慶長5年10月岡山(その2)
その夜、捨丸は再び保木城の裏山に登り、そこから北へ大回りし、吉井川の川べりに降りた。
腰まで水につかりながら、城の東側の切り立った崖に沿って進んだ。
崖は、むき出しの岩だらけだが、半町ほど進んだところで、岩と岩との間の土の部分に生い茂った蔦を見つけた。
浩々と照らす月影を頼りに、蔦を捉えて手繰りし、崖に取りつくことができた。
一歩一歩足場を固めながら登った。
崖を登りきると、そこからは城の壁になった。
崖の上に足一足ほどの段差があった。
両手を広げて横向きになり、壁を抱くようにしてそろりと進んだ。
下を向くと、川面に映った月が小さく砕けて流れているのが足元に見えた。
目のくらむような高さを、よくぞ登ったものだ、とわれながら驚いた。
しかし、驚いてばかりもいられない。
・・・足を滑らせれば、吉井川に真っ逆さまに落ちることになる。
蟹の横ばいで、しばらく進むと、やがて壁は途切れ、そこから植え込みになった。
植え込みの先は坪庭で、庭に張り出した能舞台が見えた。
演者のいない舞台に、霜が降り積もったように月光が白く映えていた。
ここは、城郭の最北の高台にある本丸にちがいない。
能舞台の三方を取り囲むように、廊下が走っている。
ここから侵入する者などいない、と思うのも当然か。
見張り番の姿は、ない。
左手の廊下の奥の階段を登ると、天守閣のはずだ。
が、そこには、寝ずの番の兵士がふたりいた。
幸い、ふたりとも短槍を抱えてうずくまり、舟を漕いでいた。
捨丸は、忍び寄ってひとりの首を絞め、音に気がついて起きたもうひとりに、刀の鞘で当て身を喰わせた。
階段を一気に駆け登った。
十畳ほどの小さな天守閣の窓から、ここへも月光が差し込んでいた。
その月の光を逃れるように、片隅の暗がりに、女人がふたりうずくまっていた。
「捨丸!」
百合姫が、驚きの声をあげた。
その声につられたように、奥方が起き上がり、顔を向けた。
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