ドリーミー王国にて。
ローブを着た魔術師たちの持っている杖の先から、煙のようにバクが出てくる。その大きさや形は大小様々で、どうやら魔術師の力量によって差が出るらしい。
「サーミー王国には、バクなんて生き物はいなかったでしょう」
「ええ、そうですね。アザラシやシロクマしか、いませんでしたから」
「ドリーミー王国は、非常に潤っています。自分でいうのもなんですが、これは間違いのないことです。そしてそれは、このバクの魔法によってもたらされたものです」
短い銀髪に帽子を被った紳士。彼はここ、ドリーミー王国のトラオム王だ。背が高いが体は細く、筋力はなさそうに見える。しかしかつては大魔術師のひとりで、今のドリーミー王国の繁栄を築いた実力者らしい。
「最近、悪夢を見たことはありますかな、クラニカ様?」
「悪夢、ですか」
私は考える。
「乳からジュースを滴らせるオス牛と結婚させられそうになりました」
「おお、なんておそろしい! ご自身の叫び声で目が覚めた、などと聞いても頷けるような、正真正銘の悪夢ですな」
なお、それは悪夢のような本当の出来事であるのだが。
「我がドリーミー王国は、夢を商売道具にしています」
「まさに、夢の国というわけですね」
「そう。夢のような国ではなく、夢によって財を成している国なのです。夢のやりとりは最高のサービス業でもありますから、物資の枯渇や不景気の影響を受けにくい……」
「特にこの頃は、魔王の支配の拡大によって人々の不安は高まっているから、なおのこと夢の需要は高まっている、でしたか?」
「ええ、そうです」
「正直に申しますと、イマイチ想像ができないのです」
私の言葉に、トラオム様は口角を上げる。
「夢というのは、金銭を払ってまで得たいものなのでしょうか」
「……最近、気分のいい夢を見たことはありませんか?」
「そういえば、ありますわ」
「いつごろのことで?」
「詳しくは思い出せませんが……」
「あなた様が、テレビ出演されたあとのことでは?」
「ええ、そんな気がします。数日後だったかもしれません」
「どんな夢でしたか?」
「背が高くハンサムな王子様のところに、嫁入りする夢です」
「まさにそれこそ、我が国が作り出した夢なのですよ、クラニカ様」
私は彼の言葉に驚く。トラオム様は続ける。
「あなたをテレビで知った我が愚息フルム王子が、あなたのために最高の夢を買ったのですよ」
「まあ、王子様が!?」
「人々との温かい交流に恵まれないと嘆いていたあなたのために」
「しかし、夢を買うというのがまだよくわからないのですが……」
「答えは、このバクたちにあります」
トラオム様は、続々と生み出されるバクを魔法の杖で指す。
「ご覧の通り、このバクには実体がありません。これは魔法によって形作られたものですからな。そしてこのバクたちは、人の精神に働きかけます。具体的にいえば、脳に作用するのです。それによって人間は、眠っている間に夢を見るのです」
「では、私がこれまでに見てきた夢は、全て誰かが私にくれたものなのですか?」
トラオム様は首を横に振った。
「夢を見たことのないものが、夢を買うことはありえません。得体の知れないものに、金を払うのは気が引けるでしょう? 私たちは、幸福度の高くも低くもない夢を大量生産し、世界中の人々へランダムに配っているのです。普段見る夢の正体はそれなのです」
「それでは、赤字になってしまうのではありませんか? 夢をもたらすバクを生成する魔術師への給与を考えると……」
「これはいわば、プロモーションなのです。広告費用ですよ。その額だけを見れば確かに痛手ですが、その後にもたらされる財を考えれば些細なものです。これにより人々は、夢というものがどんなものかを実感する。そしてそうなれば、より幸福感の強い夢を見たいという人も現れるというわけです。大金を積んでまでも、ね」
「自分の幸福のために、夢を買うのですか」
「ええ、そうです。しかし実際のところ、自分のために夢を買う人はごく少数なのですよ。大半は、誰かに夢を見させたいという人々の想いによって夢は買われ、設計されていきます。片想い相手に自分のことを夢見て欲しい。妻に先立たれた男性に、亡き女性の夢を見させてあげたい。こんな具合です。夢の内容を細かく設定すればするほど、料金も高くなりますがね」
「素敵な世界ですね」
「そうとも言い切れませんな」
彼の言葉に、私は思わず「えっ」と小さな声を漏らす。
「夢を見せられるということは、悪夢を送りつけることもできる、ということです。自分を捨てたあの男を後悔させたい。家族たちの怨霊を見せて一族の恨みを晴らしたい……。そういった要望もあるのです」
「まさか、そんな内容にも応えるのですか?」
「賃金を払われた以上、応えるのがサービス提供者としての務めです」
私は、何と言ったらいいのかわからなくなる。
トラオム様は続けた。
「そして我が国では、いわゆる【夢保険】のサービスも行っています」
「夢保険?」
「やっていることは、夢の販売と変わりないんですがね。無難な夢を一定の期間分だけ、予め自分で購入してもらう、というものです」
「予め、夢を購入……?」
「例えば、あらゆる人から恨まれている悪党がいたとします。誰も彼には手が出せませんが、せめて悪夢を見せたいという者が現れました。この復讐者が――我が国の通貨で例えますと、800万リミドーを支払って、一晩の悪夢を送りつけようとしたとします」
「そして悪党は、悪夢に悩まされる……」
「しかしここで、悪党が夢保険に加入していると話が変わってきます。悪党が今晩からの3日間、無難な夢を保険として3000万リミドーで購入しますと、1日あたりの夢保険金は1000万リミドーになりますから、これは復讐者の支払い分を超過し、私たちはその悪党に悪夢ではなく無難な夢を届けることになるのです」
「復讐は、果たされないということですか?」
「ええ、そうです。通常の夢購入であれば、同じ時間に届ける夢が複数ブッキングした場合、受注順に日をずらして全て届けることになります。しかし夢保険の場合、保険期間かつ1日あたりの金額が他のものよりも1リミドーでも大きければ、保険をかけた夢以外は全て破棄されます。逆に今の例ですと、復讐者が1000万と1リミドーを払っていたならば、その悪党の枕元に悪夢が訪れることになったでしょう」
「恨まれている人ほど、夢保険に大金をかける、というわけですね?」
「ええ、そうです。夢の配達をキャンセルされた分の金額は依頼主に半分返すようにしていますが、夢保険の場合は、保険金よりも多額の夢が届けられた場合でも返金はしません。皮肉なことですが、人から恨まれるようなことをして大金を稼いだ者ほど、その大金で無難な夢に保険をかけるのです」
「搾取や強奪を行った者から、財を吸い上げる機能をも果たしている、と……」
「高尚な言い方をすれば、そうなりますな。そしてそのおかげで、これだけ我が国が栄えているというわけです。私たちとしては、国がここまで豊かにならずとも、誰もが平穏な夢を見て、時にやさしい夢を贈り合うような世界になって欲しいものですがな……」
工場の役目を為している、広大なマナフィールド。あちこちに展開された魔法陣の上で、ドリーミー王国の魔術師たちが杖を振るっている。驚いたことに、この国の人口のおよそ7割が魔術師だそうだ。魔術に優れた天才たちは甘い夢を、時に強烈な悪夢を届けるバクを生成し、平凡な、あるいはそれ以下の魔力の持ち主も、日頃の何気ない夢を見させるバクを生み出し、世界に夢の不思議さを届けている……。
「――そういえば」
私は思い出したように顔を上げた。
「以前素敵な夢をプレゼントしてくれたフルム王子は、今どちらにいらっしゃるのですか? ご挨拶をしたいのですけれど……」
トラオム様は、こくりと頷く。
「フルムはここ数日、バクの生成にかかりきりでね。昨日からぐっすりと眠っていたと思うよ。直にまた、働きにやってくると思うがね」
「王子という身分にあっても、労働を怠らないのですね」
「フルムは私以上に、夢魔法に長けています。力ある者は、それを世のために使うことが義務なのです。玉座についてふんぞり返っている時間などありませんよ」
トラオム様が笑った。徳のある方だな、と思う。なおのこと、彼の息子――私に甘い夢を贈ってくれたフルム王子への期待が高まる。
「噂をすれば、ですな。たった今、マナフィールドに足を踏み入れた者。あれが私の愚息ですよ」
私は目をこらす。他の魔術師よりも、高級感と光沢のある紫色のマント。それを地面スレスレまで伸ばしながらも、長い脚がつかつかとその隙間を前後する。周囲の魔術師たちが敬礼をするが、彼はそれを手でいさめた。霊樹をねじってつくったのであろうステッキの先には、魔力に反応して増幅させる宝石が取りつけられている。
彼はフードを外す。
「――バクですね」
「そう、バクなのです」
鼻が、長い。長いというか、伸びている。いや、伸びているけど、垂れてもいるのだ。おかげで口元が見えない。
すらりとした男性の体に、バクの頭がついている。
「――バクですね」
「そう、バクなのです」
思わず、同じやりとりを繰り返してしまう。ハッとして、私はトラオム様を手で示しながら恐る恐る言ってみた。
「……トラオム様も、バクなのですか?」
「私がバクに見えますかな?」
「いいえ、全く」
彼が笑う。よかった、バクじゃなかった。
「我が息子フルムは、より体内に魔力を取り入れやすいよう自身の顔に強化変形魔法をかけたのです。バクの長い鼻から効率よく大地の魔力を吸い上げ、体内で練成することができる……。以前は美青年とも
トラオム様が、ちらりと私を見る。
「――さすがに、バク顔の王子とは結婚したくなさそうですな」
私がハッとすると、彼は高らかに笑った。
「隠さなくてもよいのです。奴はあなたのような女性と愛し合えるような器ではない。せいぜい、陰からあなたを励ますための夢を送ることしかできんのですよ。それに、もしあなたのような美しい女性をそばに置いたら、奴は使命を忘れるでしょう。優れた為政者が女性に溺れて堕落した例は、いくらでもありますからな。嫁ぎ先を探すという目的には適いませんが、もうひとつの目標――魔王を倒すという高貴な目的の達成のための宿として、我が国に滞在してくだされ」
「ありがとうございます」
私は頭を下げる。トラオム様は、再びマナフィールドに目線を向けた。
私もしばらく、その光景に魅入ってしまう。バク顔の王子は、先程からどんどん大きなバクを連続で生成させていて、休むことはない。
気高い魂だ。どういうわけかここまで、アザラシ顔の王様(というか、これは自分の父親)と牛の王子様、そしてバク顔の王子と続き、自分の恋愛運を呪っているところではあるが、人々の夢のために国がかりで献身している様を見て、改めてこの世界を魔王から守らなければならないなと感じた。腰にかけた伝説の剣に手を触れる。サーミー王国ではキンキンに冷えていたこの剣も、だんだんと常温に近づいてきていた。
「――お土産、といってはなんですが」
私はトラオム王に切り出す。
「ひとり寂しく極寒の地で椅子に座っているであろう私の父に、夢を贈りたいのです。まだ母がいた頃の甘いひと時を、父には味わってもらうために……」
国王は、にこりと優しい笑みを浮かべる。
そういうわけで、私は実家に「いい夢」を届けることにした。料金を支払おうとしたのが、これから魔王を倒そうという勇者のためならばと無償で引き受けてくれ、本当に感謝している。
ここでも、私の王子様は見つけられなかった。しかし、人のために尽くすということについて深く考えるきっかけとなったドリーミー王国とは、私の冒険が終わった後も交流を続けることとなる。
次の行き先が決まるまでの3日間ほど、私はドリーミー王国で手厚くもてなされた。食事は豪華で、使用人も国民も優しい。王子との結婚はためらわれるが、暮らすことを考えれば最高の国かもしれないなと思いつつ、私は惜しむようにドリーミー王国を後にした。
「魔王の討伐」と「結婚相手探し」という、ふたつの夢を胸に抱いて……。
ちなみに、この話にはオチがある。
国王と王子が丹念に練成した夢のバクはサーミー王国へと飛び立ったのだが、アザラシ似の国王と野生のアザラシを誤認したため、幸せな夢はそこらへんのアザラシにお届けされることになった。
(次の国へ続く)
ふしぎの国の伝説 柿尊慈 @kaki_sonji
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