慶長2年2月因幡(その1)

馬に乗った玄蕃を先頭に、手下が引く裸馬にそれぞれ縛りつけられた捨丸と静可は、夜通し険しい山道を進んだ。

朝になって、青々と広がる田圃の中の、高い黒塀に囲まれた街に着いた。

ここは黒塀の中ですべての用が足せるように人工的に作られた街で、中央に二階屋の大きな遊郭がそびえていた。

着いたその日から、静可は女郎となり、捨丸は初めは掃除、水汲み、風呂焚きなどの力仕事をさせられたが、やがて美少年の稚児として座敷に出るようになった。

客は、中年の男も女もついた。

捨丸はこの花街を抜け出そうと、辺りの様子をうかがったが、背より高い黒塀を乗り越えることはできそうになかった。

黒塀の外周には、幅が一間もある深い掘割がめぐらされているのも分かった。

遊郭の出入り口は表門のみで、夜には格子戸が閉じ、さらに脇差を腰にした若い衆が四六時中見張っていた。

・・・数か月ほど経ったある夜、一階の使用人たちが雑魚寝する部屋に這い入ってきた女がいた。

布団にもぐり込んだ女のなつかしい香りで、すぐに静可と分かった。

「捨丸、逃げよう」

布団を被った静可が、耳もとでささやいた。

売れっ子の女郎となって優雅に暮らしていると思っていたので、静可のことばは意外だった。

ふたりは手を取り合い、台所の勝手口を抜けて月明かりの差す坪庭に出た。

捨丸は、池の向こう側の黒塀に使用人が使う裏木戸があるのを知っていた。

当然、錠は下りている。

何度か体当たりをすると、錠が外れ、木戸が押し開いた。

と同時に、木戸の上に仕掛けた鈴が、音高く鳴った。

足もとには幅一間の掘割が広がっている。

渡した小橋は、外されていた。

母屋から、ばらばらと駆けて来る足音がした。

捨丸は、月影が砕けて流れる掘割に、静可の肩を抱いて飛び込んだ。

流れは結構速く、ふたりをあっという間に一町ほど先の水門まで押し流した。

水門の柵をよじ登った捨丸は、静可を引き上げ、手を引いて土手を走った。

その先には、満月の光が浩々と降り注ぐ水田が広がっていた。

畦道を長いこと辿った先に、傾きかけた藁小屋があった。

小屋の中で着物を脱いで水を絞り、積み上がった藁の中でふたりは裸で抱き合って横になり、そのまま長い眠りに落ちた。

・・・捨丸は、隙間から漏れる淡い朝の光で目が覚めた。

小屋の外を歩き回る足音がした。

生乾きの着物を手早く着て、足元の薪を拾い、板の隙間から外を覗った。

五人ほどの遊郭の若い衆が、小屋を取り囲んでいた。

静可も気配を感じて起き出し、着物を着て身構えた。

「扉を開けたら、すぐ横の畦道へ出て突っ走るけん。あとをついてきんさい」

静可の耳元で囁いた捨丸は、扉を開け、身を屈めて一目散に駆けた。

「あっ、野郎!」

若い衆が、すぐあとを追って来た。

朝靄にかすむ畦道の十字路にかかったところで、小屋の裏手にいたふたりが鉤の手に曲がり、右手から駆けてきた。

「逃げて!」

捨丸に向かって叫んだ静可は、背後から迫る三人に向かって両手を広げた。

それをチラと見た捨丸だが、何も考えずにひたすら走った。

半町ほど走って振り向くと、三人の若い衆が静可を取り押さえ、残ったふたりが抜き身を振りかざしてなおも追いすがってきた。

小高い丘の木立にかかったところで、太い杉の木の後ろにからだを隠し、目の前に迫った若い衆の顔面を薪で打ちすえた。

もうひとりの小岩のように大きな若い衆が、脇差を水車のようにめちゃくちゃに振り回して立ち向かって来た。

動きを見切った捨丸が、ふところに飛び込み、奪った脇差で脳天を峰打ちすると、大男は頭を抱えてうずくまった。

静可を取り押さえていた三人の若い衆のうちのふたりが、やはり脇差を手にして駆けてきた。

捨丸が丘を駆け登ると、男たちはあきらめたのか、追っては来なかった。




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