第31話 それで誰がそれを使うんだ

 狗神は、黒剣のことを草薙剣くさなぎのつるぎと呼んだ。みずちが鞘として保管していた神器である。


 見た目は黒い金属で出来ており、至ってシンプルな作りだ。


 その剣の周りを護る様に空中でくるくると巻きついていた、水神に変化したみずちが亮太を振り向いた。


 みずちの向こうには、黒いモヤがムカデの様に蠢いているタケルがいる。


 それまで亮太を守る様に間に立ち塞がっていた狗神が、亮太の横に並んで亮太を見上げたまま止まった。


 誰も何も言わない。皆が亮太を見ているが、これは一体どういうことだろうか。


 勿論生まれてこの方神器なんて見たこともなければ触ったこともない。どういう風に使うかも勿論知らなければ、誰が扱えるかも当然分からない。


「イヌガミ、この後どうするんだ?」


 亮太としては至極当然の質問であった。


「それを使い悪い気を追い祓います」

「うん、で?」

「それはどういったご質問でしょう」

「え? だってこれ、神器だろ?」

「勿論、間違いなく本物の草薙剣ですよ」


 どうも話が噛み合っていないようだ。相変わらず皆が亮太に注目している。正直居心地が悪かった。


 亮太は頭を掻きながら言う。


「いや、だからさ、この後これを使って誰がどうするんだ?」

「はい? 魔を祓う剣ですよ、あれを祓うに決まってるじゃないですか」

「うん、だから、誰がやるんだ? だってこれは須佐之男命スサノオノミコトしか扱えないってイヌガミが前に言ってただろ?」


 アキラの正体の説明の時に、確かそんなことを言っていた筈だ。しかし返ってきた答えは否定だった。


「いえ、本来であればそれを須佐之男命スサノオノミコトが使って八岐大蛇を退治すると言っただけですよ」

「ん? つまりどういうことだ?」

「……いえ、ですから」


 みずちと狗神が、亮太をじっと見つめていた。いや、まさかそんなことはあるまい。


「……俺?」


 自分を指差して尋ねると、二人共息を合わせたかの様に頷いた。


 いや、ちょっと待て。それはいくら何でもあり得ないだろう。


「いや、俺、ただの一般人のおっさんなんだけど」

「おっさんだろうが何だろうが、みずちが貴方を選んだので今この状況では貴方しか使えませんよ」

「はい?」


 狗神の言っていることは全く以て理解不能だった。


みずちの口の中は、別の空間へと繋がっています。その空間の入り口は、みずちが許可しなければ開かないのです」

「はあ」

「情けない声を出さないで下さい。……従って、許可された者以外が剣に触れた途端、門は閉じて剣もしまい込まれるのです」

「と、いうことは?」


 狗神が半ば呆れた様に言った。


「今この場で草薙剣を扱えるのは、ただの一般人のおっさんの亮太だけなのです」


 亮太の口が豪快にパカっと開いた。剣道すらやったことのない亮太に、こんな大層な剣を振り回せだと? いや、無理無理無理。


「とりあえず柄を掴んで下さい」


 狗神がそう言うと、ふわりとみずちが近づいてきて、亮太が手を伸ばせば剣に届く様にしてくれた。くれたのだが、でも。


 こんなもん、自分が振り回していいものなのだろうか?


 どう考えたって分不相応だ。だって曲がりなりにもこれは三種の神器の一つである。


 だが。


 亮太を見つめるみずちの潤んだ様な瞳には、信頼があった。狗神の話が全て本当ならば、みずちが亮太を選んだのだ。この子供の龍が、自分だけを。


「……格好悪くてもガッカリするなよ」


 ここで引いてはみずちの期待を裏切ってしまう。亮太は、柄を右手で握り締めた。


 狗神が一歩引きながら言った。


「元々そこまで格好いいと思ったことはありませんからご安心下さい」

「あーそーですか!」

「狗神酷いー。亮太、格好いいよー」

みずちはいい奴だなー」


 草薙剣はずしっと重かった。亮太の体力ではこれを片手で振り回すなど無理だろう。明日腕が上がらなくなってしまうのは目に見えている。


 亮太は柄を両手で掴むと、適当に構えて少しずつ、少しずつこちらへと前進して来ているタケルと対峙した。さすがに境内の中では身体が重いらしい。


「それで、この先どうすりゃあれを祓ってタケルを元に戻せる?」


 まさか人間を叩き切る訳にはいくまい。


「出来る限り祓詞はらえことばを唱えて動きを封じつつ、少しずつ削っていくしかないでしょう。苦しくなれば、いずれ本体が出てくる筈です」


 狗神が亮太と距離を置きながら答えた。まさかこいつ、亮太が間違って狗神を切ってしまうとでも思ってるんじゃないだろうか。


 あながち可能性はゼロではない為抗議は出来ないが、にしても信用ないことこの上なかった。


 亮太はタケルに一歩近付いた。


「本体なんてのがあるのか?」

「一際濃く黒い塊がある筈です。何かキッカケになった物が」

「分かった」


 亮太はタケルに更に近寄り、声をかけてみた。


「タケル?」


 だが、目線は合わなかった。代わりにタケルが腕を重そうに亮太の方に伸ばす。


 途端、黒いモヤが鞭の様にしなりつつ亮太を襲ってきた。


「うおっ!」


 思わず剣を振り回すと、切れた触手の先がサアッと空中に霧散した。おお、切れた。亮太は思わず感動してしまった。


「亮太、祓詞はらえことばを!」

「あ! そうだったな!」


 つい忘れてしまう。亮太は小さく口の中で祓詞はらえことばを唱え始めた。すると、苦しいのか、タケルの口が叫ぶ様に開き、中から出てきた触手が亮太に一直線に向かってきた。


「祓え給え……っとお!」


 身体を捻って攻撃を避けながら、袈裟斬りに斬りつける。こんな僅かな間に手はしっとりと濡れ、柄が滑りそうになった。亮太は服の裾で手のひらの汗を拭き、構え直した。


 よく見ると、タケルの口が小さく動いている。何か喋っているのだ。


 よく聞こうと思い一歩近づくと、今度は頭上から触手が襲ってきた。亮太は上に向かって一閃すると、切られた部分だけが消え去った。


「亮太! 不用意に近付き過ぎです!」

「タケルがなんか言ってるんだよ!」

「それに当たっては駄目ですよ! 亮太まで取り込まれるかもしれません!」

「まじか」


 それはもう少し早い段階で教えて欲しかった。どうも狗神はそういう点気が利かないというか不親切というか。心の中でぶつくさ文句を垂れつつ、それでも近寄らねば何を言っているのかが聞こえないことに変わりはない。


「タケル!」

「……お前らの所為だ、お前らの所為だ、お前らの」

「タケル、何が……」

「うるさい!」


 タケルが叫んだ途端、これまでとは比較にならない量の触手が前方から亮太を襲った。巨大な蛇が鎌首をもたげて今にも呑み込もうとしている、そんな錯覚を覚えた。


 亮太は重い剣をなるべく狙いを定めて振り回すが、いかんせん重くてなかなか思い通りの所にいかない。


「亮太、明日から筋トレですね」


 後ろで飄々とした声が指摘してきた。亮太はイラッとして歯を食いしばって剣を振り回し続けた。やばい、すでに腕が重い。かなりキツい。


 黒い触手は一旦引きタケルを覆うモヤは心なしか小さくなった気がするが、気がする程度だ。


 違う、切ってお終いなんかにしていい訳がないのだ。タケルには何か抱えているものがある。それをただ切って祓っても、同じ闇はきっとまたタケルに巣食う。それでは何の意味も為さない。


 何の為に祓う?



 もう二度と同じ闇に取り込まれない為にだ。



 亮太は正眼に構えた。口の端が少し上がった。あそこにいるのは、ただのタケルだ。


「お前はもうちょっと人を頼ることを覚えた方がいいぞ!」


 タケルに届く様、出来るだけ声を張り上げて言った。


「折角お前んちの隣にはお人好しで単純なおっさんが住んでるのにさ、何で言ってこないんだよ!」


 散々狗神に言われたことだ。騙されやすいだの散々言われたが、分かってる。犬にだって分かる位、亮太はお人好しなのだ。放っておけない。


「話せよ! タケル!」


 届け、タケルに届いてくれ。そう願いながら、亮太は叫んだ。

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