慶長5年10月岡山(その10) 

保木城の裏山に馬を隠し、日が暮れるのを待って城下に入った。

前に世話になった長兵衛の親戚の隠居老人をたずねた。

老人の家の雨戸を叩いたが、長いこと応えがなかった。

やっと開いたわずかな隙間から、片目だけ覗かせた老人は、

「玄蕃という男は、恐ろしい奴なのでご勘弁を」

と、いっかな扉を開けようとしない。

「百合姫を救いたい。頼む」

捨丸が頭を下げると、ようやく扉が開いた。

大手門に馬で乗りつけ、

『わらわが身代わりになる。捕らえたキリシタンを解放せよ』

と叫んだ百合姫だったが、そのまま城内に引き入れられた。

「気高い行いだが、無駄骨じゃったな・・・」

と老人は嘆いた。

たしかに、百合姫の高邁なこころなど通じる玄蕃ではない。

「棄教すれば赦す。棄教しなければ、男は鼻と両耳を削ぎ落して十字架に架ける、女は奴隷にすると言っておる。恐ろしいことじゃ」

いかにも非道な玄蕃なら、やりかねなかった。

すでに、吉井川上流の天神山城の廃墟に、白木の十字架を運び込んでいるという。

播磨、備前、美作を治めた赤松氏の守護代だった浦上宗景が築いた天神山城は、吉井川にせり出した山城で、周囲を睥睨するように屹立していた。

しかし、天正三年に、宗景を裏切った家来の宇喜多直家によって焼き払われ、今は廃城のはず。

裏切った直家の嫡男が、秀家だった。

皮肉にも、その秀家は、従兄弟の左京亮らに裏切られた。

戦国の世は、まさに下克上だ。

・・・天神山城の城跡に、百基もの十字架を立て、キリシタン信徒を処刑すれば、否が応でも近隣諸国の評判となる。

策士の玄蕃は、その風評が徳川家康の耳にも届くことを考え、これを企んだにちがいない。

岡山城を接収した浮田左京亮が、小早川秀秋に城を引き渡し、石見浜田二万石に入府するのが近い、と老人が言った。

左京亮の侍大将の玄蕃も、当然付き従うことになる。

・・・とすれば、保木のキリシタン処刑の日も旦夕に迫っている。

城の裏山にもどった捨丸は、天守閣を望み見て、百合姫と奥方を思いやった。

城郭を篝火に囲まれた保木城は、まるで燃え盛っているように見えた。

前に登った吉井川に面した東側の城壁も、篝火が赤く照らしていた。

これでは、蟻の這い入るスキもない。

しばらく考え込んでいたが、意を決した捨丸は、馬を駆って裏山を下った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る