乾闥婆の小鳥

 乾闥婆ガンダルヴァが黄金の翼を広げて石造りの空中庭園に降り立つと、入れ替わりに銀色の鳥の群れが飛び立っていった。城に仕える鳥で、砂漠を見回り常に警戒をおこたらない。サンティたちが砂漠に出てきたことを知らせてくれたのもこの銀の鳥、千目鳥アクシャたちだった。

 庭園は緑の木々に満ち、枝という枝には花が咲き、千目鳥アクシャをはじめとした様々の鳥たちが鳴き交わしている。

 この楽園に、乾闥婆ガンダルヴァは特別の小鳥を養っていた。石畳を敷いた木陰にしとねや枕を置いて寄り掛かる娘がそれだ。

 娘は、乾闥婆ガンダルヴァに気付いて視線を上げていた。痩せた手足にそれぞれ金の環をはめており、両足の環は鎖で繋がっている。また頭にはうすものをかぶって顔を隠していた。


秘密ラハシャ


 名を呼ばれると、うすものの下でほほむのが透けて見える。


「デリヤさま、お帰りなさい」


 蜜と雪の混じり合う香のように心地よく沁みとおる声は、ただ一言で不動デリヤと呼ばれた乾闥婆ガンダルヴァの心に漂う不快を薙ぎ払う。

 この娘こそがデリヤの生きる理由だった。


「ただいま。何か食べたか?」


「はい、果物を少し」


 ふう、とデリヤが軽い溜め息をつくと、娘が身じろぎした。デリヤはそれに気付いて娘の隣に座る。


「ああ、ラハシャ、お前は何も悪くない。……砂漠に、サンティが来たのだよ」


 硬直した娘を、デリヤは片腕で抱き寄せた。


「大丈夫だ。千目鳥アクシャたちが見張っているし、この砂漠を渡れるはずがない。お前はここにいれば安全だ」


「デリヤさま、私、ご迷惑を掛けているのでは」


「砂漠がこの城を守るのだから、俺は何もする必要がない。第一、お前を拾ったのは俺の意志だよ。気兼ねは要らぬ」


 そんなことより、とデリヤは、娘を抱いたのと逆の腕を前方に伸ばし、手の先でぐるりと円を描くようにした。すると空中に揺らめく遠見窓が開き、青い空と白い砂漠、その彼方にほとんど黒いような緑の森が見える。


「見てごらん。来たのはサンティと従者だけではない。その後にまだ人がいる」


 手前の四つの影がサンティの一行。その後ろに、確かに別の影がある。


「あれは小国の王子だ。善行で有名だというが……砂漠がどう応じるか見ものだ」


 大きな遠見鳥パルラが数羽、デリヤとラハシャの近くに舞い降りてきた。皆、香りの良い花や草などをくわえている。美しい灰銀の翼をゆるやかに羽ばたかせては、あるじデリヤと彼の大切なラハシャに最上の香りを送るのだった。

 乾闥婆ガンダルヴァにとってい香りは命のかてだから、これは食事そのものだった。香りだけを喰べる半神半獣、紅の身体、黄金の瞳に黄金の翼を持つ天上の楽師、それが乾闥婆ガンダルヴァという種族だ。

 その性格は争いを好まぬ善き神だが、香りがそうであるように何処いずこから発するかいつ掻き消えるか分からない捉えどころの無さをも併せ持つ。乾闥婆ガンダルヴァの城が蜃気楼のたとえとされるのも、城そのものがまぐれな乾闥婆ガンダルヴァたちの性質通りの存在だからだ。見えたと思っても辿り着けない、そこにあると思っても触れられない。

 その城に辿り着き、乾闥婆ガンダルヴァの同意を得て永遠の命をもたらすアグルを手に入れようというのだから、ここを目指して来る者たちはそもそもがどうかしているのだ。極限まで追い詰められているか、途方もなく欲深いか、或いは単に愚かな者たち。

 遠見鳥パルラが運んできた果物をかたわらのラハシャに勧めながら、デリヤは遠見窓を眺めている。

 この砂漠に真実など一つもないのだ。あの人間たちは、死ぬまでにその事に気付くかどうか。




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