慶長5年10月岡山(その11)
向かったのは岡山城だった。
天然の掘割として取り込んだ旭川を、夜陰に紛れて泳ぎ渡り、石垣を攀じ登ることなどたやすいことだった。
明日にでも引き払うだけとなった城の警備など、する必要もないのだろう。
城の外にも内にも、見張り番などひとりとしていなかった。
本丸の納戸から、天井裏に這い上がった。
酔いつぶれる者、踊る者、喧嘩をする者・・・どの座敷でも、乱暴狼藉の限りを尽くした酒盛りの真っ最中だった。
主家を裏切って、徳川勢について手にした勝利の美酒に、城中のすべての者が酔い痴れていた。
「・・・お許しを」
奥座敷で、息も絶え絶えの女の声がした。
天井板をわずかにずらして覗くと、半裸の小太りの男が、これも半裸の若い女の首を絞める絵図が、雪洞の明かりに浮かび上がった。
「・・・お助けを」
若い女が、掠れた声で何度も哀願した。
角ばったいかつい顔で小太りの侍は、浮田左京亮か。
ここいらでひと休みとばかりに、左京亮は枕元のお膳の徳利をつかんで酒を呑み干し、手の甲で口元を拭った。
「つらいか・・・ならば死を賜ろう」
背を丸めた左京亮が、枕元の脇差を抜き放ち、若い女の喉元に突き立てようとする。その一瞬、捨丸は飛び降りた。
「ご乱心!」
脇差を奪われてへたり込んだ左京亮は、着物を抱えて逃げ去る女を焦点の定まらない目で見やっていた。
どれだけ酔えば、これほど醜い顔になるのか?
「何者じゃ!」
左京亮は、酒臭い息を捨丸に吐きかけた。
下がって、低頭した捨丸は、
「作州竹山城城主新免伊賀守の庶子、新免捨丸でございます」
と、名乗りを挙げた。
捨丸が胸から取り出した銀のクルスを見た左京亮は、やっと正気にもどったのか、
「儂は何をした?」
と、真顔でたずねた。
「殿は、女子を殺そうとしました」
「儂が?」
「はい」
左京亮は、頭を掻きむしった。
「何用あって参った?」
「保木のキリシタンをお救いいただきたく、お願いに参上致しました。ご家来の高垣玄蕃が、保木城城下の百人を超えるキリシタン教徒を、天神山城で処刑にしようとしています」
「百人ものキリシタンを処刑だと!」
「殿のご命令ではないのですか?」
「・・・・・」
「玄蕃が、勝手になしたことでしょうか?」
左京亮は、しばらく思いを巡らせていたが、首を振り、玄蕃に託した百合姫の嘆願状も受け取っていない、と言った。
これで、すべては玄蕃のひとり舞台、ということが分かった。
明日にでも、保木城のキリシタンを解放するよう命令する、
「明日からは、坂崎出羽守直盛となる。これが浮田左京亮として、デウスの神になす最後の善行じゃ」
と言って、胸の前で十字を切った。
左京亮は、石見国浜田城に赴任した後は名を変え、キリシタンを棄教する覚悟と捨丸には見えた。
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