慶長5年10月岡山(その4)

階段の下で、ふたりの見張り番が倒れているのを見た百合姫はたじろいだ。

だが、すぐに捨丸のあとを追った。

本丸北側の大きな窪地を越えたところが裏門だ。

が、篝火を焚いた寝ずの番がたむろしていて、姫を連れて突破するのは難しかった。

やはり、登って来た吉井川に面した東側の崖を、今度は降りるしかなかった。

・・・城壁に沿って一足分しかない段差を中ほどまで進み、蔦を伝って崖を降りた。

突き出した岩と岩との間の隙間を見つけ、百合姫の手を引いた捨丸は、足場を確かめながらゆっくりと降りた。

吉井川の水辺に降りたが、登ったところより少し上流だったので、水嵩が胸近くまであった。

深みにはまると流されるので、足元の浅瀬の岩を確かめながら、崖の岩を伝ってゆっくりと進んだ。

やがて、川幅が広がるにつれ、水位は腰から膝と次第に浅くなってきた。

城の直下の崖が尽きたところからは、なだらかな丘陵なので、立木を掴み、ふたりは難なく川から這い上がることができた。

南北に長い城郭の南端を回り、さらにその先の山裾まで来ることができた。

が、百合姫の裸足の足は血だらけで、尖った小石がむき出しの山道を、これ以上進むことはできそうにない。

・・・深まる秋の夜寒も募り、濡れたからだが芯まで冷えた。

木立を抜けた先に出ると、火除け地のような広大な砂地が、月明かりに浮かび上がっていた。

正面の崖の半分ほどが削られていて、そこだけが褐色の土壁のように剥き出しになっていた。

その壁の五か所ほどに、ひとの背の高さほどの大きさの洞窟が、咆哮する獅子のように黒い口を開けていた。

これが、明石家の家業でもある銅の採掘現場か。

左奥に、銅を選別する作業場の小屋があった。

中に入ると、奥に数人のひとが住めるようにした板間が設えてあり、囲炉裏が切ってあった。

捨丸は、その囲炉裏で火を焚いた。

薪が燃え上がると、姫は帯を解き、白装束を脱いで白絹の襦袢一枚になり、着物を火にかざした。

思わず背を向けた捨丸に向かって、

「捨丸も、早う脱いで乾かしなされ」

姫があまりに無邪気に言うので、どぎまぎしながら捨丸も後ろを向いたまま、袴と鎖帷子を脱いで下帯ひとつになり、脱いだものを火にかざした。

「この先どこへまいる?」

百合姫は、何やら楽しそうに言った。

捨丸は、姫を救出することしか頭になかったので、この先のことなど何ひとつ考えていなかった。

「掃部守さまが備中の土豪を頼って落ちるようなことをおっしゃっていました。ご家族も備中に逃れたとか。備中へ向かってはいかがでしょうか?」

捨丸が考えを言うと、百合姫はこくりと頷いた。

やがて、百合姫は横になり、乾いた白装束を胸に掛けて横になると、やすらかな寝息を立てた。

捨丸は、火を絶やさぬように囲炉裏に薪を継ぎ足しながら、百合姫の寝顔に見入っていた。

あまりにその赤い唇が愛らしいので、捨丸は膝行して近寄り、思わず唇をそっと押し当てた。

寝入ったはずの百合姫は、うっすらと目を開け、捨丸の唇にみずからの唇を押し当て、両手を背に回して優しく抱いた。

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