慶長5年9月関ケ原(その2)

相川の手前に陣取る徳川軍の右翼を固める五千余の黒田長政軍の中ほどで、無三四は攻撃命令が下るのを、今や遅しと待っていた。

無三四は、むろん長政子飼いの将兵ではない。

『吉岡憲法に勝った天下無双の剣術使いの宮本無三四に、陣場借りをさせてほしい』との推挙状を、春海坊が、長政あてに書いた。

岐阜城を陥落させたあと、兵を休ませている黒田軍に、比叡山の僧兵から借りた黒武具に身を固め、十字鎌の短槍を抱えた無三四が、長政に目通りを願い出た。

侍大将の母里友信は、推挙状にろくに目も通さずにいきなり腕に自慢の長槍を突き入れた。

すかさず十字槍でその穂先を跳ね上げて、懐に飛び込み、抜いた脇差を喉に当てたので友信は槍を取り落とした。

それで、陣場借りは許されたが、勝手に手柄を立てよとどの武将の指揮下にも入らず、戦場に放り込まれた無三四は、ひとりで戦うしかなかった。

・・・相川の対岸には石田三成軍が布陣していた。

南のほうで法螺貝の鳴る音や銃声が聞こえた。

それに呼応するように、先陣の竹中重門軍が太鼓を叩き、粛々と渡河しはじめた。

それに続いて、黒田長政軍と細川忠興軍が、動き出した。

竹中軍が向こう岸へ上がるのを見計らい、黒田軍がその後を追って川を渡った。

石田軍に向かい、鉄砲隊が連射したあと、弓隊が矢を射た。

次は、槍隊が攻め込み、最後に騎馬隊が総仕上げとばかりに馬を進めた。

迎え打つ石田軍も、同様の戦法で応戦した。

黒田軍の半数にも満たない、先鋒の島左近軍が猛烈な勢いで突っ込んで来た。

無三四は、槍隊の後ろで身構えていたが、攻め込んで来る島軍の兵が一様に蒼ざめた顔に目が吊り上がった恐ろしい形相なのに驚いた。

死を覚悟した鬼神の一団が、一糸乱れず襲いかかって来る。

・・・しかも、恐ろしく強い。

長い朱塗りの天衝きの兜に、黒い鎧姿の島左近は、馬上から槍を繰り出し黒田の将兵を次々と血祭りにあげていった。

気圧されてじりじりと後退していく黒田軍の中ほどにいる無三四も、後退するだけでなす術がなかった。

まさに敗走寸前のとき、左翼に回った鉄砲隊が百挺を超える鉄砲の照準を島左近ひとりに合わせて連射した。

・・・左近はたまらず馬ごと倒れた。

槍を杖にして足を引きずりながら、なおも戦おうとする左近を、柵の向こうの自陣にもどすために石田軍の陣立ては崩れた。

そこへ情け容赦なく、さらに弾丸が打ち込まれた。

それで、島軍全体は、後退せざるを得なかった。

ここぞと殺到する東軍の将兵たち・・・。

形勢はたちまち逆転した。

無三四は十手槍も太刀も振ることはなかった。

というより、前線に出ることさえできなかった。

いったん後陣に下がった無三四は、小高い丘に立ち、色とりどりの旌旗が乱れる戦場を眺めやった。

東軍全軍が遮二無二に戦っているのに、西軍は三分の一も戦っていなかった。

残りの三分の二余は、後背の南宮山と右翼の松尾山で、爪を研ぎながら総攻撃の下知を待っていた。

しかも、本格的な戦闘がはじまってから、まだ半刻しか経っていない。

「ああ、これは東軍の負けじゃ」

無三四は呻いた。

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