依頼人No.028との記録

「なるほど…世那さん、という方は亡くなった彼にとりつかれているような状況ということですね」


「そう。

あいつが亡くなってしばらくは落ち込んでいたしふさぎ込んでいたんだけど…1,2週間が経ってから、急に元気になったの。

そしてその頃から突然、あいつの…その、彼のことをまるで生きているかのように話し始めて。

『謝ってくれた』とか『指輪をくれたの』だとか…

不気味に思って、待ち合わせがあるって言った日に後をついて行ったら…何もないところに向かって話しかける世那を見たの」


「世那さんの頭がおかしくなってる、とかは思わなかったんですか?」


「もちろん最初はそう思って、あたしなりに治そうと努力した。

でも何回かその待ち合わせ場所に後からついて行ってるうちに、あたしにも…見えるようになったの。

うっすらだけど、あいつの顔が」


「人は見ようとしないだけで、霊の力にたくさん近づいたら見えるようになることがあります。その結果でしょう」


「…あいつ、世那に愛しているだとか好きだとか適当なこと言ってキスしたり抱きしめたりしてたの。

けどその目には真剣さなんて何にも感じられなかった…すぐに分かった。こいつは世那を利用しているって。

いつもは途中で見ていられなくて帰っちゃってたんだけど、その時初めて最後までいたの。

そしたら…ある程度の時間が経ったら世那、急に力が抜けたように倒れたんだ。

そしてそれを見て満足そうにあいつ笑ったんだよ…そしてあいつの姿が濃くなった。そこでさらに確信した。あいつは反省なんてしていない。


昔と同じで、世那を物としてしか見ていない。世那のことを愛してなんていないんだって」


「そこで、僕の所に来たんですね」


「…聞いたことがあった。東校舎の社会科教室。

うちの高校は昔ある事件のせいで幽霊が来やすくて…でも社会科教室にいる幽霊だけは、なぜかそいつらから私達を守ってくれるみたいな、やっすい誰も信じないような都市伝説。

まさか幽霊が真白君とは思わなかったけどね」


「僕は幽霊じゃないですけどね」




真白の言葉に少しだけ笑みを浮かべた後、宮本と名乗ったその女は少しつっている強気そうな大きな目を真っすぐ真白に向けた。


「お願い。世那を助けて。私の大切な…愛している人なの」


真白はうなずいた。そして一つの紙を差し出す。

そこには誓約書と書かれていた。


「そこに書かれている条件を呑むこと。

それを踏まえた上でサインしてくれたら、僕は助けます、と前も言ったとおりです。


今から世那さんはその人に会うのでしょう?

もう何度も逢瀬を重ねているらしいですし…時間の問題なのかもしれませんね」



すでに対価の内容を宮本は知っていた。

やはり戸惑ってしまう。けれど…世那を救えるのなら。

私の大切な、好きな人の命を救う方法がこれしかないのなら…


机の上に置いてあったペンを取り、強く握りしめ名前を書いていく。

速く書かなきゃと思うのに、想像以上にゆっくりとしか書くことができない。

普通に書けたと思っていたのに、その文字が震えてひどく歪んでいたことを、彼女は書き終わってから気づいた。

走ってここに来た時にもかいてなかった汗が体中から出ていた。


「契約成立ですね」


真白は机の上から紙を取ると立ち上がり、にこりと笑った。

その笑顔にはもう、初めてそれに対峙した時に抱いたような感情を持つことはできなかった。




「では、世那さんを救ってあげましょう。

対価は…世那さんの中にあるあなたとの”思い出”です」





真白は紙をちらりと一瞥した。



「美しいですね。愛に溺れるというのは。

思い出を…忘れないことばかりが愛ではないということを知ることができました。ありがとうございます」


じゃあ、行ってきますね。




そう言って真白は宮本の方をもう見向きもせず、社会科教室を出ていった。

実は、宮本が真白の元へと訪れたのは初めてではなかった。

最初に訪れた時に契約書を見せられてから、ずっと迷っていた。でも。


さっき会った時の世那の顔を思い出す。もうその顔色は、メイクでごまかせない程にひどくなっていたのだ。

時間がない。もう、選ばなければいけない。

足は自然と社会科教室の方へと向いていた。

ドアを開いた先では最初に訪れた時と同じように、真白は優雅に本を読んでいた。そして顔を上げて宮本の顔を見た瞬間、それはそれは嬉しそうに笑ったのだ。



「…忘れない、かあ」



声は震え、涙がぼろぼろと溢れていた。

世那は私のことを忘れてしまう。自分のことを認識していない人を愛するということは、なんて愚かなことだろう。

後悔なんてしていない。でも。でも。






「…むずかしいなあ」







彼女のスマホの画面に訪れていた着信の知らせは、誰にも気づかれないままひっそりと消えていった。




















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ある少女の耽溺 七海蓮 @nanoll

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