慶長3年10月美作(その1)

朝鮮から、城主の新免伊賀守が帰還した。

連日の軍議のため城に詰めていた無二斎が、あわてふためいてもどってきた。

捨丸の顔を見るなり、険しい顔をした。

無二斎は、すぐさまお吟、弁之助、捨丸の三人を奥座敷に集めた。

「伊賀守さまのご命令じゃ。捨丸の首を差し出せと。それが嫌なら、この無二斎が腹を切れと」

驚いた三人は、父のごま塩の口髭を見つめた。

「捨丸は伊賀守さまの子、と訴え出た者がいた」

長いこと瞑目していた無二斎が、苦しい息を吐き出すように言った。

「たしかに、上意により大殿の愛妾の白拍子を斬った。が、孕んでいるとは知らなかった。腹から赤子を取り出して連れ帰ったのが捨丸じゃ。このことは、伊賀守さまには言ってはいなかった」

一同は、長いこと黙り込んだ。

上意とはいえ、無辜の女を斬り捨てる無二斎の冷血ぶりに呆れ果てたのだ。

「お殿さまは、たしかに、白拍子を殺せとは言った。じゃが、腹の赤子も殺せとは言わなんだ。赤子を救い出したのは、親爺どのにしては上出来ではないかの」

お吟が、ぽつりと言った。

『愛妾が孕んだので、大殿は儂に殺させたのだ』

無二斎は、赤子を取り出したときにそう確信した。

・・・が、お吟のひと言に救われる思いがした。

「では、赤子の捨丸を連れ帰った夜に、天井裏に隠した巾着袋は何なん。捨丸の母がもらった手切れ金を奪ったではないかの。のう、親爺どの」

お吟は、今度は手厳しかった。

無二斎は、膝の上で握った拳をぶるぶると震わせた。

『それは、伊賀守がじぶんに与えた、殺しの褒賞だった』

などと、口が裂けても言えない無二斎だった。

実の父が新免伊賀守で、愛妾の白拍子が母、とはじめて知った捨丸は、ただ呆然とするだけだった。

『その母を、無二斎が斬り殺した』

・・・今まで父と思っていた無二斎は、母の仇ではないか!

暗夜に荒れ狂う大海にただひとり放り込まれ、溺れもがき苦しむ思いの捨丸だった。

「して、親爺どのは、腹を切るか?・・・まさか捨丸の首を差し出そうというのではあるまいな」

お吟は、父に迫った。

腕組みしたまま無二斎は、無言で天を仰いだ。

再び、一同は長い沈黙にはまり込んだ。

すると、今まで口を真一文字に閉ざしていた弁之助が、初めて口を開いた。

「捨丸の首か親爺どのの腹か、伊賀守さまはどちらかを取れとおっしゃる。が、どちらでもない道もあるぎゃあ」

「第三の道じゃと?」

この半刻あまりで、十も二十も一気に年老いたような気がする無二斎は、思わず弁之助に聞き返した。

「そうじゃ、親爺どの。首か腹かの二者択一は伊賀守さまの都合だけを言っておる。ここは、われらに都合よく考えてもよいのではないかの」

「われらに都合よく、じゃと?」

「・・・逃げるのじゃ。だれの命も捨てずに一目散に逃げるのじゃ。親爺どのほどの腕と名声があれば、落ち延びた先で剣術指南役など働き口はいくらでもあるぎゃあ。儂と捨丸は、これを機に諸国廻行の旅に出る。兄弟で日ノ本一の剣士になるのじゃ。さすれば、立身出世は思いのまま。大名になって大城のひとつでも手に入れようぞ。そのときは、晴れて親父どのと吟姉を迎え入れるぎゃあ」

弁之助は、豪快に笑った。


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