異国の王子
砂の上に倒れた
「どうしたのだ。具合が悪いのか?」
「渇きに倒れたのか? では、この水を進ぜよう。今朝がた森の中で汲んだものだ」
これから自分も砂漠を渡ろうとしているはずなのに。従者たちは顔を見合わせた。
「どうした。ああ、私が信じられぬか。さもあろう、ここは
しかし信じるがよい。私は東方の祖国で王子として生を受けたが、恵まれた
よく喋る男であった。なるほど王子かもしれない。人前で話すにも慣れ、人に注目されるにも慣れている。
従者たちはいよいよ困り顔になった。どうしたのだ、まさかもう亡くなっているのか、と王子が聞いても顔を見合わせるばかり。しびれを切らした王子がサンティのそばにしゃがみ込んで脈をみようとしたところでようやく、一人が声を上げた。
「高貴なお方のご親切はまことに有り難いのですが、実は我らはあるじさまが助からねばよいと考えていたのです」
「何と。このような所まで、苦労を重ねて供をしてきたはずではないか」
「それでも、もう終わりにしたいのです。
お聞きください、あるじサンティは装飾品を扱う商人で、一代で身を起こした才覚は確かに目を見張るものでした。しかしそれは雇い人を散々にこき使い、目下の者や家族を家畜のように手酷く扱い、多くの人を蹴落とし苦しめ時には死なせて成し得た悪業です。それなのにあるじは、自分は
王子が黙って聞いているので、従者のもう一人が言葉を継いだ。
「我らははじめ、旅は失敗すると考えました。
それでも王子は何も言わない。そこで三人目の従者がさらに話を続けた。
「それゆえ、先ほどナイラが姿を表した時、言い伝え通り砂漠の魔物が出たのだ、この魔物があるじを殺してくれる、と期待しました。砂漠の魔物は、旅人が最も愛している者か、旅人を最も恨んでいる者の姿で現れるといいますから。そしてあるじは倒れた。我らはついに宿願が叶うのを見届けるところなのです」
いつの間にか三人は王子を囲む形で立っていた。照りつける太陽の下、逆光で影となった三人が静かに殺気立つのが分かる。
「もしもあなたが、それでも我らのあるじを助けると仰るのなら……」
「我らはあなたを殺してでも、それを防ぎます」
「あるじの死を願う我らの話を聞かせた以上、致し方ない」
「待ちなさい。そなたらが勝手に話したのだぞ」
「あなたが、あるじを助けようなどとなさるからです」
「困っているのかと思えばこそではないか」
王子は戸惑いを隠せない様子で、待て、と片手を掲げた。
「まだ話が分からぬ。聞くが、先ほどの話に出た
話をそらし時間稼ぎをする目的は明白だった。それでも従者たちは再び顔を見合わせてから話し出す。まるで、誰かにその話をしたかった、というようでもあった。
その話とはこうである。
それきりナイラは姿を消した。どこか
曰く、異人狩りに遭って吊るし殺される際、生まれ変わって父を殺すと叫んだ。
曰く、荷車に
曰く、よそ者であったので町を襲う虎の親玉に生け贄として捧げられ、噛み殺される悲鳴と骨の砕ける音が今でも森から聞こえることがある。
そしてそのいずれの噂話でも娘の名は伝わらないが、母は死にかけ父に捨てられて
サンティは気にもとめないようだったが、従者たちは町々で噂を聞くたび、どこかで死んだナイラの怨念が追ってくるように感じて震え上がったという。
そのナイラが、
砂嵐のあとに突如現れたナイラは、あの日立ち上がれなくなるまでサンティに殴られた時のままの凄惨な姿ながら、声だけは穏やかにこう言った。
――あるじさま、あなたのために
ナイラの痩せた手が香入れの小箱を差し出し、サンティは警戒もせずにそれを奪おうとした。
――お前は何をするのも遅いのだ、こののろまが。もっと早く手に入れてきたなら、この私が長旅の苦労をせずに済んだものを。
その瞬間、香入れの小箱は黒い炎を発してナイラとサンティをまるごと飲み込んだ。
「母親に殺されかけ、母親を殺してしまった時の、あの悲鳴が聞こえたような気がします」
王子に話す従者の声は震えていた。
「お母さん、どうして。あるじさま、お助けください。……あの時と同じです。ナイラは自分を殺そうとした母親の助命をあるじに訴えました。もっとも、母親は明らかに事切れていたのですが」
「なんと、哀れな」
王子は今や
再び風が起き、地面を砂が絶え間なく流れていた。サンティの身体はほんの少しずつ砂に埋まり始めている。
――お助けください。あるじさま、お助けください。
風の巻いた辺りからか、娘の泣き声が聞こえてきて王子は顔を上げた。
――異国の王子さま、お助けください。
――私の命と引き換えに
王子の視界に、巻き上がった砂が娘の形となり、手を伸ばしてくるのが見えている。
しかし、と王子は応えかけた自分の手を宙に停めた。
この娘は、死んだ母を甦らせるために
それをなぜ、異国の民のために託そうというのか?
なぜ先ほどは、サンティなる冷酷な父に
この声は本当に
いや、そもそも。
哀れな
このサンティと従者の話は?
この者たちは本当に倒れた男の従者か?
一人が倒れ、三人が取り囲んでいるところしか見ていない。
人殺しの追い剥ぎでないという証拠は?
ここは
全ては偽りかもしれぬ。
全てが幻かもしれぬ。
砂より現れた娘が青い眼から赤い涙を流して、奇妙に長い両腕を広げ近寄ってくる。
その唇はいつしか薄く笑っており、口の中からは王子が最も忌み嫌う者の声がした。祖国の聖人、王子を偽善者と喝破し父王の寵愛を台無しにした無礼者。
――あなたさまは、ご自分の評判ばかり気にしておいでだね。本当に人を思いやったことなどない。
――あなたの気に入るやり方で感謝を示さぬ者には恐ろしく酷薄ではないか。そのくせ、自分が傷付いたという顔をする。
――善人と思われたい欲から逃れられぬ。浅ましく愚かじゃ。到底、王の器ではない。
王子は絶叫した。
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