慶長2年2月但馬(その1)
峠の茶屋の床几に座った無二斎が、黒覆面を外して茶をすするのが合図だった。
ひょろりと背の高い牢人者が近寄ってきた。
牢人者は指で但馬方向を指差さすと、やおら街道を走り出した。
無二斎も、あとを追って駆けた。
半町ほど先に、百姓が農具をしまう粗末な納屋が見えた。
牢人者が納屋の裏に姿を消したのと入れ替わりに、短槍を小脇に抱えた髭面の大男が騎馬に跨って現れた。
「無二斎か?」
緋色の派手な陣羽織をまとった髭面の大男が、大きな声でたずねた。
「玄蕃か?」
たずね返した無二斎は、辺りを見た。
玄蕃の背後に、屈強な野武士たちが、納屋の陰からわらわらと駆けつけて来た。
後ろ手に縛られ、裸馬に跨った捨丸の姿が、その後ろに現れた。
「金はどうした!」
玄蕃が怒鳴った。
無二斎は、懐から綾織りの巾着袋を取り出し、中の砂金を玄蕃に示した。
手を伸ばす玄蕃に、
「捨丸が先じゃ!」
叫んだ無二斎が、巾着袋を引っ込めた。
玄蕃が顎をしゃくると、野武士たちが捨丸の乗った馬を引っ張ってきた。
その馬の轡を取ろうとした無二斎目がけて、玄蕃が槍を繰り出した。
かろうじてかわした無二斎の肩を、穂先がわずかに削いだ。
片膝突いた無二斎が、抜刀しざま玄蕃の騎馬の前足を払った。
竿立ちした騎馬から、玄蕃が滑り落ちた。
「すわっ」と駆けつけた野武士たちが、無二斎に襲いかかった。
傷を負った無二斎相手のたやすい仕事と思った野武士たちだが、なぜか次々と打ち倒されていった。
風よりも早く動く弁之助が、無二斎の危機を一瞬にして救った。
倒れた野武士たちの後ろから、のっそりと牢人が姿を現した。
いったん長刀を弁之助に向けてから、ゆっくりと上段に構える牢人に向かって、
「止めろ、東作!」
馬上から、捨丸が叫んだ。
しかし、東作の荒い木彫りのような顔の表情は、まったく変わらない。
否、唇に浮かんだ微笑みが、好敵手に出会えた喜びを表しているようにも見えた。
が、その微笑みは一瞬だけのものと、すぐに東作は知ることとなった。
「きえーっ」
東作は、掛け声もろとも高く跳び、弁之助の頭上に真っ向微塵唐竹割とばかりに、長刀を振り下ろしたが・・・。
どうしたことか、長刀は虚しく地面を叩き、頭が二つに裂けた東作が転がっていた。
高く跳んだ東作の足元に転がって、素早く反転した弁之助が、背後から逆唐竹割に斬り伏せたのだ。
樋爪の音に、無二斎が振り向いた。
捨丸を前に乗せ、裸馬を駆って逃げ去る玄蕃が次第に小さくなるのを、無二斎と弁之助は黙って見送るしかなかった。
傷の浅い野武士のひとりを縛り上げ、本拠の砦へ案内させた。
・・・しかし、砦は蛻の空だった。
「おのれ無二斎!」
大きな百姓家の母屋にひとり残された老婆が、鎌で無二斎に立ち向かった。
たやすく手刀で打ち据えた。
が、その顔を斜めに走る醜い傷跡を見た無二斎は、この老婆が、殺し損ねた伊賀守の愛妾の姥と知った。
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