その4/文禄3年4月美作
無二斎は、新免伊賀守の使者として播州姫路へ旅立った。
この時の姫路城主は、太閤秀吉の正室高台院の実兄の木下家定だった。
この訪問は、家定を通じて秀吉に誼を通じようという伊賀守の考えから出たことだった。
その昔、伊賀守に召し抱えられたばかりの無二斎は、織田信長に所領の安堵を願い出た主の伊賀守の使者として秀吉に拝謁したことがある。
秀吉は、新免衆が織田方に属する見返りとして、美作吉野郡、播磨佐用郡、稲葉八頭郡を伊賀守に安堵するよう信長に進言する、と無二斎に約束した。
伊賀守はたいそう喜び、このとき無二斎に己の新免の姓を与えた。
「おことが、かの吉岡憲法に勝ち、日下無双兵術者の称号を時の将軍足利義昭さまより賜わった無二斎どのか」
家定は無二斎を引見するなり、驚きの声をあげた。
まだ若年の折、武者修行のため諸国を廻行し、京で吉岡憲法と果し合い、おのおのが一本ずつを取り合って引き分けたのは事実だ。
ただ、足利将軍家云々は、たまたま憲法から一本を取った話に尾鰭がついただけのことだ。
それは世間の作り話だ、と否定も肯定することもない。
独り歩きした天下無双の称号は、無二斎の武名を高めこそすれ、貶めることにはならないからだ。
「天正六年といえば、秀吉はまだ信長さまに忠勤を励み、毛利攻めに腐心しておったな・・・」
無二斎が秀吉と面識があると聞くと、家定はここで百年の知己に出会ったように急に打ち解けて語りかけた。
「宇喜多が織田方に味方して情勢は一変したのう。さらにその翌年には、三木城を落とした。それで秀吉めは信長さまの側近第一となったのじゃ」
川がせき止められ人工の湖となった掘割に、三木城から一層の舟がこぎ出した。
鏡のような湖水を満月が煌々と照らす中、別所長治は舟の上でひとさし舞ったあと、腹をかっぱざいて自死した。
夢の中の美しい絵のような情景と残虐な死・・・。
その対比の鮮やかさを、無二斎はついきのうのように覚えていた。
しかし、播磨の人間にとって、秀吉は川を堰き止めて兵糧の配給路を断ち、籠城する三木城を執拗に攻め立てた極悪非道な敵でしかなかった。
俗に「三木の干殺し」と恐れられた秀吉のやり口は、とうてい赦せるものではなかった。
だが、秀吉のやり口をとやかく言うのが、今回の使者としての役回りではない。
「ところで、二度目の朝鮮攻めは、あるものでしょうか?」
太閤秀吉は、明国に攻め上る手先として朝鮮を使おうとした。
しかし、朝鮮が思い通りにならないのに腹を立て、これを攻めた。
この文禄元年の朝鮮攻めに、総大将宇喜多秀家の手勢として加わった伊賀守は散々な目にあった。
慣れない異国での戦いに懲りたので、二度目はないと思いたかった。
太閤秀吉の考えを今から確かめておくのが、伊賀守の狙いだった。
どうしても出征するなら、再び秀家の配下につくか、秀家を出し抜いて徳川家康などの大大名についたほうがよいのか、伊賀守はその先を考えていた。
だが、何のこともない、姻戚というだけで中国勢の抑えとして要衝の姫路城を任されている家定などでは、その辺のことはまるで分からないというのが分かっただけのことだった。
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