慶長5年10月岡山(その5)
朝の光が明るく照らす尾根を越えて、ふたりは備中をめざした。
ひと口に備中といっても、広い。
明石掃部守は、備中のどの辺りに潜入したのか。
ほんとうに備中へ向かったのか、それすら分からない。
玄蕃のことだ、すでに捜索隊を四方に走らせたはずだ。
ともかく、できるだけ遠くへ逃げるしかない。
捨丸が、隠すことなく不安を口にすると、
「野の百合のたとえもあります。今日の命があれば、それでよいではないですか」
百合姫は、歌でも口ずさむように、軽やかな声で言った。
とりあえず、備中の足守を目指すことにした。
足守は、備前の国の力が及ばない備中の要衝の地だ。
行ってみれば、掃部守の消息も分かるだろう。
それでも用心して、備前から遠い高倉山の麓へ迂回し、そこから南下した。
銅鉱山の小屋にあった草鞋を編み直して百合姫に履かせたが、それでも足裏の出血がひどく、長く歩くことはできなかった。
ようやく足守川近くまで来ると、日は傾きだした。
「よい考えが・・・」
百合姫が、禅林寺のことを口にした。
織田信長の天下布武の時代に、キリシタンの教えが京大坂から長崎の間の西国で急速に広まった。
キリシタン大名の国元では、教会やセミナリオが建てられ、多くの外国人宣教師が布教した。
だが、イエズス会による布教でキリシタン信徒が飛躍的に増え、信長の時代の一向宗のように、狂信的な結束力で立ち向かって来ると恐れた太閤秀吉が、天正十五年に伴天連追放令を発布した。
これによって、宣教師は国外に追放され、教会は閉鎖や破却の憂き目にあった。
それでも、外観を仏教の寺院に装い、邦人宣教師が僧衣を着て、キリストの教えを伝える教会があちこちにあった。
いわば隠れキリシタンの教会のひとつが、足守にある禅林寺だと百合姫は思い出したようだ。
たずねながら歩くと、足守川を倉敷方面へ下った川のほとりに、ひっそりと立つ禅林寺が見つかった。
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