慶長3年11月姫路(その2)

「兄者、せっかくこの地で当理流が根付こうというのに、もったいないではないか。これからどねんすりゃあええね」

お城から下がると、捨丸が不満を口にした。

「いや、そうではない。当理流の跡継ぎなどとちんまいことを考えてどうする。われらはもっと上を目指すのじゃ」

野心に燃える無三四の目は、獅子のように炯々と輝いていた。

「すぐさま京に上り、足利将軍家指南役の吉岡憲法と果し合いたいところじゃ。・・・が、今にも京大坂で豊臣恩顧の家臣と徳川の間で戦になるとのもっぱらの噂じゃ」

しばらく考え込んでいた無三四だったが、

「捨丸、まずは敵討ちぞ!」

と雄叫びをあげた。

「あの野武士の頭領の玄蕃とやらが、汝れをさらって奴隷にした挙句に、遊郭に売り飛ばしたのじゃ。伊賀守さまにタレ込んだのも玄蕃にちがいない。災危をもたらす奴ばらを討たねば、これから先われらの運は開けんぞな」

無三四は、拳を突き上げた。

・・・ふたりは、いったん播磨から但馬へ抜け、作州との国境近くへ迂回した。

が、とうに野武士たちは砦を引き払い、荒涼とした屋敷にはだれひとりいなかった。

おだやかな冬の日が射す畑では、元からこの地に住む百姓たちが野良仕事に精を出していた。

百姓たちは、棟梁の玄蕃と手下の野武士たちの逃げた先を知らなかった。

母屋に入ると、囲炉裏端で針仕事をしていた老婆が、醜い刀傷の顔を上げて捨丸を見やった。

「捨丸じゃ」

顔を寄せた捨丸を見た姥は、

「おお」

と驚きの声をあげた。

孕んだ愛妾を持て余した新免伊賀守が、無二斎に命じて斬らせ、姥のじぶんも斬り殺そうとした。

そこを通りすがった玄蕃が救い、この野武士の里へ連れて来た。

それで、細々と命ながらえた・・。

姥は、涙とともに捨丸の母とおのれの悲劇を語った。

「母は、・・・母はどんなおひとじゃった?」

捨丸は、咄嗟に生みの母のことをたずねた。

「それはそれは、美しうございましたな。どこか憂いを帯びた、はかなげなお方での。祇園で遊ばれた伊賀守さまに見初められ、作州へ連れて帰るさまは、錦絵のように美しかった。それこそ九郎判官と静御前の道行きじゃ。・・・それがこのような始末となろうとは。伊賀守さまは言うに及ばず、無二斎も血も涙もない男よのう」

姥は、涙を流して男たちの非道を嘆いたが、やはり玄蕃の落ちた先は知らなかった。

この里で村人の衣服を縫ってかろうじて生きながらえているという姥に、捨丸は綾織りの巾着袋から砂金の粒を取り出して皺だらけの掌に握らせた。

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