慶長5年7月伏見
光を失ってからどれほどの時が経ったのだろう・・・。
無三四は、無宿人たちとともに伏見城の地下牢に幽閉され、昼も夜も分からぬ暗闇の中で長い時を過ごした。
・・・ある日、手燭をかざした牢役人が、地下へ降りて来た。
「作州牢人宮本無三四は、おるか」
と、牢内に向かって声を張り上げた。
格子戸に群がる無宿人をかき分け、無三四が進み出ると、
「この男じゃ」
と、牢役人の背後から声をかけた坊主がいた。
「春海坊!」
・・・地獄で仏に会うとはこのことか。
「無三四、このざまは何じゃ!」
春海は、いきなり無三四を罵倒した。
「物騒騒然たる京で騒ぎを起こしたら、どうなるかも分からんのか。このたわけ者め!」
春海のとりなしによって、首うなだれ足をひきずる無三四は、ようやく光差す大地へ出ることができた。
無三四は、春海のあとを追って、東山連峰の小高い丘に這うようにして登った。
天頂高く輝く天道が、眼下の碁盤の目のような京の市街を、あまねく照らしていた。
「危なかったのう」
春海が杖で差し示す大坂方面から、幟を押し立てた大軍がひたひたと押し寄せて来るのが見えた。
「まずは、西軍の先陣は小早川秀秋と島津義弘か。伏見はいかに堅城とはいえ、鳥居元忠どのの二千の兵ではどうにもならんぞ」
春海は、独り言のように呟いた。
しかし、伏見城は、十日経っても落ちなかった。
宇喜多秀家の大軍の到着を待って総攻撃が開始された。
総大将が秀家で、明石掃部守と長船吉兵衛が先鋒をつとめ、新免隊は掃部守の指揮下についた。
・・・捨丸にとって、これが初陣となった。
激しい攻防だったが、鳥居元忠は自害、二千の守備兵は全滅し、伏見城はようやく落城した。
「毛利秀元と吉川広家は、伏見からそのまま伊勢へ向かった。次は、東軍の安濃津城を落とすつもりじゃろ」
比叡山ふもとの禅寺の僧房で、骨と皮だけになって横たわる無三四に、春海がいろいろと戦況を教えてくれた。
「ところが、両軍とも鈴鹿峠を越えてからは動きがのろい。おそらく、本気で家康どのと戦う気はないはず。それで、秀家は、掃部守を援軍として急派するとか。おそらく、その先の美濃尾張方面へ出張って、家康さまの本隊を待ち伏せる作戦じゃろ」
それを聞いた無三四は溜息をついた。
「お主、まだ剣術家の夢を諦めきれんのか?」
無三四の気持ちなど先刻承知の春海は、大きな声で笑い出した。
「何が可笑しい」
「これが笑わずにおられようか。天下無双の剣術家など、小さい、小さい。おそらくこの東西の戦いでもって戦国の世は終わる。お主のお得意の剣術とやらが生かせる最後の機会ではないか」
「・・・・・」
寝床に起き上がった無三四を春海は睨むように見つめた。
「東西の決戦は必ずある。東軍の先鋒は、おそらく、その肝を喰らうと公言するほどの三成嫌いの、お主の父無二斎が仕える黒田如水の嫡男黒田長政どのじゃろ。ここは、武勇無双の長政どのについて戦うのじゃ」
春海は、理路整然とした論法で、無三四を説き伏せにかかった。
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