慶長5年9月関ケ原(その7)

「ちょうど芋が煮えたようだな。食べたいだけ食べるがよい」

掃部守は、縁の欠けたどんぶりに芋粥をよそい、捨丸に差し出した。

「この戦、やはり西軍の負けでしたか?」

芋粥をすすりながら、捨丸がたずねると、

「東軍と西軍の戦いは、緒戦では互角と見た。しかし、家康本陣の背後の南宮山に陣取った毛利勢が、とうとう最後まで動かなかった。そこへ、右翼の松尾山の小早川勢が、これも度重なる総攻撃の命令を無視した挙句、裏切ってわれらに攻め入った」

偉丈夫の掃部守が、吐き捨てるように言った。

「新免衆はどうなりました?」

「うむ。新免隊は小早川軍と果敢に戦ったが、最後は呑み込まれてしまった」

それを聞いた捨丸は、頭を垂れ、唇を咬んだ。

捨丸は、芋粥をたらふく食べると、従卒たちとともに、土間で丸くなって眠った。

掃部守は、夜明け前に起き、修験者の白装束に着替えはじめた。

同行を許された捨丸は、掃部守主従を追い、足を引きずりながら尾根を登った。

・・・やがて東の空が白んできた。

足早に歩んでいた掃部守の足が、止まった。

騎馬武者を先頭に、槍隊、鉄砲隊を擁した大軍が、琵琶湖畔に向かって延々と行進するのが見えた。

騎馬隊の背ではためく、違い鎌の家紋を染め抜いた旗指物を見た掃部守は、

「ちっ。裏切り者の金吾中納言じゃ。やつが佐和山攻めの先鋒とは。家康の飼い犬め。どこまで性根の腐った奴ばらであろうか」

と髭面を朱に染めた。

「おそらく、三成公は佐和山にもどり、再起を期すお考えだろう」

「石田さまは、すでに佐和山城で籠城されているのでしょうか?」

捨丸がたずねたが、掃部守は答えず、しきりに爪を噛んだ。

「寝返った金吾を、家康はまだ信じてはいない。それで、佐和山を攻めさせて、忠実な犬であるかどうかを、もう一度試そうというのだろう。どこまでも老獪な逆賊ではないか」

掃部守の唸るような低い声には、憎しみがこもっていた。

「お主、金吾が憎いか?」

不意に掃部守が、たずねた。

捨丸がうなずくと、

「ならば、ついて来い」

掃部守は踵を返した。

封鎖されたであろう北国街道を避け、伊吹山を越え、琵琶湖の北辺を迂回して京に入ろうとする掃部守と三人の従卒のあとを、捨丸は追った。

秋が深まりつつある山中をさまよい歩くと、あたりがにわかに暗くなり、煙をあげて白雨が山裾から襲ってきた。

洞で雨を凌いでから、あたりを探索して小さな神社を見つけた。

庫裏の囲炉裏で薪を燃やし、雨に濡れたからだを暖めた。

「剣術は、もはや役に立たないのでしょうか?」

捨丸は、掃部守にたずねた。

「剣術は、武士のたしなみであることに変わりはあるまい。が、長篠で信長公の鉄砲隊が、武田の騎馬軍団を殲滅してから、戦いの戦術が劇的に変わってしまった。治部どのが、この決戦のため用意した大砲の威力を見たか。家康には届かなかったが、大いに肝を冷やしただろうよ。あれで局面は一気に変わったのだ。・・・金吾さえ裏切らなければ」

小早川秀秋への憎しみがさらに募ったのか、掃部守は手に持った柴をへし折った。

「治部どのは、日本軍が朝鮮ノ陣でさんざん明軍の大砲に苦しめられた話を聞き、すぐに領内の鉄砲鍛冶に命じて大砲を作らせたそうだ。これほど威力があるとは思わなんだ」

掃部守は、小早川秀秋の阿呆面を振り払うように、急に話題を変えた。

「捨丸とやら、げに恐ろしきは鉄砲でも大砲でもないぞ」

「・・・・・」

「ひとのこころよ」

掃部守は、思わぬことを口にした。

「治部どのが唱える義の道に、老獪な家康は外交の戦ですでに勝っていた。だから、背後に毛利軍、左翼に小早川軍が控えていても、平然と五町も六町も前進して陣を構えることができたのだ。平場での戦いが五分と五分なら、じぶんが督戦に出向いて将兵の士気が上がり、勝利を手にすると分かっていたのだ」

「・・・・・」

「毛利にも金吾にも、家康の仕掛けた調略の毒がとっくに回っていた。金吾めは、どちらについたら得か、最後まで迷っていた。そこで、家康の振る舞いを見て、われらに攻め入ったのだ」

そこには、若い捨丸には、考えも及ばない、権謀術策が渦巻く、大人の政治の世界があった。

「義はどうなります?」

「残念ながら、戦いに勝った者が正義となる。義を奉じよ、と言うだけの治部どのには、そこに思いが至らなかった」

掃部守は、腕を組み、頭を垂れた。

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