第32話 ごちゃごちゃうるせえいいから話せ
亮太の声はちゃんとタケルに届いているだろうか。
タケルの目の焦点が合っておらず、その上周りは黒いモヤで覆われている。もしかしたら聞こえていない可能性はあった。
亮太は引き続き
「亮太、近付き過ぎです!」
「うるせえ! お前は援護しとけ!」
狗神が何と言おうと、タケルへ声が届くまではこれを続けなければならない。距離を取って向こうが触手を伸ばしてくるのをただ待っているだけでは、先に亮太の体力が尽きてしまう可能性も高い。となれば、何とかしてタケルと対話まで持ってこなければならなかった。
亮太の身の安全も勿論大事だ、でも、タケルは何で追いかけてきた?
多分、亮太に助けを求めてきたのだ。少なくとも亮太にはそう思えた。
タケルの家に友達が来た所など見たことがなかった。亮太は夕方から仕事に行くのでもしかしたら夜遊びに来ている可能性もあったが、そういう奴は大抵朝までドンチャン騒ぎをした上、昼頃帰る。今までそういった奴らを沢山見てきた。だから亮太はタケルには友達、少なくともリアルに気軽に遊べる様な友達はいないのだろうと見ていた。
それが寂しいことなのかどうかは、すでにおっさんの亮太にはもうよく分からない。そもそも働いているおっさんにしょっちゅう会って遊ぶ様な友達がいる方が珍しいだろう。古い友人達は大抵皆家庭を持ち、まだ子供は未成年ばかりだ。元々そこまで人付き合いを多くはしてこなかった亮太にとって、心から友と呼べる人間はもういなかった。リュウジはいい奴で時間が合えば飲みにも行くが、あれは同僚だ、友達とはまた違う。
それが亮太にとっては当たり前だったので、タケルのそれについて深く考えなかった。そういうものなのかな、その程度の認識だった。今となってはそれが悔やまれる。
亮太は久々に思い出していた。タケルの頃の自分を。美大時代、いつも一緒に馬鹿をやる友人がいた。いつも三人でつるんでは飲んだり喧嘩したり時には絵について真剣に語ったり。どうしても商業用のイラストを描いて生計を立てたりするのが嫌で職を転々としている内に企業に就職してしまったあいつらとは疎遠になってしまったが、確かに亮太には友と呼べる奴らがいた。
助けて、救い出して、手を引っ張ってくれ。そう言える友がいた。
「タケル! 教えてくれ!」
亮太が叫ぶと、また触手が襲いかかり、それを斬る。斬ってまた一歩近づくと、ようやくモヤに隠れたタケルの顔がはっきりと確認出来る様になった。
ああ、泣いているじゃないか。
亮太の瞳がジワ、と滲む。いけない、つられた。おっさんになると涙腺もつい弱くなる。昔は泣くことが出来なかった映画も今じゃダバダバ泣いてしまうのは何故だろう。
「何がどうしたんだタケル、教えてくれ」
亮太の背後では、いつでも飛びかかれる様狗神が控えている。
「……やしい」
「ん?」
タケルの口が動いた。喋った、ということはちゃんと亮太の声は聞こえている。ああよかった。亮太の顔に思わず笑みが浮かんだ。
「悔しい悔しい悔しい!」
ボロボロ涙を流しながらタケルが叫んだ。ちゃんと目が合った。戻ってきた、少しずつだけどこちらに戻ってきた、いい感じだ。
「皆は上手くやってるのに僕だけ上手く出来ない、学校なんて嫌いだ、皆幸せそうで笑ってて、皆ばっかり狡い、狡い!」
やはり学校生活が上手くいっていないのだ。まだ大学一年生だ、馴染めないこともあるだろう。周りの自分以外の全員が上手くいっている様に見えてしまう。よくあることだと言ってしまえばそれまでだが、これまで挫折したことのない人間であればある程それはきつく感じるだろう。
妬み、そねみ、そういった感情を酒の勢いで吐露する奴らはごまんといる。亮太を人として思わずただ相槌を打つロボットかの様に扱う奴らも沢山いる。そういう奴らに共通するのは、自分の弱みを見せられないということだ。自分は偉い、こんな立場に甘んじている人間じゃない、それを誰かに認めて欲しい。だが認めてもらえないので毒を振り撒き、更に人は離れていく。
だから、タケルは自分が弱い人間で、それは別に悪いことじゃないと認めないと解決しない。亮太はそう思った。
「タケル、上手く出来る奴も勿論いる。でも出来てない奴もお前が見えてないだけで沢山いるぞ」
すると、タケルが亮太を睨みつけた。黒いモヤの中から睨まれると迫力は倍増だ。
「何だよ! あんたはいつも偉そうにしてるけど、どうせネットの奴らみたいにちょっと攻撃したら尻尾巻いて逃げるんだろ!」
「ネット?」
正直亮太はインターネット系はよく分からない。検索はするが、その程度。何かの掲示板があってそこで活発に会話が繰り広げられている、という話は客から聞くこともあるが、そのことだろうか。
「みんな偉そうに僕に説教垂れて僕が追いかけると最後には消えるんだ! 奴らは大したことないのに大勢で寄ってたかって僕を苛めるから、だから僕が仕返しして何がいけないんだ!」
「……俺にはネットのことはよく分かんねえが、タケル」
またタケルの周りをたゆたうモヤが濃くなってきた気がする。根本を叩かないと、エンドレスらしい。
「お前は一度でもそいつらの気持ちを想像したことはあんのか?」
「気持ち……?」
大半はお節介なのだろう。タケルが何か攻撃的なことを言ったから、諌める様なことを言ったのではないだろうか。中には説教臭いものも勿論あるだろう。そういう意味では亮太のお節介だって十分説教臭い。
でも、そいつらは少なくとも画面越しではあってもタケルに多少なりとも向き合おうとしたのではないだろうか。そんなことしてないでもっと気楽に生きようよ、楽しい道はあるよ、そういう気持ちはゼロではなかっただろうと亮太は思うのだ。
「奴らは、僕を追い出そうとばっかりするんだ、僕のことが嫌いなんだ!」
「つまり、構って欲しいのに構ってもらえなかったからいじけてるんだな」
「う……うるさい!!」
「わっ!」
図星だったらしい。今までで一番激しい攻撃が来た。全てを斬ることが出来ず上から来た触手を避けると、砂利の上で霧散した様に見えた触手の塊が跳ね返って亮太の足首を掴んだ。
「亮太っ!」
狗神が叫ぶ。しまった、触っちゃいけないと言われたが触れてしまった。斬ろうにも足首に纏わりついて斬りようがない。
だが。
「別に何ともないぞ」
くっついているだけで、ただそれだけだ。狗神が呆然と亮太を見ていた。
「何とも……ないのですか?」
足を上げてみると普通に上がる。モヤがくっついてはくるが。重くもない、痛くもない。足をプラプラ振ってみた後、亮太は頷いてみせた。
「問題なさそうだな」
「……ふっ」
すると、狗神が急に笑い出した。何だ何だ、今は笑うところか?
「ふふ、亮太らしいですね……! こんな人間、久々に見ました」
「こんな人間ってどういうことだ」
あまりいい意味ではなさそうだったが。思わず亮太が口を尖らすと、狗神が更に笑った。
「いえ、亮太はいい人ですね」
「答えになってねえよ」
「大丈夫です」
「なんだよ全く」
どうせ狗神は言いたくないことは言わないのだ。亮太はもう一度タケルに向き直った。触れて問題ないのであれば、もっとやりようがある。
「ほらタケル、そんなんほっぽっといてさっさと帰ろう」
幸い今日は餃子がたんまりとある。どうせ喋る犬も变化する蛇も見られてしまったのだ、もう隠すことなど何もない。だったら家に入れても何の問題もなかろう。
「そんで一緒に飯食おう。愚痴はそん時に聞いてやる」
「僕の……僕のこの悩みが、愚痴だって!?」
どうも言い方が気に食わなかったらしい。そういう意味では繊細なのだ。
「あんたなんか! ただの雇われ貧乏バーテンの癖に生意気なんだよ!」
「……ほほお」
事実だ。ただの雇われ店長で貧乏だしバーテンダーだ、何一つ間違っていない。
が、しかし。
亮太は思い切り眉間に皺を寄せてつかつかとタケルの目の前まで歩いて行くと、草薙剣を握っていない方の手でタケルのおでこに盛大なデコピンを放った。
「……!!」
タケルがおでこを押さえてしゃがみ込む。痛かったのだろう、そうだろう。痛くしたから痛くないと困る。
タケルに触れた指先にモヤが張り付いたが、くっついただけだ。亮太はぺっぺと振り払うと、暫くしてそれは空中に消えていった。
しゃがんでいるタケルの襟首を掴んで立たせた。
「お前、明日から俺の店でバイトな」
「は……? 何で僕がそんなこと」
今度は脳天にチョップを入れた。タケルはくぐもった声を上げてまたしゃがみ込んだ。
亮太はタケルの襟首を掴み顔を近付けると、思う存分睨みつけながら言った。
「俺は貧乏だし雇われ店長だけどな、バーテンダーっつう仕事には誇りを持ってんだよ。やったこともねえ癖に勝手に見下すんじゃねえ。お前に足んねえのは経験だ」
「な、何を」
「職業に貴賎はないって習わなかったか? ブルーカラー舐めんじゃねえ」
そう言うと、亮太はタケルの鳩尾に多少力を抜きつつ一発入れた。「ぐえっ」と声を出して倒れ込んできたタケルを抱きとめると、亮太はタケルの背後の一番闇が濃い場所に向かって声をかけた。
「お前だろ、こいつに悪さしたのは。出てこい」
闇の塊が亮太を見た気がした。タケルを地面に寝かすと、亮太は草薙剣を構えて闇の塊に向き合う。と、塊が大きな鎌首をもたげた。
これ、八岐大蛇の首に関係あるんじゃないか? ふとそんな気がしてきた。
「もうこいつに構うんじゃねえ、よ!」
掛け声と共に草薙剣を横に大きく振り払うと、闇の塊が空中に消え始め、――音にならない断末魔の悲鳴の様なものが聞こえた気がした。
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