慶長2年2月但馬(その8)

砦の中でひとりだけ、捨丸がどうにも歯が立たない男がいた。

仲間が東作と呼ぶこの男は、六尺もの長身を利した、上段からの唐竹割りが得意技だった。

上段に構えられただけで、蛇に睨まれた蛙のようにすくんで動けなくなる。

東作は、木の株を鑿で削ったような不細工な顔で、いたって無口な男だ。

何か大望を抱いているのか、現在のおのれの技量に甘んじることなく、懸命に剣技に磨きをかけていた。

いつしか、この東作とふたりで稽古をすることが多くなった。

東作と稽古を重ねるうちに、敵の打ち込みをかわして小手を打つなどという、小手先の技など通用しない、と捨丸は思い知った。

捨丸は上段、正眼、下段、八双・・・どの構えからも、一撃で敵を倒す正統な剣術の技を東作から学ぼうとした。

ある日、ふたりの打ち込み稽古を見ていた玄蕃が長槍を抱えて、いきなり東作目がけて突進した。

東作は、穂先を右左と木剣でかわしながら、ただ後退するだけだった。

しまいには、砦の石垣に背を突き当て、玄蕃が突きつけた穂先を見て降参するしかなかった。

次に、玄蕃の槍の穂先は捨丸に向かってきた。

兄の弁之助が、武者修行者の有馬喜兵衛を作用川の河原で倒したとき、捨丸は十歳だった。

『槍というものは恐ろしい武器だ』と、そのとき知った。

くるりと背を向けた捨丸は、一目散に逃げ出した。

あまりに逃げ足が速いので、玄蕃は腹を抱えて笑った。

「お前たちの剣術は、しょせん女子衆のお遊びじゃ。平時ではそれも通用する。しかし、戦場では全く役に立たんぞ。大軍勢の中で命のやり取りをするのが戦ぞ。剣以外に、騎馬、弓、槍が入り乱れての戦いになる。それに鉄砲もだ。すべての技を身に着けてこそ、高く売れる侍となる」

説教を垂れる玄蕃に、ふたりは黙った。

『高く売れる侍』とは、何だろう?

その夕べ、めずらしく、母屋の囲炉裏端で捨丸と夕餉の席についた玄蕃は、砦から呼び寄せた少女に酌をさせて盃を重ねた。

「東作にはまだ勝てぬか?」

そうたずねる玄蕃は、兵法の話が大の好物のようだ。

「まだです。・・・どうすれば勝てましょう」

玄蕃は、捨丸の問いには答えず、

「東作と弁之助とでは、どちらが強い」

と逆にたずねた。

「比べようがありません」

正直に答えると、棟梁はちょっと驚いた。

「剣術には、武具をつけて槍や弓と、あるいは騎馬と戦う戦場剣法と、武具をつけずに平場で剣対剣を戦う素肌剣法のふたつがある。どちらにしても剣技だけではなく、勝つための戦術までを考えるのが兵法というものだ」

玄蕃は酔った勢いで、捨丸に向かって滔々と剣術の話をした。




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