小早川秀秋、東の播磨姫路城には池田輝政が移封され、作州はちょうど大大名の間に挟まれるかたちになった。

数日して、単騎で駆けて来る大柄な武士がいた。

「ご開門。新免捨丸と和睦に来た」

と、大手門で叫ぶ髭面に見覚えがあった。

それは、憎んでも憎み切れぬ仇の石垣玄蕃だった。

今では、左京亮の侍大将だ。

捨丸は、城門内の見張り小屋で玄蕃と会った。

「新免伊賀守宗貫どのと、ご嫡男の長春どのは、九州中津の黒田如水どのを頼って落ちた。これは、城主が城を放棄したということ。よって、この城は切り取り勝手じゃ。捨丸ごとき若造が、この城に居座るいわれはのうなった」

玄蕃は、肩をそびやかせて居丈高に言った。

「今は、奥方が城主じゃ。夫の城を守ってどこが悪い」

捨丸が言い返すと、それを聞いた玄蕃は、

「伊賀守とご嫡男は、奥方を離縁したと言っておる。これでどうだ」

と嘲った。

「まず離縁状が届いて、確かめてからのことじゃ」

こう言い返すのが、捨丸には精一杯だった。

「そんな悠長なことはしておれん。明日にでも、小房山の本隊が総攻撃して、城内の者を皆殺しにする」

にやりと笑った玄蕃は、捨丸をひと睨みすると、床几を蹴倒して早々に立ち去った。

・・・捨丸は、奥方と百合姫に、玄蕃が話したことをそのまま伝えた。

「城主たる者は、何をおいても城にもどり、家来衆や領民にひと言あってしかるべきところ。何の挨拶も、一本の手紙もなく、敵方の将に仕官するとは情けないかぎりじゃ。まして離縁などひとづてに聞く話ではない」

奥方は、伊賀守に愛想も何も尽き果てたのか、涙も見せなかった。

「捨丸どの。もはやこれまでじゃ。城を明け渡して、われらは退こうぞ」

奥方は、こころを決めたようだ。

「あの玄蕃は、残忍極まりない男です。退去を、すんなり受け入れるとも思えません・・・」

捨丸は、しばらく考えた末に、

「ここは、拙者が腹を切ります。元はと言えば、拙者の小早川秀秋憎しの怨念からの意趣返しからはじまったこと。いわば私怨で、奥方さま、百合姫さまを巻き込んでしまいました。掃部守さまの消息も未だ知れず。西軍の再興など夢のまた夢・・・」

泣きたい気持ちを押さえながら、吐き出すように言った。

「なりませぬ。切腹など、なりませぬ!イエスさまが許しませぬ!」

百合姫が叫ぶように言った。

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