第2話 ま、待ってください!

 正也さんに別れを告げられてから、一週間が経ちました。あっという間に、一週間が経ちました。


 あれから大学に行くことができていません。それどころか、外に出ることもできていません。外に出ようと思うと、途端に息が苦しくなってしまうのです。


 なので毎日、マンションの狭い部屋でカップ麺をすすっては眠る日々を過ごしています。気分転換に楽しい映画でも観ようとも思うのですが、楽しい映画を探す気力も湧かないので、何もしていません。


 そんなわけなので、今日もお日さまが昇っている中、わたしはまたベッドに潜って目を閉じました。眠っている間は、壊れた水道管のように沸き上がり続ける悲しみから逃れられることに気づいたので、ずっと眠ることにしました。


 ベッドに入って目を閉じていると、ピンポーンとインターホンが鳴りました。宅配便でしょうか。ですが頼んだ覚えはありません。では誰なのでしょうか。わかりませんが、応対する気にはなれないので無視することにしました。


 ピンポーン。またインターホンが鳴りました。


 ピンポーン。またまたインターホンが鳴りました。


 ピンポーン。またまたまたインターホンが鳴りました。


 ピンポーン。またまたまたまたインターホンが鳴りました。しぶといですね。


 反応が無いのにここまで引き下がらないとは、一体誰なのでしょうか。確認だけでもしておきたくなったので、ベッドから出て、モニターの映像を確かめました。


 モニターに映っていたのは、短い茶髪の可愛い女の子でした。よく知っている顔でした。


 わたしはそのまま玄関まで歩き、扉を開けました。


「どうかしたんですか、唯子ゆいこちゃん……?」

「どうしたもこうしたもないでしょ! 大学にいないし、LINEも全然返ってこないし!」


 インターホンを鳴らしていたのは、半田唯子はんだゆいこちゃんでした。わたしと同じ大学の学部に通っている同い年の女の子で、わたしと同じマンションに住んでいる女の子です。それにわたしの唯一無二の親友でもある女の子なのですが、今は猛烈に怒っています。こんな顔滅多に見たことありません。怖いです。


「ごめんなさいです……」

「謝らなくていいから何があったか教えて!」

「あの……正也くんに、別れようって言われまして……」

「はあ!? なんでいきなり!?」

「わたしにもよくわからないのですが、映画の好みが合わないとかなんとかで……」

「そんな理由で!?」

「みたいです……」

「そっか…………なんかすっごいイライラしてきた!」


 唯子ちゃんは相変わらず怒っていますが、怒りが向けられている方向が変わったような気がしました。


「……でも」


 しばらくして、唯子ちゃんは俯きながら小さな声で呟きました。


 すると唐突にわたしに飛びかかり、わたしをがっしりと抱きしめてきました。


「あわわわわっ!」


 予想だにしなかった突然の事態にわたしは反応できず、勢いよくしりもちをついてしまいました。唯子ちゃんがどうしていきなりこんなことしたのか、わたしにはわかりませんでした。


「あたしね……。ずっと優里ゆうりのこと、好きなの!」


 唯子ちゃんは真っすぐな目をわたしに向けて言いましたが、どういう意味なのかわたしにはわかりませんでした。わからないことだらけでした。


「あの、どういう……?」

「そのままの意味! あたし、ずっと優里が好きだったの!」

「ですからどういう意味ですか……? 友達として、とかの意味ですか?」

「違う! 愛してるの!」

「えええ!」


 まさか唯子ちゃんがわたしのことをそんな風に思ってくれていたなんて知りませんでした。ですが。


「唯子ちゃん、田中さんのことは……?」


 唯子ちゃんには、田中義明たなかよしあきさんという彼氏さんが既にいるのです。それなのにわたしに告白なんて、どういうことなのでしょうか。


「実はね、義明はフェイクの彼氏なの。あたしってなんか変にモテちゃってさ。告白断るのにいちいち理由考えるの面倒で。だったらいっそ彼氏のふりをしてくれる人を作ろうと思って、それで義明が協力してくれてるの」

「そ、そうだったんですか……」


 田中さんとは昼食をよくご一緒したりするのですが、そんな事実があったとは初めて知りました。とても偽物だとは思えないくらい、自然な立ち振る舞いでした。


 わたしがそんな事実に驚いていると、唯子ちゃんはしりもちをついているわたしに重なり合うように、じりじりと四つん這いで近寄ってきました。


「あたしは優里に会ったときからずっと、優里一筋なの!」

「え……!?」

「あの男がいたせいで動けなかったけど、今なら何度でも言える! あたしは優里が好き! 大好き!」

「唯子ちゃん、ちょ、ちょっと……」

「もう想いを抑えられないの! 優里のその綺麗な髪と顔と身体、大人しいけどすっごく優しい性格! 優里の全部があたしは好きなの!」


 みるみるうちに、唯子ちゃんの顔がわたしに迫ってきました。小さくて綺麗な唇が、わたしの唇に重なり――


「ま、待ってください!」


 そうになるところで、わたしは、唯子ちゃんを突き放してしまいました。


「優里……その……」


 同じように反対側にしりもちをついた唯子ちゃんは、はっと我に返ったかのように、目と口を大きく開けながらわたしを見て、固まっていました。

 

 年も学部も家も同じな唯子ちゃんと仲良くなるのに時間はかかりませんでした。今ではお互い気を遣わずなんでも話せる親友のはずです。そのはずです。ですが、あくまでもそんな関係である親友が、わたしに対して恋愛感情を向けていたという事実を知って激しく動揺しています。まるでSFでよくある、現実だと思っていた世界が現実ではなかったかことを知ったような、そんな動揺です。


 そんな現実を知り、わたしには、どうすればいいか、わかりませんでした。

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