慶長5年10月岡山(その13) 

天頂に向かって高く掲げられた二基の十字架・・・。

その真横には、肩をそびやかせた玄蕃が、床几にひとり座っていた。

天道が中天にかかってきた。

長かった十字架の影は、次第に短くなった。

捨丸は、目の前に餌をぶら下げられた野犬のように、額から汗を流し、下顎を垂れて荒い息をつき、ただ十字架上の奥方と百合姫を見上げるしかなかった。

あたかも止ったかのような残酷な時間は、ゆっくりと過ぎた。

やがて、短槍を捧げ持った足軽が四人、それぞれの十字架の左右にふたりずつに分かれ、奥方と百合姫の乳の下に槍で狙いをつけた。

その瞬間、捨丸は窪地を飛び出した。

が、何者かが後ろから抱きとめたので、足だけが砂地をもがいた。

「捨丸。罠じゃ。お主をおびき出すための罠じゃ」

耳元で囁く低い声で、それが誰かすぐに分かった。

「兄者とて、邪魔だては許さんぞ!」

その腕をふりほどいた捨丸は、抜きざまに脇差を振った。

飛びのいた無三四を尻目に、捨丸はそのまま窪地を飛び出し、鉄砲玉のように十字架目指して駆け上った。

十字架に駆け寄ろうとする捨丸の行く手を、鎧武者たちが両手を広げて塞いだ。

「やっと現れたか。捨丸!」

床几を蹴倒して立ち上がった玄蕃が、吼えた。

「捨丸。わらわなど構わずに、逃げなされ」

十字架の上から、百合姫が叫んだ。

その声を合図にしたように、捨丸の背後に短槍を構えた足軽の一隊がばらばらと駆けつけ、退路を断った。

目の前の鎧武者が抜刀するなり、捨丸に斬りかかった。

抜いた太刀の鍔で辛うじて受止めたところで、背後から槍が襲った。

捨丸は、鎧武者を力づくで押しのけ、返す刀で背後の槍の穂先を払った。

と、槍を突き入れた足軽が、そのまま前のめりになって倒れた。

その背に矢が突き立っていた。

次の矢が、鎧武者の目に突き刺さった。

振り返ると、窪地の縁に立った長兵衛が弓をつがえて次から次へと矢を放っていた。

長兵衛の正確な矢の連射を援護とし、無三四が長刀を水車のように振り回して足軽隊に押し入ってきた。

「おのれ!」

憤怒で髭面を赤く染めた玄蕃が、手を振って合図をした。

すると、十字架の傍らに控えていた足軽が、いきなり奥方と百合姫の乳の下に槍を突き入れた。

「ああ」

飛鳥のような悲鳴を放った百合姫は、しばらく天を仰いでいた。

が、・・・やがてその首は垂れた。

それを見届けたかのように、高台の下に潜んでいた将兵が蟻のように這い出てて来て、無三四と捨丸と長兵衛の三人を、二重に取り囲んだ。

その時、二頭の騎馬が砂塵を蹴立てて高台を駆け登って来た。

「大殿じゃ」

「ほんに、大殿じゃ」

将兵たちの間を、訝る声がさざ波のように広がった。

膝を屈した将兵たちの間を突き進んで来たのは、短矩で小太りの浮田左京亮だった。

そのあとを付いて来るのは、明石掃部守。

「一足遅かった!」

二基の十字架の前に膝を突いた掃部守は、頭を垂れ、胸の前で十字を切った。

「玄蕃。保木のキリシタン信徒を根絶やしにせよ、などと命令した憶えはない。今この時をもって職を解く。どこへ行くのも勝手にせよ」

左京亮は、凛とした声を張り上げた。

「恐れながら申し上げます」

無三四が膝を進めた。

「何じゃ」

「拙者は、竹山城の家老新免無二斎の倅、無三四と申します。弟は竹山城主新免伊賀守宗貫の庶子捨丸。われわれ兄弟、とりわけ弟にとって、石垣玄蕃は生涯の仇です。この場での敵討ちをお許しいただきたい」

無三四が申し出ると、

「玄蕃は、もはや儂の家来ではない、一介の牢人者ぞ。存分に戦うがよい」

左京亮はそう下知すると、将兵たちに遠巻きに大きな輪を作らせ、じぶんは床几にどっかと腰を下した。


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