第5話 違和感を覚えても、ただ、それだけ

「あー!いろっちやっと学校来た!」


 教室の扉を開けると、まっさきに北西が声を上げて駆け寄ってきた。


 僕はあの日に家に戻ってから心身ともに疲労し、学校に行く体力はなく二日学校を休むことになった。それが木曜日と金曜日だったために、こうして北西と顔を合わすのは五日ぶりということになる。長期休暇でも無いのにこんなに間が空くのは今までになく、北西の顔を見てかなり久しぶりに会った気分になった。


「久しぶりだねー!風邪は大丈夫そうだね!休んでる間つまんなかったよー!」

「ごめんごめん。もう大丈夫だから。貴田は?まだ来てないの?」


 貴田の机に目をやると、その椅子は未だ持ち主の体重を支えてはいなかった。


「うんまだ!まぁ、いつも時間ぎりぎりにしか来ないからね!」

「……そうだね」


 彼女の言った通り貴田は遅刻ギリギリでいつも学校にやってくる。この時間帯でもまだ姿を見せていないのは当然と言えば当然だ。しかし、どこか嫌な予感というものを感じてしまっていた。ただの杞憂であれと願うが、先日のこともあり、それが僕の不安に拍車をかけていた。


「ホームルーム始めるぞ。席につけー」


 八時二十五分。この教室の担任である里崎先生が入ってくる。未だ貴田の姿は見当たらなかった。


「お、思色来たな。もう大丈夫なのか?」


 教卓の向こう側からじっと目を見据えられる。何気ない、僕の体調を心配してくれている質問のはずなのに、どこか全てを見透かされるような気がした。


 眼差しに少しだけ気おされながらも、肺の中から空気を出し、喉を震わせた。


「はい、元気です」


 学校にはもちろん北西や貴田にも、親にだって、学校を休む理由は風邪だと伝えてある。一人で見知らぬ誰かと命のやり取りをした。本当の理由を言ったところで誰が信じるというのだろうか。


「せんせーい!きだっちが来てません!」

「見たら分かる。それと北西。目上の人と会話するときは、友達をあだ名で呼ぶな。貴田と言え」

「風邪?遅刻?」

「話を聞け」

「そうかあ、風邪かあ」

「北西。会話をしてくれ」




 里崎先生が言うには、貴田からはまだ連絡を貰っていないらしい。この後、家に電話をする予定だそうだ。


 その他のクラスメイトの出欠確認を終え、里崎先生はホームルームを締めくくった。


「あ、そうだ。思色は昼休憩にちょっと先生の所に来てくれ」

「え?あ、はい」


 教室を出る間際、里崎先生は僕に要求を突きつけ扉から外に出ていった。


 何の用件だろうか。僕が休んだ件?それに関しては風邪とすでに伝えているはず。となると、貴田が休んでいる事だろうか。しかし、僕の所にも何の連絡もない。色々と考えてみたが、結論など出るはずも無かった。






「お弁当っお弁当っ」


 北西はいつも通り自分の弁当を片手に僕の席にやってくる。いつも通りでない事と言えば今日は一人足りない事くらいであった。


「里崎先生に呼ばれてるから、一緒に食べられないよ」

「あぁ!!そうだった!!いいじゃんいいじゃん。食べてから行こう!」

「まあ、確かにそれでも良いかもしれないけど……」


 僕は午前中の間、里崎先生が自分を呼びつけた理由を気にしていた。昼飯を食べた後でも問題は無いのかも知れないが、先生に呼ばれる気持ち悪い感覚を早く解消したかった。


「あれ、結先輩。貴田先輩は休みですか?」

「あー!みきっち!」


 いつの間にか、そこには自分の弁当を手にした宮内が立っていた。


 先日の事件以来、宮内はそれなりに話が出来る人も増えてきたようで、昼ごはんも自分の教室で食べている。しかし、たまにこうやって僕たちのいる二年生の教室までやってくることもある。それに、北西とは特にかなり仲良くなったのか、下の名前で呼び合うようになっていた。


「連絡は来てないようだけど、たぶん風邪だよ」

「へえ。風邪なんてひきそうにないのに……」


 どこか残念そうな顔をする。


「確かに!きだっちがいないとつまんないよね!」

「え、いや、別に、そういうわけでは……」


 少し恥ずかしそうに、顔を薄く染めて宮内は目線を下げる。彼女は貴田へ強く当たることがあるが、それは愛情の裏返しなのではないかと僕は見ている。少なくとも、言葉通り心配していないというわけではなさそうだ。


「まぁ、ちょっと僕は先生のところに行ってくるから先に食べといてよ」

「分かった!早く戻って来てよ」


 一緒に食べる相手が現れたからだろうか、先ほどと違って北西が僕を止めることは無かった。教室の扉を開けて職員室へと足を運ぶ。






「それで、用件は何ですか?」


 目の前に出されたコーヒーを一口飲み、テーブル越しに座る里崎先生に尋ねる。


 里崎先生を訪ねた僕は、学校の外に行こうと言われ、こうして近くにある喫茶店に連れてこられた。しかし、目の前の男は先ほどから、コーヒーを飲み、煙草を吸って何か考えている様子で一言も言葉を発していない。


 先の短くなった煙草を灰皿に押し付けると、ようやく口を開いた。


「貴田の家は留守のようだった。電話に出ない」

「寝てるんですかね」

「まぁ、そうだとは思うが……」


 歯切れの悪い返答。何かそれ以外にあるとでも言うのだろうか。


「お前、先週休んだ理由は何だ?」


 里崎先生の目が僕を捉える。迫力があるわけではない。しかし、心の中まで見透かしているかのようで、嘘を付いても意味がないと思わされる。


「風邪だと連絡したと思いますが」


 負けない様に目を見つめ返す。


 里崎先生は新しく煙草に火をつけ、ゆっくりと煙を天井に向かって吐き出した。


「本当のことを教えろ。今からお前の言うことは全部信じてやる」


 風邪が嘘であることはばれていると実感する。しかし、だからといって、本当の事を言うべきだろうか。


「信じてやる」


 再び目が合う。落ち着いた、静かな、見ていると落ち着く目。根拠は無い。しかし、言ってみようかという気になった。仮に信じてくれなくてもそれで終わりだろう。周りには風邪ということで落ち着いているのだから。


「……信じてくれるとは思いませんが。実は」






 二人の間を沈黙がつつむ。目の前に座る里崎先生は肩肘をつき、眠るかのように目を閉じている。何か考えているのだろう。


「信じられないのはわかります。でも、休んだ理由はコレが本当です」

「成る程ね。信じるよ」


 里崎先生は目を開け、テーブルから肘を離し胸の前で組む。


「こんな突拍子も無い話をそう簡単に信じるんですか?」

「ま、信じるって言ってしまったしな。それより、お前こそ、これから俺の言う話をそう簡単に信じられないかもしれん」


 コーヒーに口をつけ一呼吸置くと、その言葉の続きを話し始める。


「宮内に想像力っていう力があることは、もう知っているな。ああいった力っていうのは、他の人も持っているものなんだ」

「……皆が人の気持ちを想像出来るってことですか?」


 里崎先生が何を言おうとしているのか分からなかった。ある程度の想像は誰だって当然出来るだろう。しかし、宮内はそれが突飛であったから問題だったのだ。


「そういうことだ。それなのに宮内が悩んだのはあいつの長所が想像力で、その力のランクが中途半端に高かったからだ。だから苦しんだ。問題になった。ただ、俺が言いたいのはそれだけじゃない。似たような力が想像力以外にもあるということだ。例えば……観察力」


 観察力。それだってある程度は誰でも持つ力であろう。その観察力とかいう力が何か問題になるのだろうか。それに、ランクというのはなんだ?


「俺は観察力のランクAだ」

「何を言っているんですか?」


 頭が追い付かない。観察力?ランクA?


 混乱している僕の様子を観察したのか、里崎先生は説明を始める。


「まず、普通の人が持つ能力ランクというものは全てEだ。長所と呼ばれる程度の力しかない。しかしだ、それが突飛なものであれば、ランクはDに上がる。これは才能みたいなもので、努力でどうにかなるものじゃない。宮内は想像する才能があった。だからランクDになり苦労していたんだな」


 里崎先生はそこで一息つき、煙草に火をつけ始める。


「宮内は高校に上がってから苦労していました。それまでは何ともなかったようですけど?」


 とりあえず頭に浮かんだ疑問を投げかけてみる。


「才能はいつ開花するものか分からないんだよ。宮内の場合は高校でだった。一度ランクDに上がると、ランクBまではある程度の努力で上がると言われている。ランクAまで開くのはこれもまた才能だ」

「さっき先生は自分が観察力のランクAだと言っていましたが」

「そうだ。俺は観察力の才能を持っていた。だから使っていくうちにランクAまで上がった」


 自慢でもしたいのだろうか。仮にその才能を里崎先生が持っていたとして、この僕に何の話をしたいのか未だに分からない。


「それで。何が言いたいんですか?」

「ここまでは信じてくれたか?」

「まぁ、信じないと話が進みそうにありませんからね」


 そう言って自分の頭を落ち着かせようと、目の前にあるアイスコーヒーを手に取り一口飲む。冷たい液体が喉を通り、体全体の温度を下げる。


「貴田は読心力の力を持っていた。まだランクDくらいだけどな」

「読心力?」

「簡単に言えば、人の考えを読むことが出来る」


 里崎先生の目を見つめる。嘘を言っているようには思えなかった。わざわざ僕を呼び出しておいて嘘を付く理由もない。


「貴田が人の心を読める?そんな…。いや、それなら宮内の時もあいつには原因が最初から分かっていたということですか?」


 その時の事を思い出す。最終的に答えに辿り着いたのは僕だ。そこに至るまでに一緒に頭も抱えていたはずだ。それは演技だったということか?自分の力がばれないように?本当は分かっていて?


「まだランクDだからな。強く相手が思う事を読めるくらいだろう。そんなに何でも読み取れる域には達していないはずだ。だからお前らを騙そうと意図していたわけじゃない」


 僕の疑心を読み取ったかのように里崎先生は貴田の肩を持つ。


「そうですか」


 貴田がそんな能力を持っているなんて事だけで、自分とは遠くに行ってしまったような、今までの全てが嘘だったかのような気持ちがした。でも、別に僕たちを騙すつもりではないのだ。里崎先生の言葉を鵜呑みにして自分に言い聞かせる。


「それで?」


 話を促す。それで終わりなわけがない。


「貴田が誰かに拉致された可能性がある」

「……え?」


 すでに突拍子も無い話ばかりで、何か小説の話でも聞かされているような気分だった。今さら何を言われても驚かないと思っていたが、急に再び理解が追い付かなくなる。


「読心力なんて異常な能力だと思わないか?」

「それは当然思いますけど。読心力に限らず思います」


 里崎先生はより真剣な口調で話しを続ける。


「本来こういうのは、人が通常持つ長所の延長線上にあるものなんだ。ただ、読心力は別だ。普通の人はランクEすら持っていない。レア物なんだよ。それで、そのレア物っていうのは需要があるんだ」


 店内に流れる緩やかな音楽だけが平常を保っていた。それに反して僕の頭の中が里崎先生の言葉の意味を理解し、不安の種を生んでいた。


「貴田の能力を欲した誰かに攫われたと言うことですか?」


 現実的に考えればありえない。でも、そうなのだろうと直感してしまう。


「その可能性があるということだ」

「学校に来ていないのも風邪ではなく、攫われたから?」

「確信は無い。だが、あいつの持つ能力、お前が巻き込まれた事件を考えると、俺にはそう思える」


 何本目だろうか。里崎先生は再び煙草に火をつけ、息を吸い込む。自分の言葉を噛み締め、それについて考えているように見えた。


「僕が巻き込まれたって、さっき話したことですか?それが貴田と何の関係が?」


 里崎は何か思案したように間を空け、問いかけてくる。


「お前は何か力を持っているのか?」

「え……?いや、何も無いですけど」

「……そうか。恐らくだが、お前は貴田と間違われてそのゲームとやらに巻き込まれたんだ。その後になってそれに気づいて、貴田が攫われた」


 里崎先生の予想は突拍子もないものに思えた。自分が多少なりとも巻き込まれていなければ、一笑に付して終わっていただろう。


 しかし、自分は体験してしまった。誰も信じてくれないであろう非現実的な状況に一度巻き込まれた。その後に友人が消えた。その友人には力があると聞かされた。これらを繋げられると、何か関わりがあることを否定できなくなる。


「だったら……。だったら何とかしないと。攫った相手とか、貴田の現在地とか分からないんですか?」

「分からん。それにまだ予測の域だ。ただの杞憂の可能性ももちろんある。ただ、今後もしかすると何かあるかもしれん」

「何かって。何があるんですか?」


 そんなこと里崎先生も分からないことくらい予想できる。それでも、僕には質問をすることしかできなかった。


「まぁ、そう心配するな。とにかく、おかしな事があったら直ぐに俺に言え。いいな」


 分からない事だらけ。


 心の中にすっきりとしないモヤモヤした感覚だけが残ったが、目の前の先生に問い詰めたところで解決しない事は分かっていた。


「よし、話すことは以上だ。昼休みも終わるから、もう戻れ」


 授業なんて受ける気分では無くなったが、先生の前でそんな事を言うわけにもいかず、素直に従った。喫茶店の扉を閉める時に、里崎先生がまた煙草に火をつけ始めているのを見た。


 先生も授業があるんじゃないのか。


 そんな納得のいかない感情を抱きながら僕は学校に向かった。






 肺にたまった煙を天井に向かって吐く。白い煙が緩やかに上へ上へと舞い上がっていった。思色に嘘を言っている様子は無かった。嘘をつくメリットも無いだろう。つまり……。


「自覚は無し……か」


 相手は気づいてないだろうか。気づくには難しい能力のはずだが、それでも巻き込まれる可能性は高い。それに、すでに一度関わってしまっているわけだ。きっかけを与えてしまっているかもしれない。ともかく、一刻も早く貴田を見つけるべきか……。


「全てが俺の思い違いならいいんだけどな……。恨むぞ観察力」






 家のベッドに横になり、天井を見上げる。今日の放課後は教室に残らず、真っ直ぐに家に帰ってきた。北西は寂しそうにしていたが、しょうがない。今はそれどころではない。


 考えることが多すぎる。


 貴田がいないという事がこんなに謎深まる事態に繋がるなんて。いや、まだ可能性があるだけか……。


 すると、枕元に置いておいた携帯が鳴りだした。どうやら電話らしい。


 とりあえず、手に取ると、貴田の名前が表示されていた。


 ドクンと心臓が脈打つ。すぐに通話ボタンを押し、耳に近づける。




「貴田か!?どこいるんだよ!皆心配してるぞ!」

「……思色くんね?」


 僕の耳に届いた声は貴田の物では無かった。画面をもう一度確認するが、そこにはやはり貴田の文字が浮かんでいた。


「誰……ですか?」


 問いかける声は女性のものだった。しかし、その声に聞き覚えは無く、僕の知らない人物だろうと予想できた。


「私は冬島よ。貴田くんの携帯からかけているから分かると思うけど、彼は私の近くにいるわ」

「それは……、どういうことですか?」


 慎重に質問を投げかける。貴田の携帯からかかってきたからといって、この冬島という人が貴田の親戚といったことは無いだろう。なんとか情報を得なければ。


「貴田くんが学校に行っていないことは知っているわね?それは私たちが攫ったからよ」


 里崎先生の言った通りだ。予想されていたとはいえ、現実を突きつけられると頭の中が混乱してくる。


「……なぜですか?」

「必要だったからよ」


 必要?貴田が必要とはどういう意味だろうか。


 貴田に関することと言えば……読心力?


「どうして貴田が必要なんですか?」

「知りたい?」


 この冬島が貴田の力を知っているとは限らない。限らないが、たかが高校生の利用価値なんて、そんな特殊な力を持つ場合だけだろう。


「教えてくれるんですか?」

「ふふ……。そうね、条件があるわ」


 恐らく冬島は貴田の読心力を知っているのだろう。しかし、僕がそのことを知っているとは思っていないはずだ。


「今週の土曜日。朝九時に黒田駅の目の前にあるコンビニ前に来なさい」

「僕がそこに行けばその理由を教えてくれるんですか?」


 貴田が攫われた理由を教えてくれるだけというのなら、僕にメリットはほとんどない。いきなり知らない人に場所を指定されて、不用意に行ってしまう馬鹿がそういるものか。それ相応の見返りを求めるべきだ。


「そうね。あなた次第といったところかしらね」

「……貴田を攫ったという人の前にのこのこ現れると思っているんですか?」

「もちろん。だって、貴田くんに一生会えないのは寂しいでしょう?」


 携帯を持つ手に力が入る。冬島は貴田を人質に取っているのだ。攫った理由を話す話さないという問題ではない。僕が行かなければ、貴田は何をされるかわからない。


 僕にメリット、デメリットを考慮して選ぶ選択肢は既に無かった。


「とにかく、今週の土曜日。待ってるわね」


 女性がそういう言うと、僕の返答を待たずに通話は切れてしまった。携帯をベッドに放り投げ、椅子に座る。先ほどまでの緊張した空気は未だ僕の部屋を支配していた。


 貴田を取り返すには行くしかない。半強制的に行動を決められたため、僕は心を決めるしかなかった。

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