Recollection 02

 いつしか、彼女と休日を過ごすような仲になった。僕が大学の近くにアパートを借りているのを知っている彼女は、休みの日に突然やってきて、延々と喋り続けていくのだ。

 人間、会話を交わした数だけ親交が深まるとはよく言ったもので、僕たちは急速に、そしてごく自然に仲良くなっていった。

 お互いがお互いにある程度心を許せるようになったある日、彼女がこんな風に言った。

「常になにかを考え続けてないと、自分がいなくなっちゃいそうで怖いんだよね」

 いつもと同じ軽快な早口だけど、その声色は少し重かった。

「同じように、常に何かを喋り続けていないと、私という人格がいつの間にか消えそうで怖い。だから私は常に何かを考えて、吐き出すことを繰り返している。正直言って、自分でもどうにかなりそうなんだよ。よく今まで生きてこれたもんだと我ながら感心する」

 それは大変だったでしょう、的なことを言ったように思う。てっきり彼女の早口は生まれついた天才の代償なのだろうと考えていたけれど、本人にとっては深刻な問題だったのだ。

「深刻も深刻、超深刻さ、周りからは常に白い目で見られるし疎ましがられるし、いじめられるし殴られると痛い、親にも先生にも怒られまくるし散々だ、私は私で常に毎秒・毎瞬・毎刹那が自分との闘いで、不安で不安でしょうがなくて思考も言葉も止まらない。そう、私はね、本当につい最近まで自分がいつ死んでもおかしくないなって思ってたんだ。頭が狂って気が狂って、飛び降り自殺でもしてあっさり死ぬんじゃないかと思ってた。でも」

 そうはならなかった――と、彼女は続ける。

「どんな時でも話を聞いてくれる人がいるっていうのは、いいものだね」

 そして彼女はようやく一息ついて、にこりと頬を引きつらせて笑った。笑い慣れていないから、笑うのがヘタクソだった。

 でも、その笑い方が好きだった。


 彼女と最後に会ったのは、六年前の大晦日だった。彼女はすでに就職先が決まっていて、春からは社会人として働くことになっていた。

「とはいえ配属先は研究室だ。つまり大学でやっていることと何も変わらない」

 と言って彼女は笑った。暗に「心配するな」と言われているのだった。

 確かに初めて会った時と比べて、彼女は大人しくなった。時々暴走することはあるけれど、それにしたって常時、喋りっぱなしということはもう、ほとんど無い。

「君のおかげだな。でも、いつまでも頼りっきりというわけにもいかない」

 僕なら別に――と言おうとして、躊躇ためらった。僕は卒業に向けて色々と忙しくなるし、彼女だって社会人一年目の生活に振り回される日々を送るだろう。いくら気持ちは前向きでも、言葉にするだけでは無責任のように思えた。だから、何も言えなかった。

 ぼんやりとした、ゆっくりとした時間が過ぎていった。落ち着かないけれど、気まずくもない、不思議な時間だった。

 そうして本題の核から離れた話を繋げていると、いつの間にか空が明るくなっていた。いつの間にか年が明けて、夜が明けていた。忘れられないくらい空が綺麗だった。こんな風に、初日の出を誰かと一緒に見るのは初めてだった。

 やがて彼女が、ぽつりと漏らした。

「本当は、そうだな。君にも分かっている通り、今日はお別れを言いに来たんだ」

 いつまでも君に頼ってばかりはいられないから――と彼女は言った。そうして真っすぐに眼を見据えられると、「本当に大丈夫ですか」と振り絞ることしかできなかった。

「大丈夫。……たとえどれだけ離れていても、たとえどれだけ時間が経っても、どうせいつまでも私たちは同じ空の下にいるんだ。空はどこまでも繋がっている」


 だから私はきっと、と。

 先輩は、上手に笑った。


「空を見上げるたびに、君のことを思い出すのだろうな」


 それが僕たちの最後に交わした会話になった。

 今にして思えば彼女は、「またきっといつか会える日が来るんだろうさ」的なことが言いたかったのだと思う。

 彼女が自分の人生を歩んでいくと決めたように、僕も自分の人生を歩んでいかなければいけないのだろうと思った。


 妙に馬の合う人だった。でも、それだけだ。

 やけに居心地のいい人だった。でも、それだけだ。


 特別な関係になれたとは言い難い。

 きっと、十年後にはお互いのことなんて忘れているのだろう。

 きっと、そういうものだ。

 だからなんとなく、彼女とは二度と会うことが無いのだろうと予感していた。


 そう思っていた。

 五年前までは。


 ゴミ捨て場でどうしようもなく終わっている彼女を見つけるまでは。

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