慶長5年10月美作(その4)

「備前岡山城に、金吾中納言が入府するようじゃ」

長兵衛は、近隣に間者を送って噂を掻き集めていた。

「なに、小早川秀秋が!」

捨丸が、気色ばんだ。

備前と備中の国衆を糾合して西軍を立て直し、あくまで徳川家康と戦う、というのが、明石掃部守の考えだった。

それに呼応し、捨丸も竹山城に籠城して東軍と戦うつもりだった。

長兵衛は、この考えに真っ向から反対した。

「捨丸どのは伊賀守さまの血筋ながら、嫡子ではござらん。城主ではないお方に従うわけにはいかんぎゃ」

と言い張ったが、

「大殿も嫡男の長春も行方知れずじゃ。わらわが城主となろう。捨丸を城代とする」

奥方の凛としたもの言いに、長兵衛は折れるしかなかった。

黒い甲冑に身を固めた捨丸は、奥方と百合姫を引き連れて、竹山城に入った。

しかし、城の守備兵は、わずか百名ほどだ。

それもほとんどが百姓上がりの年寄ばかりだった。

直ちに、新免伊賀守の名のもとに、作州の国衆に召集をかけた。

・・・しかし、竹山城に馳せ参じる勇者はなかった。

しばらくすると、家康の命令で、小早川秀秋の入府に先んじて、浮田左京亮、戸川達安、花房職之、花房正成などの武将が、軍を率いて備前に先乗りし、岡山城を無血接収した。

左京亮らは宇喜多秀家の重臣でありながら、裏切って徳川家康の配下となった。

岡山城を接収する役としては、まさにうってつけだ。

特に、左京亮は秀家の従兄弟でありながら、家康に取り入り、関ケ原では東軍の武将として目覚ましい働きをした。

その功名で家康側近の大名に取り立てられた左京亮は、岡山城を接収して小早川秀秋に引き渡した後は、家康に授けられた坂崎出羽守直盛の新しい名で、石見浜田二万石に移封することが決まっていた。

これで、明石掃部守が岡山城に入る目は完全になくなった。

左京亮は、秀家の旧領地である備前と作州の国衆に、『小早川秀秋公入府のときは、臣従の誓いのため参上せよ』と、触れを出した。

だが、捨丸は、この招請状を突っぱねた。

突っぱねただけでなく、『関ケ原での小早川秀秋の所業は、亡き太閤殿下への赦し難い裏切りだ』との詰問状を使者に投げつけた。

城下の郷士に触れを出し、『逆臣小早川秀秋に天誅を下す者』を募ったところ、新たに百人ほどが槍を肩に集まって来た。

守備隊が武器蔵から鉄砲を取り出し、新入りに鉄砲の撃ち方を教え、捨丸が槍と弓の訓練をした。

長兵衛は、百姓たちに命じて、裏山にふんだんにある竹を切り出して束ね、鉄砲玉よけの柵を城壁の上に並べさせた。

城下から大きな石や岩を運び込ませ、城の石垣の上に積み上げ、女房たちには大きな釜を集めさせた。

・・・が、しばらくは、何の動きもなかった。



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