異国の王子

 砂の上に倒れたあるじサンティを囲む三人の従者に、後ろから声を掛ける者があった。


「どうしたのだ。具合が悪いのか?」


 ほがらかな美声で、従者たちは振り返る。歩み寄ってきたのは見るからに粗末な襤褸ぼろまとい、杖をついた若い男だった。この男からさっきの美声が発されたとはにわかに信じ難かったが、男はそのままの声で続きを喋った。


「渇きに倒れたのか? では、この水を進ぜよう。今朝がた森の中で汲んだものだ」


 これから自分も砂漠を渡ろうとしているはずなのに。従者たちは顔を見合わせた。


「どうした。ああ、私が信じられぬか。さもあろう、ここは乾闥婆ガンダルヴァの城に続く試しの砂漠、アグルを求めるあまの人々を喰ろうてきた魔境。私のことも魔物と疑って不思議はない。

 しかし信じるがよい。私は東方の祖国で王子として生を受けたが、恵まれたおのれの暮らしにみ、民のためアグルを持ち帰らんとここまで旅して来た。我が国の民であれ、たまさか旅先で出会った見知らぬ者であれ、困っていれば助けるのが王族の務めというもの」


 よく喋る男であった。なるほど王子かもしれない。人前で話すにも慣れ、人に注目されるにも慣れている。

 従者たちはいよいよ困り顔になった。どうしたのだ、まさかもう亡くなっているのか、と王子が聞いても顔を見合わせるばかり。しびれを切らした王子がサンティのそばにしゃがみ込んで脈をみようとしたところでようやく、一人が声を上げた。


「高貴なお方のご親切はまことに有り難いのですが、実は我らはあるじさまが助からねばよいと考えていたのです」


「何と。このような所まで、苦労を重ねて供をしてきたはずではないか」


「それでも、もう終わりにしたいのです。

 お聞きください、あるじサンティは装飾品を扱う商人で、一代で身を起こした才覚は確かに目を見張るものでした。しかしそれは雇い人を散々にこき使い、目下の者や家族を家畜のように手酷く扱い、多くの人を蹴落とし苦しめ時には死なせて成し得た悪業です。それなのにあるじは、自分はあきないで金を稼ぎ家族と雇い人を食べさせているのだから善行をしている、これをもっと続けるために永遠の命が欲しいと乾闥婆ガンダルヴァアグルを求めて旅に出ました。こんな恐ろしい話がありますか」


 王子が黙って聞いているので、従者のもう一人が言葉を継いだ。


「我らははじめ、旅は失敗すると考えました。乾闥婆ガンダルヴァの城を知る者はいないと言われ、曖昧な噂さえ稀。さすがのあるじも途中で諦めるだろうと。なのに、とうとうここまで来てしまった! もしこのままあるじが命のアグルを手に入れてしまったら、我らは生涯救われません。あるじが二度と帰らぬことを期待し、内心泣いて喜んで送り出してくれた故郷の者たちとて、どれほど驚き悲しむことか!」


 それでも王子は何も言わない。そこで三人目の従者がさらに話を続けた。


「それゆえ、先ほどナイラが姿を表した時、言い伝え通り砂漠の魔物が出たのだ、この魔物があるじを殺してくれる、と期待しました。砂漠の魔物は、旅人が最も愛している者か、旅人を最も恨んでいる者の姿で現れるといいますから。そしてあるじは倒れた。我らはついに宿願が叶うのを見届けるところなのです」


 いつの間にか三人は王子を囲む形で立っていた。照りつける太陽の下、逆光で影となった三人が静かに殺気立つのが分かる。


「もしもあなたが、それでも我らのあるじを助けると仰るのなら……」


「我らはあなたを殺してでも、それを防ぎます」


「あるじの死を願う我らの話を聞かせた以上、致し方ない」


「待ちなさい。そなたらが勝手に話したのだぞ」


「あなたが、あるじを助けようなどとなさるからです」


「困っているのかと思えばこそではないか」


 王子は戸惑いを隠せない様子で、待て、と片手を掲げた。


「まだ話が分からぬ。聞くが、先ほどの話に出たナイラとは?」


 話をそらし時間稼ぎをする目的は明白だった。それでも従者たちは再び顔を見合わせてから話し出す。まるで、誰かにその話をしたかった、というようでもあった。

 その話とはこうである。

 ナイラはサンティが奴隷女に生ませた子で、西方の下賎な鬼人族のように瞳が青いためにそう呼ばれた。気持ちの悪い顔だといっていつも布をかぶらせ、下女扱い。ある時ナイラがへまをしでかし、怒ったサンティは母親である奴隷女にナイラを殺せと命じた。さすがに母が子を殺すものかと思っていたら、なんと奴隷女は追い出されるのが怖さに我が子を手にかけようとする。必死に抵抗したナイラは、そのはずみで母親に致命傷を与えてしまった。母親を助けてくれるようすがり付いて懇願するナイラをサンティは散々打ち据え、家どころか町からも追い出した。乾闥婆ガンダルヴァアグルを手に入れて戻れば母親を生き返らせてやる、手に入れるまで絶対に町には入れない、と嘲笑あざわらって。

 それきりナイラは姿を消した。どこか他所よその土地へ流れていき野垂れ死んだのだろうと思われていたが、このたびサンティが乾闥婆ガンダルヴァの城を探して旅を始めると、行く先々でナイラらしき娘の噂を聞く。

 曰く、異人狩りに遭って吊るし殺される際、生まれ変わって父を殺すと叫んだ。

 曰く、荷車にかれて脚が腐ったまま数ヶ月乞食として生きていたが、誰彼構わず父母を知らないかと尋ねていた。

 曰く、よそ者であったので町を襲う虎の親玉に生け贄として捧げられ、噛み殺される悲鳴と骨の砕ける音が今でも森から聞こえることがある。

 そしてそのいずれの噂話でも娘の名は伝わらないが、母は死にかけ父に捨てられて乾闥婆ガンダルヴァアグルを求め彷徨さまよう青い眼の娘、ということだけが共通していた。

 サンティは気にもとめないようだったが、従者たちは町々で噂を聞くたび、どこかで死んだナイラの怨念が追ってくるように感じて震え上がったという。

 そのナイラが、乾闥婆ガンダルヴァの城を目前にした砂漠に踏み入った途端、噂ではなく姿で現れたのだ。

 砂嵐のあとに突如現れたナイラは、あの日立ち上がれなくなるまでサンティに殴られた時のままの凄惨な姿ながら、声だけは穏やかにこう言った。


――あるじさま、あなたのためにアグルをもらってきました。


 ナイラの痩せた手が香入れの小箱を差し出し、サンティは警戒もせずにそれを奪おうとした。


――お前は何をするのも遅いのだ、こののろまが。もっと早く手に入れてきたなら、この私が長旅の苦労をせずに済んだものを。


 その瞬間、香入れの小箱は黒い炎を発してナイラとサンティをまるごと飲み込んだ。


「母親に殺されかけ、母親を殺してしまった時の、あの悲鳴が聞こえたような気がします」


 王子に話す従者の声は震えていた。


「お母さん、どうして。あるじさま、お助けください。……あの時と同じです。ナイラは自分を殺そうとした母親の助命をあるじに訴えました。もっとも、母親は明らかに事切れていたのですが」


「なんと、哀れな」


 王子は今やさげすみの目でサンティを見ている。

 再び風が起き、地面を砂が絶え間なく流れていた。サンティの身体はほんの少しずつ砂に埋まり始めている。


――お助けください。あるじさま、お助けください。


 風の巻いた辺りからか、娘の泣き声が聞こえてきて王子は顔を上げた。


――異国の王子さま、お助けください。

――私の命と引き換えに乾闥婆ガンダルヴァアグルを手に入れました。どうかこれを、お国で苦しむ人々のところへ。


 王子の視界に、巻き上がった砂が娘の形となり、手を伸ばしてくるのが見えている。

 しかし、と王子は応えかけた自分の手を宙に停めた。

 この娘は、死んだ母を甦らせるためにアグルを求めたのでは?

 それをなぜ、異国の民のために託そうというのか?

 なぜ先ほどは、サンティなる冷酷な父にアグルを渡そうとした?


 この声は本当にナイラなる娘のものなのか。

 いや、そもそも。

 哀れなナイラの話自体、本当なのか?

 このサンティと従者の話は?


 この者たちは本当に倒れた男の従者か?

 一人が倒れ、三人が取り囲んでいるところしか見ていない。

 人殺しの追い剥ぎでないという証拠は?


 ここは乾闥婆ガンダルヴァの城をめぐる砂漠。

 アグルを求めて近寄る人間から城を守る、魔物の住まう試しの砂漠だ。


 全ては偽りかもしれぬ。

 全てが幻かもしれぬ。


 砂より現れた娘が青い眼から赤い涙を流して、奇妙に長い両腕を広げ近寄ってくる。

 その唇はいつしか薄く笑っており、口の中からは王子が最も忌み嫌う者の声がした。祖国の聖人、王子を偽善者と喝破し父王の寵愛を台無しにした無礼者。



――あなたさまは、ご自分の評判ばかり気にしておいでだね。本当に人を思いやったことなどない。

――あなたの気に入るやり方で感謝を示さぬ者には恐ろしく酷薄ではないか。そのくせ、自分が傷付いたという顔をする。

――善人と思われたい欲から逃れられぬ。浅ましく愚かじゃ。到底、王の器ではない。



 王子は絶叫した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る