懐かしの花は地に眠る

プラナリア

埋葬

 『人、殺しちゃった』とミーカがLINEで泣きついてきたのが6時間前、その死体をミーカの自宅から私の車に運び込んだのが3時間前、目的地に着くまであと3分。


 助手席に座る彼女と言えば、この世の終わりの光景を見てるみたいに呆然してると思えば、伸びきった赤髪をぐしゃぐしゃ掻いたのち、不気味に笑って「成り行きだったアイツが悪かった悪かったんだ私は悪くない」などとまくし立てるのを繰り返していた。加えて時たま懐からカッターをちらつかせるものだから、運転中だというのに気が気でなかった。今から帰り路を考えて憂鬱な気持ちになる。


 『間もなく 目的地です 運転お疲れ様でした』スマホのナビが案内を終える。目的地と言っても、ここなら地形的に入山しやすくて他人にバレなさそうか、と私が独断で決めたに過ぎない場所だ。死体遺棄のコツだのなんて知らないが、やるだけやるしかない。隣でうずくまっている親友の為に。


 「もう着くよミーカ、準備しといてね、ぐずぐずして捕まっちゃ嫌でしょ」

 「あっあ、うん……」


 ミーカの声は、前に通話した時よりも尚更暗くなっていた。衝動的に殺人を犯して1日と経っていないのだからそりゃ仕様がないのかもしれないが、少なくとも、中学の頃のミーカと比べたら、まったく別人でしかなかった。


 車を脇に止めたのち地面に降り立つ。山道一帯は半月の、怪しい行為などはとても気付かれそうにないが、当然油断はできない。私達はマスクとつば付き帽子で顔を覆い、シャベルと旅行用の大きな肩掛けバッグを荷台から降ろして、2人で抱えた。ミーカはこの中に死体を詰め込んだという。非常に大型のバッグだがそれでもパンパンで、人を詰められるギリギリの容積だったのが伺える。……そのバッグが、中学の林間学校や修学旅行でミーカが持って来たものと同じだったものだから、当時の思い出を否応なしに思い返してしまった。



 当時の私といえば根暗の極みで友達と呼べる人間も居らず、カースト上位みたいなグループから、産まれつき青黒髪なのを「染めてる」だのと執拗になじられ、とにかくまあ暗い日常だった。毎日どんな死に方をしてやろうかと考えて、それを実行できない意気地の無さにますます嫌気が差して病んでの繰り返し、そんな私に親も教師も同級生も手を差し伸べてくれない。でも、そんな中でミーカだけが例外だった。同じクラスになった中2の時から彼女と、彼女が以前から親しかったマチマチと交友をもつようになったのだった。


 「それなんてマンガ?」「どうかしたの?」「次は移動だよ~!」「ねっねっスタバの新作飲みに行かない?」「そんなヤツ気にしない!」「その小説面白かった!!」「次の学級会サボっちゃわない?」「にへへ」「またスタバ?ふんふんさてはハマってるねぇ~?」「めっちゃ点数高いじゃん!」「今度どこいく?」「ねールリー」「ルリ」……自分でもちょっと気持ち悪いと思うけど、ミーカがくれた言葉は今でも鮮明に再生できる。


 ミーカと出会ってからの2年間は、私にとってあまりにも眩かった。その眩さに救われた。私の陰キャな性根を治せたわけではないけれども、あの頃の思い出がどれだけ繋ぎとめてくれた事だろうか。でも悲しい事に、誰もがそんな思い出に救われるとは限らない。


 高校から進路が別になって、私が関西に寄宿して以降、明るくて真っすぐでかわいらしいミーカは、ゆっくりと壊れていった。その原因は両親の離婚とか、部活動での孤立とか、母がおかしな宗教商法にハマったとか、バイト先でのセクハラパワハラだとか色々心当たりはある。それに私には言えないような事もあったのかもしれない。ともかくミーカを取り囲むいろんなクソが、彼女を狂わせた事だけが確かだった。


 私が関西にいたせいで、LINE越しでしか相談に乗れなかったのがまず良くなかった。アイツにしても、私に対して明るく振る舞おうとしたのか、何も解決していないのに『もう元気になったよ!』とか抜かして抱え込むのもまずかった。マチマチにも相談しようとしたけど連絡がつかず、大学進学して関東に戻った頃にはもう、手遅れだったという訳だ。


 そうして病んだミーカは結果、1人の人間を殺した。


 「んじゃあこの辺にするか」

 「うん、うん。ごめんね全部、私のせいでごめんねぇ……」

 「もう泣かんで、私も悪かったから、さ……」


 私達は適当な場所で荷物を降ろした。辺りをスマホのLEDライトで見渡す。腐葉土の上に、何やら紫色の花がいくつか咲いている。それはともかく、傾斜がなく平らなのが良い、ここなら穴を掘りやすそうだ、早速とりかかろう。そんなときだった、バチン!と死体バッグのファスナーが弾け破れたのは。


 なにせ傍からみても明らかにギチギチだったのだ。今まで破裂しなかっただけ幸運だろうな。そう思いつつ、バッグの中から露わになった死体の顔を目にする。


 ミーカは、アイツは、私に死体の姿を一切見せようとしなかった、一体どこのどいつを殺したのかも私に頑なに教えなかった。アイツの顔は青ざめている。それから「バレちゃった」とでも言いたげに攣った笑みを浮かべたのが、私を爆発させた。ミーカに圧し掛かった私はマスクと帽子を引き剥いで、顔面を何度も打ち付けた。痛みに泣くミーカに、ただ一方的に叫んだ。


 「どういうつもりだっ!私に黙って!殺して!マチマチを私に埋めさせようと!!」

 「ごめんなさい、ごめんなさッ!あッ!」

 「ふざけんなふざけんな!このクソがっ!」


 カバンの中の死体はマチマチだと一目で分かった。昔から変わらずツインテールで、顔面に数か所の痣、首に絞殺痕。失禁の為か、むせるようなアンモニア臭が鼻をついた。



———



 埋葬はおおよそ2時間半を要した。重労働は覚悟していたが、それでもなお、穴を掘って埋めるという苦役は想像以上だった。額から噴き出る汗の玉を袖で拭うが、そこも既に汗と土でドロドロなので帰って顔が汚れた。タオルを忘れたのはミスだったな。そして仰向けに倒れるミーカの方を見る。


 事の最中アイツとは一度も声を交わしていない、目が合っても気まずくてお互いすぐそらしてしまった。山の中で全身汗まみれ。なんとなく、林間学校での思い出と重なってしまった。奇しくも場所は今と同じ長野で、山麓のホテルに宿泊し登山やカヌー漕ぎだのを体験させられたものだ。そんな事よりも思い出深いのはやっぱりミーカとマチマチとの事だ。


 3日目早朝のこと、の起床時間の2時間ほど前にミーカに叩き起こされて、私達3人でホテルの裏口からこっそり抜け出し、すぐそばの山道を登らされた。ミーカは学力こそ平均以下だったが、素行や態度は先生お墨付きの優等生だったから、こういう"悪い事"をするのに驚かされた。薄明りの中草ぼうぼうの道を登りに登って、汗と朝露とでびしょびしょになりながら小さな展望スペースに辿り着く。東の山の向こうから太陽が昇るのが見えた。


 「さっ急いで支度しよ、早くしないと……」などと口走っていた時点で、日の出を拝みたいんだろうなとは察してはいたが、実際見ると柄にもなく感動してしまいなんだか悔しかった。友達3人だけの内緒だからかけがえがなかったんだ。


 「ヒ~疲れたっ……どうどう?体動かしたらスッキリしたでしょ?」

 「なっまさか、昨日のオリエンテーリングでやらかして落ち込んてるとでも!いや落ち込んでたが……!」

 「正直でよろしい!これで立ち直れたら良かったな~!」

 「ハァ……ホント驚いたからね、アンタが突然抜け出そうだなんて」

 「いやーこの女は中々ダイタンな事するんだぜ!」


 割って入るマチマチ。マチマチはミーカとは小3以来の付き合いで、彼女から2人の思い出話を時々聞いたものだった。そんな話を聞くたび、正直ずるいなとも思ってしまうけれども。


 「例えば小4のキャンプ会でのアレなんかよ~」

 「ちょっちょそれは待って!恥ずかしいから!」

 「ガハハ!存分に悶えよ!」

 「なんとまあ……」

 「まぁミーカはとにかく他人思いよ、時々ヤバい事もするけど全部友達喜ばせる為ってオチよ。で、その話の続きだが……」



 ……ミーカがマチマチを殺した確かな動機は、彼女が錯乱していた為に聞き取る事はできなかった。ただ、断片的な言葉から伺えたのは、痴情のもつれだったらしいという事。マチマチには付き合いの長い彼がいて、ミーカとも仲が良かったらしい事。それ以上は分からないし分かりたくもない。そして息の整ったミーカがガサリと立ち上がり、私に話かけた。


 「に、へへ、なんだか気分が落ち着いてきた、のかな」

 「……」

 「やっぱり、体動かしたらスッキリするね、ルリ」


 やめて欲しい、今のお前が、思い出の中のミーカの言葉を使うのは、それだけで心底嫌気が差す。早く車に戻ろう。怪しまれない内に車に戻って、ミーカを家に帰す、そしてそれっきりにしよう。ミーカとの関係はこれで終わり。実に最悪な最後の思い出だった。


 でも、本当の最悪だったのはこの後だった。


 歩いても歩いても、まるで車に辿り着く気配がなかった。スマホのナビで設定していた目的地に向かって進んでいたが、まるで地図が水飴のように引き延ばされて目的地が遠ざかっていく。正常に受信できていないのか、それともバグか?そう思った矢先さらなる異変に気が付く。


 「あっあっなんか、綺麗、だね……?」


 ミーカが綺麗と言ったのは足元を指しての事だった。月明かりとはまた違う、どこからともなく湧いた青白い光が辺りの地面を照らしている。花、花、坂の上も下も、見える限りの地面のあまねくが、紫色で控えめな大きさの花々に塗りたぐられていた。手足の先が冬場の水に浸したみたいに冷える。


 断じて汗冷えの為ばかりではない。この、光の届き辛いであろう広葉樹林の下で、無数の得体の知れない草花が、さながらお花畑のように整列して咲いている。こんなあり得ざる光景が、いや、得体の知れない花というのは違うかもしれない、あの葉と花弁の形状、どこかで見聞きした事があったかも。確か、マンドレ……


 『"マンドラゴラ"だ!此処ではそう呼べ!』


 なぜ気づかなかったろうか、私の左、至近距離におぞましいしかめ面が浮かんでいた事に。私は絶叫し逃げた。地表が枯葉ではなくお花畑だったので柔らかい足音がした。だが走り出した私の直線上、その顔の怪物が、電飾のスイッチをONにしたかのようにバッと現れ一層睨みつける。私は腰を抜かす。後ろのミーカもようやく異変に気付いたらしく、慌てた声を出す。


 「なっなっなっ何なの!?こっこれから私達逃げるのに、何で邪魔を!」

 『逃亡は無意味と知れ!ワシは山の神、おまえたちはワシの山に汚らわしいブツを捨てた、その対価を支払わす』

 「対価って……あっ、ヒッ、顔だけしかないっ、ヒィィッ」


 温かい汗が引いて、代わりに冷めた汁がどっと湧くのを感じる、本能がこの状況を忌避していた。ヤバい、いま確実に取り返しのつかない目に合っている。


 『分かるか?"等価交換"だ。おまえたちは此処にブツを埋めた、故にその引き換えとして、此処に根を張りしマンドラゴラを抜かねばならん!分かるな!?』

 「わわわわわ分かりましたぁ!?こ、これ抜けばいいって事ですね!?」

 「ちょっ、待ってミーカ!」


 止めようとした、遅かった。私の後方数mで転げていたミーカは、傍に生えていたマンドラゴラを無造作に引っこ抜いた。そして聞いた。


 「ギェアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 視界が真っ白に転じた。その数秒経ち、私の頭が耐えがたい激痛に苛まれている事をようやく認識する。その時私は絶叫していたのだろうが、ハウリングを何十層にも重ねたような耳鳴りの為に何も聞こえなかった。


 しばらくして頭痛は収まったが、悪酔いしたような感覚がこびり付いていた。ミーカの方へ向き直る。「ウアアア!アアアアア!」と体を仰け反りながら叫ぶのが見えた。アイツの方が症状が酷い。そしてその手元にあるマンドラゴラだ。この地中から引き抜かれた太く大きな根っこ、そこに顔が刻まれていた、あの山の神とま瓜二つの、萎びたおぞましい顔が。


 『どうだ!これぞ真のマンドラゴラ也!市中に出回りし贋物とは別物よ!我らは根に莫大なる妖力を宿し、引き抜かれればたちまち正気蝕む怪音波を放つ!』


 眩暈の中で私は思い至った。どこかで読んだファンタジーものの漫画に登場したマンドラゴラ、引き抜くと叫び、抜いた人間の精神を汚染、場合によっては死に至らしめるという魔性の植物。目の前にあるのはまさにそれだ。


 『無論これで終わりではない!今抜いたマンドラゴラの総重量はッ、グラムに直すと380.2g也!一方貴様等の埋めしブツは45.13kg也!』

 「そ、そんなまさか……」


 私は今まさに苦難を体験した気でいた、だが違った。今のはただ、光明なき絶望の始まりでしかなかったのだ。


 『残りは44.75kg也!さあ掘れい!その量、埋めた重さと同量になるまでな!!』

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