糸の震え

鍋島小骨

骨の砂漠




――Vanitas vanitatum omnia vanitas.

――くうくう、空の空なるかな、すべてはむなしい。





    * * *





 乾闥婆ガンダルヴァの城に辿り着けば、永遠の命をもたらすアグルが得られるという。

 山々を越え砂漠を渡り、人々は言い伝えだけを頼りにその地を目指し旅をする。

 城があると言い伝えられる広大な森には、命のアグルを求めて旅に倒れた者たちのむくろが無数に散らばっている。

 森には時折、各地からやって来た僧侶も入っていく。命を落とし、故郷に帰ることも叶わぬ人々をとむらうためだ。それはまた僧侶自身、帰還できる保証のない危険な旅に出るということでもあった。

 そのため森近くに住む人々は、僧侶が森に入っていくのを見ると花や水をいて捧げ、姿はなくともしゃくじょうの音が聞こえればその方向に向かって祈るのである。

 森は、吸い込んだ者たちを滅多に帰してはくれない。






    * * *





 サンティという男が長旅の末、ついに乾闥婆ガンダルヴァの城らしき影を視界に捉えた。広大な森を抜け、突如として白い砂漠に出たその遥か彼方、海を背にしてそびえる巨大な建造物こそ目指す乾闥婆ガンダルヴァの城に違いなかった。


「やったぞ」


 サンティは飛び上がらんばかりに喜んだ。


「あれだ。もうすぐだ! 天がおれを導きたもうたのだ。さあ、急げ。あの距離なら……どのくらいかかる?」


 問われた従者の一人はとおがねのぞいて首をかしげた。


「あるじさま、何とも……姿が揺らめいていて、距離がはかれません」


「大体でいい!」


 途端に不機嫌な声になったサンティに、怯えた従者は答えた。


「我が国の王城と同じくらいの大きさだとすると、辿り着くのは日没頃でしょうか」


 たちまち機嫌を直したサンティは白い砂漠を意気揚々と進み出した。従者たちは大荷物を何とか背負い直し、あるじの後ろをよろよろと追う。

 はじめ十数人いた従者たちは、一人が負傷して捨てられたのを皮切りに怪我と逃亡を重ね、今や三人しか残っていない。サンティは荷物を捨てることをほとんど許さなかったから、三人が背負う荷の重さは巨石のごとく感じられた。

 しかも、ここからは砂の上をゆく。あんな遠くに小さく揺らめく影まで、日陰もない真昼の砂漠を歩くのだ。

 主サンティは従者を気遣うということがない。三人が遅れたなら容赦なく罵声を浴びせるだろう。荷を背負わせたまま、先に行って様子を見てこい、と命じるだろう。これまでの山でも谷でもそうだったように。


 四つの影が砂漠を渡り始めるのを、空の上から半神半獣の男が見ていた。

 あるじさま、サンティさま、と従者が呼ぶ声を聞き、鮮やかにあかい眉がひそめられる。その名に聞き覚えがあったのだ。

 サンティ。従者にも家族にもひどく横暴だという、宝飾売りの悪徳商人。

 半神半獣の男は面白くない気分になり、黄金の翼を大きく羽ばたかせて風を起こした。サンティと従者たちは砂嵐の中で目を開けていられなくなり、一度歩みを止めた。

 小悪人のサンティはどうせ、死を恐れ現世の益にしがみつく欲深い心から、永遠の命をもたらすアグルを求めに来たのだろう、と半神半獣の男は考えた。よくここまで辿り着いたものだ。

 だが、乾闥婆ガンダルヴァの城は見えてからが遠いのだ。追えば同じだけ遠ざかる陽炎かげろうのように、彼方へ、彼方へ、それでも必死に行けば辿り着けそうな遠さに、ただ見え続ける。この砂漠が白いのは、そうして城を目指した者たちの骨が砕けた砂でできているからだ。


「諦めよ、人間」


 半神半獣の男――乾闥婆ガンダルヴァの声は、サンティ達にはまるで風のうなりのように、しかしはっきりと言葉に聞こえていた。


「私利私欲にまみれた者に与えるものはない」


 乾闥婆ガンダルヴァさま、とサンティが潰れたような声を上げた。


「お聞きください、乾闥婆ガンダルヴァさま!

 私は世間のため、家族のため、この身をすり減らすようにして働き続けてきました。誰よりも努力したので一代で財を成し、大勢を雇ってその暮らしが立つようにしてやり、取引相手にも利益を得させました。私は皆のためになくてはならぬ者ではありませんか。私はもっと長く生き、この善行を続けたいのです。

 どうかこの私に、永遠の命をもたらすアグルをお授けください! ただでとは申しません、私のあきなう品の中でも二度とは手に入らぬであろう宝物の数々を捧げます」


 乾闥婆ガンダルヴァは答えずに飛び去った。命もアグルも、金品であがなえるものではない。

 どうあれ、サンティは何も手に入れられぬであろう、と乾闥婆ガンダルヴァは考えた。城に辿り着くことすらないはずだ。

 この砂漠はアグルを求めたあまの者どもの妄執が降り積もって出来ている。あのような小物はすぐに邪念の渦に飲まれ身を滅ぼすだろう。

 飛翔する乾闥婆ガンダルヴァがちらりと振り返ると、サンティのそばに煙が立ち昇るような影が見えた。早速、砂漠の魔の試しが始まっている。サンティもやがて、この砂漠の一部となるだろう。

 これからサンティが誰の姿を見るか、それも乾闥婆ガンダルヴァには分かっていた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る