慶長5年10月岡山(その9)

高松城を目指して、足守の町はずれの石屋の前を通ると、作業場の奥から呼び止める男がいた。

たしか、この街で最後におとずれた、禅林寺の壇徒だったはず。

「明石掃部守さまの潜伏先を、おたずねでしたね」

にこやかに笑いながら、

「わたくしも、あれから気にかけて、あちこち伝手を頼って調べてみました。なんと明石さまの奥方さまが、倉敷におられることが分かりました。臨月だそうで。お世話している産婆が遠い親戚でして・・・」

男は親切にも、倉敷まで同道してくれるという。

歩きながら、出産間近の妻の側に夫はいるものだ、と男は言った。

まして、明石掃部守は愛妻家で知られている。

倉敷の城下のはずれに、産婆の家があった。

・・・たしかに、掃部守の妻は、裏の離れで産褥の床に横たわっていた。

表通りに出て来た産婆は、

「臨月だが、おそらく難産じゃろ。母か子か、いずれかが危うい」

と険しい顔で言った。

掃部守に会いに保木からやって来た、と通じてもらうと、掃部守の奥方はここで待てと言っているという。

一刻もすると、明石掃部守の巨大な姿が現れた。

お伴もなく、脇差だけの牢人姿だった。

「作州竹山城の新免捨丸、だったな」

掃部守は捨丸を覚えていた。

「はっ。殿が西軍再興の折は、いつでも馳せ参じる覚悟でおります」

低頭した捨丸が、まず覚悟のほどを口にすると、

「おお、天晴れな志、しかと受け止めた」

掃部守は、強く言ったが、

「今は、利は我にあらず。時節を待つしかあるまい・・・」

と言う掃部守の髭面は、苦しみに歪んだ。

西軍は、関ヶ原で壊滅的な敗戦を喫した上、再起するにも、大将の石田三成は京の六条河原で打ち首となり、副将の宇喜多秀家は行方知れずだった。

頼りとする掃部守も、愛妻が生死を分けるような産褥の床に伏していては、立ち上がろうにも立ち上がれるはずはない。

たしかに世の道理はその通りだ、と捨丸は思ったが、頼みとする掃部守の口からそれを聞くのは、辛かった。

捨丸は、重い足を引きずるようにして足守へ帰った。

しかし、禅林寺に百合姫の姿はなかった。

「お主が出かけるとすぐに、馬を借りて出かけた」

「何処へ?」

「・・・・・」

百合姫は、保木城へ向かったのだ!

『ま、まさか殉教?』

稲妻のように閃いた考えが、捨丸を打ちのめした。

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