慶長3年11月姫路(その1)

八月に太閤秀吉が逝去した。

朝鮮半島に出兵していた大軍は、急遽和睦を結び、十月に帰国した。

が、五大老のひとり徳川家康が天下簒奪の野心を隠さず、それに反発する五奉行のひとりの石田三成との対立が、次第に抜き差しならないものになっていった。

・・・無三四と捨丸は、播州姫路に入った。

京大坂の騒然とした雰囲気が伝播したのか、こころなしか城下は浮足立っていた。

まず手始めに、父無二斎が当理流を伝えた門人が城下に開いた道場をたずねた。

成り行き上、無三四は十七歳ながら師範としてこの道場で指導することになった。

古くからの門人は、これを認めようとはせず、三人ほどが、無三四に試合を挑んだ。

だが、いずれも木剣を交わすこともできず、ただの一撃で打ちのめされた。

しかし、姫路で当理流を広めることなど、無三四は毛ほども考えていなかった。

姫路にしばらくとどまり、これまで正統な剣術を学んで来なかった捨丸に、基本をしっかりたたき込むつもりだった。

早朝のうちに門人たちに稽古をつけると、無三四は捨丸を従えて姫路城裏手の書写山まで駆け登り、圓教寺の境内で木剣の素振りを千回行った後、裏山の滝に打たれた。

常に先手を取り、一撃で敵を倒す無三四の豪快な剣技とちがい、まず敵の攻めを受け流し、それから裏を取る剣技が、捨丸には身についてしまっていた。

あるいは、捨丸の持って生まれた優しさがそうさせるのか?

受けてから裏を取るのは、当理流の剣法ではない。

これでは剣術家として大成しない、と無三四は思った。

・・・いつしか、書写山に天狗がいるとの噂が広まった。

天狗の正体は、城下の当理流道場の無三四と捨丸の兄弟と知って面白がっているうちはよかったが、ついに姫路城の目付の知るところとなった。

「天狗の正体は、その方たちか?」

目付の山城弾正守は、大手門横の番所に兄弟を呼び出した。

「まんざら、その方たちの父親の無二斎を知らんでもない。・・・しかし、作州竹山城主・新免伊賀守から回状が来ておるので、これは致し方ない」

無三四と捨て丸は、顔を見合わせた。

「無二斎及びその倅たちが姫路に立ち寄ることがあったなら、有無を言わさず捕らえて引き渡せ、とある」

「して、いかがなさいますか?」

昂然と見返す無三四に、

「城下の当理流の道場では、当家の子弟も多く学んでおる。はて、どうしたものか?」

弾正守は、考え込んでしまった。

『じぶんたちを捕らえて伊賀守に引き渡そうとまでは、考えてはない』

弾正守のこころの迷いを見抜いた無三四だが、

「ご当家にはご迷惑をおかけして、大変申し訳ございません。即刻、播州を引き払います故、どうかご容赦下さりませ」

と低頭し、口上を述べた。

それで無罪放免となった。



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