慶長5年2月京(その1)
中村家正隊が越前に帰ったあと、そのままひとり京に残った無三四は、すぐさま比叡山のふもとにある春海の禅寺をたずねたが、春海は長い旅に出ているとかで、不在だった。
応対に出た住職は、
「宮本村の弁之助?ああ、春海から聞いておる」
と、春海の居室に案内し、
「春海がもどるまで、そこらで座禅でもしておくがよい」
と、言ったなり、無三四をひとりにしてそそくさと立ち去った。
春海は、十日経っても二十日経っても、もどる気配はなかった。
座禅と言われても、やり方も何も分からない。
日がな一日寝転んで過ごしたが、何もしないのに飽き飽きした無三四は、京へ出て吉岡憲法の道場を覗いてみようと思い立った。
加藤清正や福島正則などの七将に襲われそうになった石田三成は、責任を取らされ、佐和山に蟄居となった。
しかし、やすやすと徳川家康に覇権を渡す気のない三成が、大坂方の大名と呼応して伏見城の家康を襲撃する、という噂でもちきりだった。
京の町は、行き交う人影もまばらだった。
上京の今出川の町中に、いささか古色蒼然とした吉岡道場はあった。
勝手に門を入り、しばらく武者窓から稽古を見ていた無三四だが、吉岡流の流儀というのが呑み込めない。
源義経に剣術を教えた鬼一法眼が、吉岡流、鞍馬流、中条流など京八流の元祖だと、父から聞いていた。
いわば、剣術の源流のひとつが吉岡流だ。
揃いの紺の刺子の道着姿の門弟たちが二組に分かれ、片方が上段、中段、下段、右八双、左八双などの構えからの攻めの型、もう片方がその攻めに対する受けの型で、いわゆる模擬の型試合を延々と演じていた。
どう見ても、優雅な踊りのようにしか見えない。
無三四は、思わず失笑した。
「これっ、先ほどから勝手に覗いている見物人。何を笑っておる!」
見咎めた門弟が、武者窓に向かって怒鳴った。
それを聞いた門弟がふたり、型試合を止めて、表へ飛び出して来た。
「若造、何ゆえ笑った」
喰いつかんばかりにして、怒鳴りたてる。
「あ、いや。お気に障ったなら、お赦しくだされ。他意はござらん」
「『他意はござらん』だとう。気に入らん!」
「中に入れ!」
意図せずに、無三四は吉岡道場に上がることになった。
草鞋を脱いで足を拭い、道場の上がりはなに立った無三四を、門弟たちが取り囲んだ。
「さあ、申してみよ。何ゆえ笑った!」
先ほど無三四を道場に引っ張り込んだふたりが、責め立てる。
「ならば、言おう。侍の刀は、戦いで敵を斬るための道具じゃろ。互いに刀を手にして戦い、敵を殺せば勝ち、負ければ死ぬ。まことに生死を分けるのが、剣術じゃ。笑ってしまったのは、ここでの剣術の稽古が、あまりに生死の戦いから遠く離れすぎて、優雅な踊りのようにしか見えんからじゃ」
正直に、思ったままを言ったつもりだが、かえって怒りの炎に油を注いでしまった。
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