慶長5年1月京(その1)

「左京亮どの、家正でござる。すみやかに武装を解かれよ!」

馬上の家正は、邸内に向かって、大音声で呼びかけた。

しばらくして、ぴたりと閉じた門の向こうから、やはり大きな声で、

「家正。秀家の腰巾着のお主の言うことなぞ聞くまいぞ」

と、すぐさま返答があった。

「ならば、伏見へ同道し、宇喜多家当主の秀家さまに、左京亮どのが直に申し開きをするのが筋でござろう!」

門扉をはさんで、家正と左京亮の押し問答が続いた。

「ならば、われらは問答無用と押し込もうぞ。その首根っこを捕らえて、伏見へ引き立てるまでじゃ」

家正の隊にも、屋敷の中に潜む左京亮の配下の者にも、火花のような緊張が走った。

と、そこへ一頭の騎馬が駆けつけて来た。

「中村家正どの、榊原康政でござる。徳川家康公の名において、ここはひとまず矛を収められよ!」

髭面の武将が、邸内にも聞こえるような大音声で触れた。

家康の名で仲裁に入られては、家正は兵を引くしかなかった。

「・・・ここは、一戦交えたかったのう。残念じゃ」

家正の越前時代からの旗本で、月本新助という小兵が、無三四の肘に触れた。

しかしこの男、ついさっきまで足が震えていたのを、無三四は見逃さなかった。

住吉を過ぎたあたりで、五百を超える康政の兵が、地から湧き出たように突如現れ、家正隊を左右から挟みつけた。

これでは、勝手な動きはできない。

そのまま、大坂から京郊外の太秦の秀家の別荘まで、家正の隊列は、体よく送り届けられる破目になった。

「情けなか・・・」

新助は、太閤秀吉亡き後は、五大老筆頭の徳川家康に押さえつけられ、思うに任せない秀家を、しきりに嘆いた。

身動きがとれないのは、家正も同じだった。

家正隊は、太秦の別荘に押し込められ、備前へ戻るでもなく、伏見の秀家のもとへ行くでもなく、宙ぶらりんでわびしい正月を、極寒の京で過ごすことになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る