掘抜

 森がとても静かに感じた。あの悲鳴があまりに激しく脳を苛んだものだから、木の葉の擦れる音が天国みたいに心地よかった。そして、苦痛からの解放が底抜けの恐怖を生みだした。


 まただ、またあのマンドラゴラを抜かなきゃならない。それでその二本目は、一体どれだけ『ノルマ』の足しになる?あの激痛をあと何回耐えなければならない?それに山の神もそんな事を言っていたが、あの悲鳴には明らかに人体を蝕む何かがある。そう考えるとなおさら、無理だ。恐怖で竦んで何もできない。きっと私自身の顔も歪みきっていた事だろう。その証拠に、眼前の山の神は口角を上げて、頬に黒い皺を刻んでいた。アレは間違いなく、私たちが苦しむのを糧に愉しんでいた。


 『儂の日本語が理解できんと申すか?ッカカ!尤も貴様らがマンドラゴラを抜くも、リタイアしここで野垂れ死ぬのも自由だがの」

 「あッ、っごごめんなさい、私達が愚かで、間違っていました……」

 

 私は、この期に及んで土下座で許しを請おうとしていた。本当に謝って、償わなければいけないのは、マチマチとその家族、知人だなんて事は、すっかり忘れて。


 『よいのか娘?やらない地獄よりやる地獄ぞ、より希望ある選択肢を取る事を勧めるぞ~、若く可能性溢れる人間よッ!!』

 「そそそそそうだよ~っ!や、やろうよねえ抜かないとねえ!」


またもミーカが抜こうとしていたので、私はすぐ飛びつき羽交い絞めにして制止した。あの悲鳴を至近距離で聞いたせいか、元から錯乱していた為か、ミーカの状態は私よりずっと深刻だ。さっきので失禁したらしく、アンモニア臭が鼻を突いた。そしてミーカは私の事も上の空みたいに虚ろに笑う。それを見て山の神も益々笑った。


 『然り然り!抜かねば活路は開けん!抜けい!抜けい!抜けい!』

 「はいぃぃ抜きます!抜きます!」

 『抜けい抜けい抜けい抜けい抜けい!!』

 「抜きます抜きます抜きます抜きます抜きます!!!」


 クソが。あの神も、そもそもの元凶であるミーカも。恐怖はだんだん怒りに転じて、体温が上がる感じがした。そうだ考えろ私。確かあの根っこの顔みたいた部分が叫びを発していた。なら抜いた直後に口か、喉にあたる部分を潰せばどうだ?これ以上あんな叫びを聞かずに済むんじゃないか。私は立ち上がり、放ってあったシャベルを手にする。


 「……やるぞ、ミーカ。ただしなるべくゆっくり根を引くんだ。そうしてコイツの顔が半分出てきたら、私がシャベルでズボッてしてやる。分かるよね?」

 「フフフッ、頑張ってズボるね、フフフフ」

 「ゆっくり抜くんだぞ!」


 狙いをミーカが手にしたマンドラゴラの首元に定める。ミーカは指示通り、ゆっくりとマンドラゴラ抜き始めた。手の震えで小刻みに揺れながら、ぶち、ぶち、と音を立て根ががせり上がる。もうすぐだ。さっきの個体と同じなら、そろそろ顔が見えてくる筈。その予想通り、マンドラゴラの不気味に萎びた糸目が出でる。ドクリ、今だ!


「ハアアアアアッ!!」


 突刺!マンドラゴラの顔面がジャリ、と音を立てて裂開した。裂けた口から濃い緑色の液がどろりと垂れる。叫びは、ない。作戦成功だ。私はため息をつく、ミーカも安堵したのか顔が綻ぶ、残りの根を引き抜いて、


「ギェアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 また全ての感覚が白く塗り潰された。


 脳髄を直接締め付けられるような激痛、それが治まると、疑問が浮かんだ。確かに顔を裂いて悲鳴は阻止できた。なのにどうして?その答えは、やがて視界が戻りきってから知ることとなった。白目を剥いで魚みたいにのたうつミーカの側、そこに先程抜けたマンドラゴラの根がある。そいつの裂けた顔の下に細い根が何十にま分かれて伸びている。問題だったのは、その細い根の先にもう一つの顔が繋がれていた事だ。まるで何もなかった場所に無理やり繋ぎ合わせたかのような、叫びを上げた元凶があった。


 『記録は582.2g!残り44.17kg!しかしツイておるな!こうも根の多い個体にはち当たるとは』

 「ま、じかよ。んなのズルだろ」


 いや、むしろ私達のズルを制した形なのかもしれないが。なんにせよ、このままマトモに聞き続けたら持たない、死ぬかもしれない。鈍痛に締め付けられた頭で考え、どうにか策を捻り出す。やるしかない。


 「ハァッ、ハァッ、今度はっ、ミーカもシャベル持ってやるよ」

 「そうだねそうだねしおうだねそうなねそうだねっ!私スコップをやっやっあっばっばっばっばっ」


 作業は私一人で行うことにした。方法は単純、さっきまで散々行っていた事と同じ……足元のマンドラゴラの外周をから内側へ向かい、シャベルで八角形状に掘り下げる。そうして土壌から切り取られた土と根のセットを持ち上げる。要は周囲の土ごと根を引き抜いてやろうとする作戦だ。


 『言うておくが……共に引っ付いてる土は重量に加算されぬぞ』

 「なら、それを承知なら掘ってもいいんだよねっ、オラッ!」


 私は土とマンドラゴラの塊を地上に持ち上げた。成功だ。顔が外部に露出しなければ悲鳴は出ない。出ない筈だった。悪寒がして足元を見る。マンドラゴラの根に張り付く土塊、その表面から、CG合成みたいな不自然さでしわくちゃの顔が浮き出て。


 「ギェアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」


 「ア゛っ、ゔがぁあ」と、信じられないような呻き声が腹から押し出された。本当にのたうつしかないような苦痛の中にあったのに、いま、私自身の出した声がどうにもどうにも面白くて、息ができなくなるほど笑えた。いよいよ精神汚染が回ってきたらしい。そういてひとしきり笑ったのち、泣けてきた。


 もう、おしまいだ。どんな策を練っても何か得体の知れない妨害をされて、結局は悲鳴に直撃する。これ以上何ができる。いや、抵抗する事自体果たして正しいのか?人を殺して山に埋めて、そんな賊に対する当然の報いなのではないか?


 林間学校の話の続きだ。早朝に夜明けを見に行った私達3人は、山を下りたあと結局引率の教師達に酷く叱られたのだった。悪い事をした人には相応の報いが帰ってくる。あの時と何も変わらない。因果応報だ。


 「うっぐ、ひっ、もうズルなんてしません、おとなしく抜き続けますっ」

 「そうよ膿!それが賢明、残すは43.75kg、まずは30kg台を目指すべし!」

 「はい……抜きます、命に代えても」


 「そんなの駄目だよっ!」


 一瞬、誰の声なのか分からなかった。私以外の女の声なんてこの場で1人しかいないのに、それもこんな馴染みのある声だったのに。


 「ルリ!あんなのの言葉に耳をかさないで!」

 「大丈夫!私あんま頭よくないから、よく分からないけど……」

 「こんなヒドい目にあって報われないなんてあり得ないよ思う!」


 今のミーカは、まるで昔のミーカのようだった。マンドラゴラの狂気が一周した結果そうなったのか。いやもしくは、私の幻覚に過ぎなかったのかもしれない、でもそんな事はどうでもよかった。


 「ミーカ、ミーカが戻ってきてくれたの?」

 「? 私は私だけど?」


 戻ってきた、なんて身勝手な言いぐさだった。ミーカは昔も今もミーカでしかないのに、単なる私のエゴだった。それは私にとってのミーカでしかない。私がいつものように気落ちしてると、ふわっとしてて要領を得ない励ましをしてくる。たったそんな事でいつも私は、まんまと励まされていた。結局私も『友達からの何気ない一言』なんてしゃらくさい事に弱かったな。


 「ありがとな、また、元気にして貰った」

 「よかった!」


 今も。



———



 それから私達は悲鳴を避けるべく、様々な作戦を立て実行した。私が次に思い付いたのがロープで抜く作戦だ。長いロープを茎にくくりつけ、声のあまり届かない位置から引けば行けると思ったが。よく考えたらロープなんて持ってきてなかったので失敗に終わった。またしても山の神の卑劣な罠に阻まれる形となった。


 更に私たちは、トルネードを呼び込んで山じゅうのマンドラゴラを一斉に抜く作戦を実行した。今度こそは完璧だと自信があったが、あと一歩の所で山の神の卑劣な罠に妨害された。悔しかったけど、ミーカが励ましてくれて立ち直れた。


 その後も紅茶法、マトリョーシカ投げ、密造酒の輸入、マンドラゴラ農家のお気持ち表明などの作戦を行ったが、どれも山の神の卑劣な罠に阻まれた。そうしている内に私は力尽き、残りはミーカが単独で挑んだ。私に悲鳴がほとんど届かないような遠くで、ミーカはひたすらマンドラゴラを抜き続けた。叫び声を受けても受けても、意に介さず掘り続け、そしてとうとう、マチマチの体重と同じだけの量が抜き取られたのだった。私達の勝利だ。


 『ぬうう……狂気の叫びが逆に正気を呼び起こすとは興味深いが......だが認めよう、ノルマは今果たされたり!気を付けて下山するがよい!』


 意地悪だった山の神も最後ばかりは私達を祝福してくれた。一緒に見学していたマチマチに手を引かれ、ミーカの元へ駆け寄る。ありがとうだとか、良かっただとか、かけたい言葉は色々浮かんだけれども、頭の中がグチャグチャなせいで結局何も言えなくて、ただ抱きしめて泣いていた。いつだって、3人の中でクールぶっている私が一番泣き虫だったな。


 ひとしきり泣いて顔をあげると、横から陽の光が差してまぶしかった。長い夜が明けて東の山の向こうから太陽が昇ったのだ。そうだ、私たちはこれを見るために山に登ったんだった。その日の出は見た事なんてない程に美しくて、なのにどこか懐かしい気がした。……さあ帰ろう。先生にバレないうちにホテルの部屋へ戻らなきゃ。私は山道を降りる。少しして後ろに向き直る、ミーカとマチマチは上で佇んだまま。


 「ごめんね。……なんて言葉じゃ済まないよね。マチマチにも、ミーカにも、こんな事じゃ償えきれないよね」

 「何、言ってるの?というか早く帰らないと!マチマチもさ!」


 マチマチはただ微笑んでいて、何も言わない。ミーカは続ける。


 「なんだろ、私にだけマンドラゴラに対する耐性みたいなのがあるぽくて……でも、体の方には限度があって……みたいな。でもミーカだけは助けられた、それだけは、よかったかな」


 ミーカが何を言っているのか分からない、分からないのに、これからどうなってしまうかは漠然と理解できて、脚がが震えて膝をついた。嫌だ、そんなのは。だんだん思い出してきた。ここしばらくのミーカは様子がおかしくて、それがようやく元通りになった所だったんだ。それなのにそれなのに!大好きなミーカが、戻ってきたのに!


 「駄目だっ駄目だっせっかく良くなったのに!降りてよ2人とも!」


 マチマチは何も言わない、ミーカはその場で体育座りをする。その顔があまりにも眠そうに見えたから。心臓を抜き取られるような思いになって、気が付いたら走り出していた。


 「ちょっちょ気を付けて降りてって……!これ以上怪我しちゃったら」

 「3人!3人で降りよう!いつものミーカに戻れたんだ!戻れたんだから!」


 ミーカとの距離はまるで縮まない。むしろミーカの声は段々と遠ざかっていく気がした、坂道を登っている筈なのに、脚の感触はまるで下っているようだと伝えていた。


 「ううん、今の私は"いつものミーカ"なんかじゃない」

 「そんなことない!」

 「だってマンドラゴラを抜きまくったじゃん、だから今の私が狂っていて、あっちが正気なんだ、そうだよ?」

 「違う、違うからあ……っ!」


 涙が枯れ果ててさえなければ、もう顔中びしょぬれだったと思う。そんな私の熱くなった顔面に冷たい地面が覆いかぶさって、そのまま重力の方向を失った。ああクソ、転げ落ちてる。そしてもうあそこには辿りつけない。そうして落ちながら、最後にアイツの言葉が耳に入る。


 「ルリなら大丈夫だから——」


 それを聞いて、スンと熱が引いた感じがした。さっきまでの悲しみが嘘みたいに腹が立ってきた。坂を転げ落ちて、顔が土の中に埋まった状態で怒るのも、おかしな話だけれども。


 感じ良く別れようとしやがって。大体全部お前が悪いんだ、悪が報いを受けたに過ぎないんだ。だから全然悲しくなんて、なんて。そこで思考が詰まって、何の罵りも浮かばなくなった。もうどうでもよくなった。


 ……あいつは今の私が狂っているのだと言った。当人がそう言うんだから、少なくとも私の思い込みよりは的を射てるんだろう。何もしてあげられなかった私に2人の正常を決め付けて、それに戻そうとする資格はなかった。私達は何もかも遅かった。


 ただ、あいつが、私なら大丈夫だって言ったから、あいつの思いに従ってやろう。そう決めた所で、私の束の間の正気は途切れた。


 


 

 《きょう9月28日昼頃、長野県松本市内の山中で花田美嘉さん(21)が遺体となって発見された。死因は心臓発作。また、現場付近からはシャベル2本の他、大量のマンドレイクと見られる草本植物が地中に廃棄されているのも発見された。

 発見したのは現場付近を通りかかったドライバーで、何もない道中に乗用車が停められているのを訝しみ、付近を調べたところ、花田さんの遺体と女子大生のRさん(仮名)が倒れているのを見たと証言している。女子大生のRさんは病院に搬送後意識を取り戻したが、重度の錯乱状態にあるという。警察はRさんが回復し次第、美嘉さんと大量のマンドレイクについて事情を聴きとるものと見られる。》

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懐かしの花は地に眠る プラナリア @planarius

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