商人と娘
気がつくと、ひどく静かだった。あんなに風の音がしていたのに――いや、あれは従者の声だったか?
サンティは辺りを見回す。後を歩いていたはずの従者たちがいない。
森。白い砂漠。自分ひとりの足跡。彼方の海。海を背にした
そんなはずはない。
暑かったはずなのにひどい寒気を覚えた。こめかみを、背を、大粒の汗が流れていく。
これはもしや、噂通りの、試しの砂漠。魔物に
「あるじさま、」
耳の後ろに生ぬるい息と声が当たって、サンティは飛び上がった。
慌てて振り返り、少し離れたところに立っている人影を見て舌打ちする。
そうだ、従者たちは不出来にも森の中で動けなくなったり逃げたりしてもういない。背負わせてきた財宝は森に隠した。
一人で砂漠を渡ろうと踏み出した時、このナイラが現れたのだ。
「あるじさま、どうなさいました。風も止み、進みやすくなりましたよ」
ああ、とサンティは生返事をした。
そうだったろうか? ナイラは生きていただろうか? いろいろな町で死んだのではなかったか? いや、追い出すと言って町の外に連れていった時、そこで殺してしまうように下僕に命じたのではなかっただろうか?
下僕はその
「
サンティはうなずいた。ナイラは、旅の果てにこの砂漠に辿り着き、行き倒れかけたところを
この娘と連れ立って歩くことなど初めてかもしれない、とサンティは気付く。奴隷が産んだ子は奴隷だ。サンティと同じ世界に生きる者ではない。だからサンティは、自分の前を歩くナイラを初めて見た。普段は平伏していたから。
娘は手足に鉄の輪を
「お城に着いたら、思いの丈をお話なさいませ。あるじさまにも命の
「というと、お前にも」
「ええ。ですから私、すっかり元気になり傷も癒え、こうして幸せに暮らしているのです」
「お前は何の話をした」
「すべてです」
「すべてとは」
聞いてはいけない、と誰かが大声で知らせてきているような気がしたが、それを感じるより先に口が動いた。娘は城に向かって歩きながら穏やかに答える。
「すべてとは、すべてです。
あなたが母に、私を
生まれた私を殴り、蹴り、罵って気が狂うまで働かせたこと。
母に私を殺すよう命じたこと。
下僕に私を殺すよう命じたこと。
私のように生まれ殺された子がほかに二十八人いること。
商売の失敗がばれる前に持てるだけの財宝を持って逃げてきたこと。
ぞくり、と背筋が震えた。太陽の照りつける真っ白な砂漠で。
その通りだった。サンティは、一代で身を立てたその才で、誰よりも早く自分の商売のしくじりに気がついた。どう考えても挽回は不可能で、発覚次第罪人として衆目の前に首を
そして、誰も自分を知る者がいない地で、
だがそれを、なぜナイラが知っているのか。
白い砂に落ちる影がやけに濃く見える。サンティはナイラの両足の輪が金色に変わったことに気付かない。立ち止まり振り返ったナイラの顔に目が引き付けられる。
ナイラの青い眼が見ている。しかし、片方の
その唇はいつしか薄く笑っており、口の中からはサンティが最も恐れる言葉が流れ出した。
「あなたが
あなたは死んだのですよ。旅に出ることもなく、あなたのしくじりのせいで破滅した商売相手に命を狙われ、役にも立たない財宝を
あなたはみっともなく
ああ、では、私がこれまでの旅で見聞きしてきたこと、今この砂漠にいることは。
全ては偽りであったのか。
全てが幻であったのか。
私は、死の間際の夢を見ているに過ぎないのか。
サンティは絶叫した。
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