慶長2年2月美作
無二斎は、あわてて城からもどってきた。
すぐに、お吟と弁之助が奥座敷に集められた。
「捨丸を金で買い戻せと言ってきた者がおる」
「生きておったか!」
お吟は安堵したのか、腰が抜けたようにストンと腰を落とした。
「有子山城の小出ではない。但馬との国境に巣食う野武士じゃ」
「野武士か・・・」
弁之助が唸った。
「して、いつ迎えにまいるのじゃ。親爺どの」
喜びに顔を輝かせるお吟が、たずねた。
無二斎は、喉でも詰まったのか、しきりに咽た。
「金は、・・・ない」
「そのような金、大殿から借用すればよい」
「そ、それは、できん」
無二斎は、捨丸が大殿伊賀守と愛妾との間の子などと、ただの一度たりとも口外したことはなかった。
「だいいち、殿は今は朝鮮ぞ」
これは、その場しのぎの言い訳でしかないと無二斎は分かっていた。
『殺せと命じられるままに殺した愛妾が産んだ子を、成り行きで連れ帰ったのが間違いの元だった。守り通してきた秘密が、今になって災危を及ぼすとは・・・』
無二斎の頭の中を、同じ考えがぐるぐると回った。
「では、どうするのじゃ。親爺どの」
お吟に責められても、どうにも無二斎の考えはまとまらない。
そんな無二斎に呆れたのか、やおら立ち上がったお吟は、長押の家伝の十手槍を取り、「あっ」と声を発した無二斎が止める間もなく、天井板を突いた。
大きくずれた天井板に十字槍の鉤を差し込みんで掻くと、綾織りの巾着袋がどすんと床に落ちた。
「親爺どの、これは何じゃ?」
お吟は、巾着袋を無二斎に突きつけた。
「赤子の捨丸を抱いて帰った夜、親爺どのの懐はこの巾着袋で膨らんでおった。中身は砂金じゃろ。ならばこれを身代金に使えばよい」
「捨丸は、・・・儂の子ではない」
「では、誰の子じゃ!」
お吟は、涙さえ浮かべて父親に喰ってかかった。
「じぶんの子ではないからといって、捨丸を見殺しにしてよいのか・・・」
むせび泣くお吟を、無二斎はおろおろと見るしかなかった。
「捨丸を、力ずくで奪い返すのじゃ!」
それまで何も言わずに黙っていた弁之助が、きっぱりと言った。
無二斎は、顔を上げて弁之助を見た。
「親爺どのは、伊賀守さまの朝鮮出兵の間は、動きがとれんじゃろ。ましてこれはこの弁之助が引き起こしたことじゃけ。じぶんが勝手に動けばよい」
弁之助の言いように、無二斎は救われる思いがした。
老いの見えはじめた無二斎は、剣の力量では、すでに父親をはるかに凌駕する十六歳の弁之助を、どこか頼みにしていた。
「それはだめじゃ。相手の正体も分からぬに、弁之助まで巻き込んではならんで」
「お吟姉、儂に秘策がある」
弁之助はお吟をなだめた。
「親爺どのには、まず応諾したと返書を書いてもらおう。立ち会う場所を但馬との国境の茶屋に指定し、親爺どのはこの砂金と捨丸との交換に立ち会う。儂は藪にでも隠れていて、親爺どのが捨丸を手に入れたのを見届けてから、野武士どもを襲って巾着袋を奪い返す。これなら捨丸も砂金も手に入る」
捨丸を見失ってしまった責めを人一倍感じていた弁之助は、有無を言わせなかった。
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