クリーミー王国にて。

 アホみたいな寒さのサーミー王国から移動してもいきなり暖かい南国に行けるはずもなく、しばらくは気温の低い国を巡らざるをえない。ここ【クリーミー王国】も、サーミー王国ほどではないにしても、なかなかに気温が低いようだ。

「あ、あなたはもしかして!」

 国の象徴であるらしい、大きな乳牛の銅像を見上げていたら、突然に誰かから声をかけられた。声のする方を向くと、そこには金髪の美青年がいる。マントを身につけて、騎士のような気品ある格好をしているが、もしかするとこの国の王子かもしれない。

 私はスカートの裾を掴んでぺこりと挨拶する。

「私、サーミー王国のクラニカと申します。魔王を討伐する旅の途中、このクリーミー王国に立ち寄らせていただきました」

 私がそう言うと、王子らしい青年も胸に手を当ててお辞儀をした。

「申し遅れました。私はクリーミー王国で王族に仕えております、ホイップと申します。クラニカ王女のことは、先日のテレビ番組を拝見して、存じております」

「あら、あなたは王族じゃなかったのね。随分と気品のある方だから、きっと王家の血を継ぐものかと思っていたのですが」

「いえいえ。私など、王子に比べれば大したことありません」

「あなたほどの美青年を凌駕するとなると、相当美しい王子なのでしょうね。ぜひ一度、お目にかかってみたいものですわ」

「ふふっ、何を仰いますか。もう既に、ご覧になっているではありませんか」

「え?」

「こちらですよ」

 ホイップは、銅像を指差した。

「これですか?」

「ええ。こちら、王子の像になります」

「もしかしなくても、実寸大ですか」

「ええ、そうです」

「牛ですよね」

「ええ」

「え、牛なんですか?」

「ええ、牛でございます」

 牛でございますか。

「ええと、一見すると乳牛のように立派なお乳をお持ちですが」

「正真正銘の、王子でございます」

「オスということですか?」

「王子でございます」

「王子でございますか」

 少しずつ彼の言葉の圧が強くなってきたので、私はそうですかと頷かざるをえない。

「……まさか、ミルクが出るのですか?」

 私が疑問を投げかけると、ホイップは笑った。

「いえいえ。ミルクを出すのは、女性だけですから」

 牛でも、メスとは言わないのだろう。牛でも、王族だから。

「しかし、こちらの王子は、今にもはち切れそうな――というか、何かしらの液体が滴っているところを像にされているようですが。まさか、ミルクですか?」

「そんなまさか!」

「では、この液体はいったい……」

「みかんジュースです」

「みかんジュースですか」

「みかんジュースです」

 オスの乳から、みかんジュース。

「そういう病気ですか?」

「いいえ、超絶健康体でございます」

 絶対病気だよ。

「ちなみに、王子様のお名前は――?」

「レモン王子です」

「ややこしいですね」

「そうですか?」

「みかんジュースを出す、レモン王子ですか」

「ええ、そうです。レモンジュースを出す、みかん王子です」

「ちょいちょいちょいちょい」

「はい?」

「早速、間違えてますね」

「何がですか?」

「入れ替わっちゃってますね。中身と名前が入れ替わっちゃってます」

「ああ、失礼しました。ぶどうジュースの出る、マロン王子です」

「ニューフェイス!」

「はい?」

「ニューフェイス! 知らない人が出てきちゃった。人じゃなくて牛ですけど」

「まあ、細かいことはいいじゃないですか」

「細かいこと? 王子の名前って細かいこと?」

「そういえば、クラニカ様は嫁ぎ先を探しているんでしたよね?」

「ええ、そうです」

「どうでしょう。ぜひ――」

「お断りします」

「まだ言い切ってませんよ」

「いいえ、わかります。わかり切ってます。お断りします」

「まあまあ。試しに最後まで聞いてみてくださいよ」

「いやです」

「ぜひ、クリーミー王国の王子であるメロン王子の妻として――」

「話聞いてないですね。っていうかまた名前変わってるし」

「では、言い方を変えましょう。ぜひ、メロン王子のメスうしとして――」

「悪くなってますね」

「はい?」

「悪くなってますね、言い方が」

「メス牛ですよね?」

「いや、メス牛じゃないですけど。メスという部分にはまだ頷けますけどね。牛の部分はさすがに否定しますよ」

「メスか牛かで言ったら――」

「メスですよ」

「じゃあメス牛じゃないですか」

「あれ? 言葉が通じないぞ?」

「頼みますよ。今ちょうど発情期なんですよ、王子」

「最悪じゃないですか」

「きっとあなたのような美しい女性を見たら、王子もジュースが止まりませんよ」

「汚すぎる」

「ジャバジャバのドバドバですよ」

「いや、ジュース出すのを抑えてくださいよ」

「飲めばいいじゃないですか」

「いやサイコパスか」

「ジュースは飲むためにありますから」

「正論に聞こえるけどね。牛の乳から出たジュースでしょ? ってか、ジュースは普通乳から出ません。しかもオスだし」

「そう、特別な存在なんですよ。この機を逃したら、乳からジュースの出る牛とお近づきになることなんてありませんよ?」

「この機すら逃したかったんですが」

 私は咳払いをする。

「ええと、それに私、牛肉好きなんで」

 ロクにアザラシ肉しか食べてなかった私だが、牛との縁談を回避するためには嘘もいたし方あるまい。

「さすがに、牛を好んで食べる女性は、妃となる資格は持たないですよね?」

「あ、大丈夫です。私も牛肉大好きなんで」

「ちょいちょいちょいちょい」

「はい?」

「え? 牛が王族ですよね、この国」

「はい」

「なのに、牛を食べるんですか?」

「食べ放題ですよ」

「食べ放題なんですか」

「国民は喜んで牛を解体してますよ」

「いやサイコパスか」

「……なるほど。クラニカ様は信仰というものを少々誤解されているようですね」

 ホイップの言葉に、私は少しだけムッとする。

「生物に対する信仰とは、特別扱いのことです。クリーミー王国を治める牛と一般的な牛とは、明確に区別されます。王族以外の牛は確かに尊ぶべき生命ですが、王族の牛はより一層神聖なのです。王族に対する信仰は私たちの精神を形作り、牛の肉やミルクは、我々の身体を構成します。役割が違うのです。王族の牛を食さず、一般的な牛を調理することには、何の矛盾もないのですよ」

 眉をひそめていた私は、その言葉に感心した。

 牛を王として祀っておきながら牛を食べるということに、何もおかしな点はないのだ。私は、宗教的な観方の存在しないサーミー王国で育ったために、信仰に対して誤った理解をしていた。ある一定の牛の集団だけは決して食べてはならないという戒律は、それ自体が神聖なる、信仰と呼ぶべき生き方なのだろう。一般的な牛から明確に区別されることで、王族たちは国民から支持され、また愛されて――。

「だいたい、ジュースの出る牛なんて食べたくないじゃないですか」

「ちょいちょいちょいちょい!」

「はい?」

「ちょいちょいちょいちょい!!!」

「強めのちょいちょいが出ましたね」

「そりゃ強めに出ますよ。何だったんですか、これまでの話は」

「我が国の王族は、ジュースを垂れ流すきったねぇ牛だという話です」

「きったねぇって言っちゃったよ」

「どうです? だんだん嫁ぎたくなってきたんじゃありませんか?」

「そんなわけないでしょ」

「おかしいな……。最高のプレゼンテーションだと思ったのですが」

「プロモーションが下手すぎる」

「ジュースを垂れ流すきったねぇ牛が王族だという点にさえ目を瞑れば、いい国ですよ」

「それが一番の問題なんですよ。そこに目は瞑れません」

「そうですか……」

 ホイップはようやく諦めたようだ。

「クラニカ様は、魔王を討伐する旅の途中でしたね?」

「ええ、そうです」

「クリーミー王国に嫁ぐ予定はないようですが、あなたが高貴なる女性であることには変わりありません。最高の部屋をご用意しますので、客人として城に宿泊されてはいかがですか? 海を隔てた隣国とはいえ、サーミー王国からの長旅はお疲れでしょうし……。最高の牛肉料理も振る舞いますよ」

 その言葉に、私は強く惹かれた。

 牛肉、料理。

 アザラシ以外の肉をまともに食べたことのない私が、牛肉料理を……?

「そうですね。だいぶ長い距離を歩いてきましたから……。魔王も私を待ってくれるでしょうし」

 ホイップが笑う。

「いっそのこと、魔王と婚姻関係を結んでみるのはいかがですか?」

 彼の冗談に私も笑顔になるが、そこでふと、ひとつの考えが私の頭をよぎった。

 何も、無理に王族と結婚する必要はないのではないか。これまで私は、サーミー王国の王女として生活してきた。だが人の幸せは、王女という立場によってのみもたらされるものではない。

 改めて、ホイップを見る。気品のある顔立ち。王族に仕える立場。夫とするには申し分ないじゃないか。

 私はできるだけ、いたずらっぽく言ってみる。

「いやですわ、魔王の妻だなんて。――いっそのこと、あなたが私をもらってくださらない?」

「えっ……」

 ホイップの頬が、少しだけ高潮した。



























「私も胸からりんごジュースが出るんですが――」

「さようなら」

 はだけた胸元から黄金色の液体を滴らせるホイップを背にして、私はクリーミー王国を後にする。


 ちなみに、街を出たあたりで謎の遊牧民と意気投合した結果、その日の夕飯として牛肉を使ったすきやきという鍋料理をおいしくいただきました。


(次の国に続く)

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