その2/天正12年10月美作

宮本の構えに戻った無二斎は、何も言わずに赤ん坊を娘のお吟に放り投げた。

無二斎は、新免の大殿から三百五十石を拝領する際、殿の縁戚の娘の貞子を嫁に下賜された。

寝ても覚めても剣術のことしか考えない無二斎だった。

ひたすら剣術の腕を磨き、立身出世してやろうという野心に燃え、妻や家族への情愛などかけらも無い男だった。

先祖伝来の十手槍をさらに発展させ、みずから創始した当理流を世に伝えようと、長男の太郎次郎がよちよち歩きするようになるとすぐに木刀を与え、立ち向かわせては打ち据えた。

泣こうが喚こうが、容赦はしなかった。

だが、ひ弱なうえ根が弱虫ときているので、木刀を取らず泣きじゃくるばかりの太郎次郎を次第にもてあますようになった。

貞子が病没するとすぐ、十歳の太郎次郎は家を出た。

八歳の長女のお吟に、太郎次郎が家を出たと聞かされても、ぎょろりと目を向け、黙って酒盃を重ねるだけの無二斎は、あとを追おうともしなかった。

その二年後、田原家から後添えとして良子を迎えたが、次男の弁之助を生むとすぐに家を出て平福の実家へもどった。

このときも無二斎は止めなかった。

お吟は、すぐに村を回って山羊の乳をもらい、弁之助をわが子のように育てた。

その弁之助もすでに三歳となっていた。

この夜、お吟は、無二斎から何も聞かずに受け取った赤ん坊に産湯を使い、弁之助のときと同じように村を回って集めた山羊の乳を呑ませた。

赤ん坊が元気に育ちはじめると、お吟は無二斎に、

「名は何?」

とたずねたが、無二斎は答えようがなかった。

無二斎が捨子でも拾って来たのだろうと思ったお吟は、勝手に「捨て」と名づけ、育てた。

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