第4話-3 知らない場所で起きている異変

 カチッ


 弾は出なかった。ラスト一発。この拳銃に弾は入っていなかった。


 全身から力が抜ける。不安と恐怖が取り去られると同時に僕はその場にしゃがみこんでいた。


「……素晴らしい。ゲームクリアです」


 目の前の男は感嘆の表情を浮かべ、両の手を叩いていた。


「これで帰してくれるんでしょう?」


「えぇ。約束ですから」


 男は僕の目の前まで近づき、手を伸ばしてきた。反射的に避けようとしたが、しゃがんでいた僕に大きな動きは出来ず、首から上に衝撃を感じると同時に意識はどこか遠くへ飛んでしまった。





 ジリリリリリリリリリリ。


 目覚ましの音が頭の上で鳴る。僕はそれを止めて体を起こす。そこで初めて自分がベッドの上にいる不自然さを思い出した。昨日僕は男に気絶させられたはずだ。どうして自分の家のベッドで寝ているのか。


 時刻は七時半。自分の部屋から出て階下のリビングに入ると、いつも通りに母親が朝食の準備を終え、テーブルでコーヒーを飲んでいた。


「夏、おはよう」


「おはよう」


 あいさつを返し、定位置となっている席に座る。


「母さん、昨日僕どうやって家に帰ってきたっけ?」


「そうそう。何してたの?男の人があなたを家まで届けてきてくれたのよ?公園で眠っていたのを見かけたとかって」


 公園で寝ていた?そんなことをした覚えはもちろんない。ゲームが終わって男に気絶させられ、その後僕の家まで送ってくれたとでもいうのか?ゲームに負けなかったから?


「どんな男の人だった?」


「うーん。背は中くらいかなあ。私より大きかったけど、二十後半くらいのイケメンって感じだったわね」


 中くらいの背?僕と相対した男は低身長だった。さらに年齢はどう見ても六十歳は越えているように見えたが、暗かったためにあまり信頼性はない。しかし、身長をごまかすことはかなり難しいだろう。やはり送ってくれた人と僕が会った男は別人なのだろうか。とするなら、その男は気絶した僕を公園に放置し、だれか優しい人が送ってくれたのか?


 僕は目の前のトーストを手に取り、一口かじる。ただの普通のパンの味。たったそれだけのことであるが、生を実感し、と同時に昨日感じた恐怖の記憶がよみがえってきた。


 生きている。あの理不尽な恐怖から僕は解放された。


 思い出すだけで鳥肌が立ってしまうあの恐怖から。死の淵から。


 朝食を全部食べ終え、自分の部屋に戻ると、ベッドに倒れ込んだ。ついさっきまで寝ていたはずだが、強い眠気に襲われた。まだ体が疲労しているのだろうか。それに抵抗することはせず、学校がある平日であるが僕は目を閉じ夢の中へ吸い込まれていった。




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「どういうことだ?どうしてクリアできた?あいつも何かのアド持ちなのか?」


 部屋の中には男性と女性の二人。男性は立ち上がり混乱している様子で部屋の中を歩き回っている。


「うるさいわね。ちょっとくらいじっとしていられないの?」


 女性の方はと言えば、じっとテレビに目を向け集中していた。そのテレビには先ほどまで行われていたロシアンルーレットのゲームが再び映し出されていた。


「はぁ?何様だお前。さっきから録画を熱心に見てるけど、時間の無駄じゃねぇか?」


 男性は立ったまま座っている女性の背中をねめつける。その眼には殺意など宿ってはいない。しかし、この場を支配するかのような得もいえぬ空気がこの部屋を満たしていた。


 女性は微動だにしない。変わらずじっとテレビに目を向けている。それでも緊張を感じてはいるようだった。彼女は男性のアドを知っている。それでも、いや、だからこそ体は意識に逆らい反応してしまう。背中を一筋の汗が伝っていた。


「時間の無駄ではないわ。アドまでは分からないけれど、恐らく、きっかけは分かった」


 喉から必死に紡ぎだした言葉が小さなこの部屋を反響する。


「へぇ、流石だな。それで?そのきっかけってのは?」


 男性が言葉を発した時にはすでに部屋の中は元の空気に戻っていた。


「拳銃に弾が入っていないと考えるに至ったきっかけ。元からそのことを分かった上でゲームを見返してみると穴がよく分かるわ」


 彼女は気づいたことを彼に語って聞かせる。


「まず、富永のゲーム説明よ。クリア条件は負けなければ。一言も勝つ必要があるなんて言っていないわ。引き分けでもクリア。次に、コイントス。思色には選択肢を与えていない。勝手に表が出れば先攻とされた。そして、コイントスをして押さえた後に顔が写っている方が先行と言われる。少し訓練すれば着地の瞬間にどちらを向いているかなんて誰でも判断出来るわ。場合によれば写っていない方が表だと言い張ることも可能。そして、二回相手に発砲して負けになった時用にナイフがあること。弾が入っているなら残りの弾数を相手に撃ち続ければ十分よ。最後にもう一つ。富永に緊張感が無かったことね。このゲーム中ずっと笑っていたわ。当然ね。死ぬ恐れはないんだもの。あの人は相手を見てずっと楽しんでいた」


 彼女は煙草に火をつけ一息入れる。自分で語っていて、どれだけこのゲームに穴が多いのか気づかされた。しかし、これは弾が無いことを知っているからこそ気づくことの出来る違和感。答え合わせで気づくミス。これにノーヒントでたどり着けるとは彼女には到底思えなかった。


「これらのことに全部気が付けば確かに、弾が入っていない可能性について考慮するかもしれないわね」


「ふーん、成る程。あれ?ジジイのアドって手力だろ?それ利用してマジックで飯食べていたわけだし。コイントスの時にそんな面倒くさいことしたのか?」


「当然アドを使ってるわよ。富永は手力を使って、入れた様に見せた弾をダミーとすり替え、コインも表にした。今話したのは、思色がアドという存在を知らないと仮定したときの思考をなぞっただけ」


 彼は缶コーヒーを飲み干し、椅子の背もたれに体重を預ける。天井を眺めながら隣の女性に愚痴を言う。


「アド無しにばれるとか結構ボロボロじゃねぇか。このゲームお前が考えたんだろ?」


「まぁ大筋はね。富永に与えたのは相手を先攻にして二発ずつ撃ちあうロシアンルーレットをしろっていうことと、頭の中の二層目あたりで弾は入っていないことを思い続けるっていう条件。貴田に読んでもらってクリアしてもらう計画だったわ。その他の細かい点は富永に任せた」


 言葉を切り、ゆっくりと煙草の煙を吸い込み肺の中を満たす。彼女は頭の中で思案にふけっていた。


 ゲーム上だけで見抜けるヒントはこれくらい。でも、こんなにも細かいヒントを結び付けて正解に辿り着き、最後にこの考えを信じることが出来るもの?自分が一度安全圏に入ったと確信したにも関わらず、もう一度死に飛び込めるものなの?


「使えねえなあ。富永のジジイも年だしアドの内容もランクもイマイチだし。ランク上がる前に死ぬんじゃねえか?」


 彼はつまらなさそうに呟く。


「そうね。でもアド持ちってだけでアド無しよりはるかに利用価値はあるわ」


「まあ、そうかもしれないけどよ。もっと手っ取り早くいかないものかね」


 ずっと座っていた椅子から急に女性は立ち上がった。椅子は後ろに倒れ、コンクリートと接触した耳障りな音が部屋を包む。女性は何か名案でも思い付いたのだろうか。ゲーム中に、富永と呼ばれる老人が浮かべていたような笑みとは比べ物にならないほどに、見る者の感情を逆撫でするような奇妙な表情を浮かべていた。



「じゃあ、いっそのこと一気に集めて篩いにかけてみる?」

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