第4話-2 知らない場所で起きている異変

 カチッ



 はあぁぁぁぁ……


 肺を満たしていた空気が全て出ていく。体全体が急に疲労を訴えてくる。気づかないうちに緊張で強張っていたためだろう。


 パチパチパチパチ。


 男が拍手をしていた。


「素晴らしい。とりあえず一発乗り越えましたねぇ。命を賭けるなんて初めてでしょう?なかなか出来ないものですよ。しかしまぁ、まだまだ先は長いですが」


 なぜこの男はこんなにも気色の悪い笑みを携えていられるのか。自分と同じ土俵にいるとは思えなかった。


「次は私のターンですね。拳銃をお渡しください」


 男が手をこちらに伸ばしてくる。渡したくない。自分の命を左右する鉄の塊をそうやすやすと相手に手渡すわけにはいかない。


 僕は銃口を相手に向ける。


「何のマネでしょうか?」


 目の前の男はこの僕の行動さえ想定の範囲とでも言うように、緊張した様子など微塵も見せなかった。


「このまま僕が残りの銃弾をあなたに撃ち続ける可能性があるとは思いませんか?」

「次に実弾が入っていると思うならどうぞ。しかし、入っていなければ、その次を撃つ前にあなたの命はもう無いと思った方がいいでしょう」


 静かにただ事実を述べているかのように、男は言葉を発する。表情こそ今までと何ら変わらず、不敵な笑みを携えたままであったが、その眼は今までと違い殺意を宿していた。


「……このままあなたにコレを渡したら、僕に全部撃ち続けるかもしれませんよね?」

「成る程。確かにあなたの立場ならそう考えるのも無理はありません。では、このナイフを手に握ってもらっても結構ですよ。私がルールを違反したなら、その瞬間に抵抗すれば私は無事では済まないでしょう」


 テーブルに刺したままのナイフを指さし、男は譲歩する。


 男の提案にそのままのるのは気が進まないが、他に身を護る術も思いつかず、結局その案を受け入れた。


 ナイフを手に握り、男に銃を渡す。


「それでは早速」


 何の躊躇もなく自分のこめかみに銃を向けて引き金を引いた。


 弾はでない。


「おー、怖い怖い。手に汗握りますねえ」


 その言葉とは裏腹に一貫して気味の悪い笑顔を保っている。


「次はあなたが怖がる番ですよ」


 目の前に銃口が向けられる。恐怖が実態を帯びたかのように自分の体にまとわりついて体全体が重くなったかのように感じる。


 左手に握ったナイフに力が入り、ここで撃たれるなら抵抗した方が良いのではないかという考えが頭をよぎる。しかし、確率で考えても出ない確率の方が高く、なにより未だ重くのしかかる恐怖がその行動を許さなかった。


「良い顔ですねえ。ほら。あと数秒であなたの命は終了ですよ」


 向けられた拳銃の引き金はなかなか引かれない。自分に向けた時とは打って変わって、この時間をじっくり楽しんでいるかのように焦らしてくる。


「さっさと撃ってください。死にませんから」


 強がりだ。相手も分かっているだろう。しかし、出来ることといったら口を動かすことしか僕には無かった。


 男は楽しそうに唇の端を釣り上げた。


「さようなら」




カチッ




 ハズレ。弾はまだ出てこなかった。


 体にまとわりついた恐怖は取り除かれ、安堵感が包み込む。足の力が抜けてその場に崩れそうになる。しかし、なんとか気力でそれを踏みとどめた。まだゲームは続く。緊張の糸を緩めて良いわけではないことは理解していた。


「そろそろ出ると思ったのですがね」


 少し残念そうな表情をつくり、男は銃をこちらに差し出した。


 奪うようにその銃を取る。いくらゲーム上での危険性は平等であると言っても、相手が銃を握っていると不安を覚える。自分の手の中で沈んでいる重たさを感じて、少しばかり不安が取り除かれた。


「それでは、ナイフは頂きますね」


 逆に奪われるようにナイフが取られる。このまま切り付けられたら僕は対応出来ないだろう。そんな負の思考は男がすぐに机の上にナイフを置いたことで消えていった。


「…ナイフ持たなくていいんですか?」

「これはゲームですからね。あなたがゲームのルールに則ることを信じていますよ」


 始終感じるこの男の余裕はどこから来ているのだろうか。この拳銃に入っている弾は一発。その一発を引いてしまう確率は平等なはずだ。まるで、自分がその一発を引くことは無いと確信しているかのような。


 そんな何の確証も無いただの勘のような考えに至ると、今までの比でないほどの重圧が心と体に伸し掛かってきた。


 仮にそうだとすると、この男の今までの余裕そうな雰囲気。自分とは違う緊張感のなさも理解できる。命を賭けてはいないのだから。



 しかし、どうやって?



 先攻を僕が取ったために、四発のうち二発も相手に向けることが出来る。そのタイミングさえも僕が自由に出来るはず。仮に、弾が入っている箇所をこの男が知っていたとしても、そのタイミングで銃口を向けられる可能性だってあるはずだ。


「どうしました?最後の二発です。慎重になるのも分かりますが、考えて分かる物でもありません。思い切りが大事ですよ」


 目の前の男と目が合う。読み取れない。どういった思いでいるのか、不安、緊張、安心、そのどれとも違っているように見える。少なくとも死に直面している人の目には見えなかった。


 あと二発。どちらかを相手に向ける。どちらかを自分に向ける。


「この銃のどこに弾があるか知っているんですか?」


 じっと反応を窺う。出来る限り少しでも多くの情報を得ようと必死だった。


「知りませんよ、もちろん」


 何を当然のことを聞いているのだ。さもそういったかのような、当然の口調で答える。


「そんなどうでも良いことより、早く決めてしまいましょう。あと二発ですよ。一発目はどちらに向けるのでしょうねえ」


 どうでも良いことなんかじゃない。なぜこんなにも楽観的なのだ。このゲームで命を賭けているのは自分だけのような気がしてくる。不安に駆られ、怒りさえも湧き上がってくる。


 しかし、冷静になって考えるともはやこの男が弾の居場所を知っていようが関係無いことに気がついた。残り二発。選ぶのはこの僕だ。男のターンの時に弾が入っていたのなら、弾の居場所を知っていれば勝ちが確定する。ただ、今はもうそのタイミングでは無い。


 じっと相手を見据え、銃口を向ける。これで弾が出れば勝てる。が、出なければ負け。残り二発といいつつ、結局この一発で勝敗が決まる。



「さあ、どうぞ。ゲームも終盤です。」



 この不快な笑顔は最後まで消えることはないのだろうか。銃口を向けられても男の表情には余裕が見て取れた。この顔を見ていると、弾は出ないような気がしてくる。しかし、これはあてにはならない。


 銃口を相手から外し、自分のこめかみに向ける。答えは分からない。考えても分かるはずがない。ならば、自分の手を汚さなくていい方向に思考は動いていた。仮に自分に向けて弾が出なければ、最後の一発に入っていることが確定する。その時点で僕の勝ちだ。なら、相手に撃つ必要もないだろう。


 そう考えても、いざ撃つとなると否応なしに恐怖がまとわりついてくる。当然だ。二分の一で僕の人生が終わる可能性があるのだから。


 自分の体が自分のものではないようだった。思うように動かない。頭の中では選択していても体がそれを拒否していた。


「優柔不断な男は嫌われますよ。ほんの少し人差し指に力を込めるたったそれだけです。思い切りましょう」


 あたかも自分は観客であるかのようなセリフを口にする。銃口が向けられていないからだろうか、いや、そうではない。この男はいつだってこのゲームに参加していながら他人事なのだ。




 大丈夫だ。大丈夫。弾は入っていない。僕は死なない。




 根拠はない。何一つ。しかし、自分にそう暗示をかけなければ引き金なんてひけない。




 僕は、ついに人差し指に力を込めた。





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「戻ったぞー。どんな感じだ?」


 コンクリートで四方を囲まれた暗い一室。部屋の中で灯る明かりは壁際のテーブルの上に置かれたテレビだけだった。


「遅い。もう終盤よ」


 テレビの前に置かれた椅子に座ったままの女性が、部屋の中に入ってきたばかりの男性に返事をする。


「コンビニの店員がお釣り間違えやがってさ、途中で気づいて取りに戻ったわけよ」


 男性は女性の隣に座り、コンビニの袋から缶コーヒーと煙草を取り出す。缶コーヒーのプルタブを開け口につけると、目の前の画面に目を向けた。


「あれ?こいつ、貴田じゃなくねえか?」


 女性は机の上に放り出された煙草を手に取り火をつける。


「富永が間違えたみたいよ」

「はあ?マジかよ。じゃあなに?中止?」


 女性は口から煙を吐きだし、けだるそうに答える。


「まあ、それでも良かったんだけど。あなたも帰ってこなかったし、とりあえず何も連絡せずにいるわ」

「はあ……。ジジイからすると高校生なんてどれも同じに見えるのかね。とりあえず最後まで見るか。あと一発みたいだし」


 男性は椅子の背もたれに体重をかけ、やる気のない眼をテレビに向けた。


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 全身の力が抜け、膝が折れる。頭がぼーっとする。目の前に映る光景が頭の中に入ってこない妙な感覚だった。


「素晴らしい。素晴らしい度胸です」


 男が手を叩いている。その音ですこしずつ自分の感覚が戻ってきていることを実感した。僕は生きている。意識もある。生き残った。


 崩れていた膝を立て直し、直立する。勝った。やっと命がけのゲームは終了した。そのことを実感し、無意識に浮かんでしまう微かな笑みを噛み殺す。


「僕の勝ちです。早く元の場所に返してください」


「そうですね。楽しいこのゲームの終了まであと一歩です。早く終わらせましょう。元の場所に帰れますよ」


 相も変わらず、まるで第三者かのようなセリフ。


「それは僕にあなたを撃てと?」


「残り一発残っていますよ」


 変わらない不敵な笑み。


 この男を殺す?この手で命を奪わなければゲームは終わらない……?


 先ほどの安堵感は消え、恐怖、緊張感が再び襲ってくる。


「あなたを殺せば、ここからどうやって出ればいいんですか?」


「それは大丈夫です。私の仲間がいますから、無事元の場所に返すことを約束しましょう」


 仲間?このゲームは見られているのか?


 あたりを見渡す。先ほどまで緊張していたから気づかなかったのだろうか、何も無いと思っていた天井の隅にカメラらしきものが埋め込まれていることを発見した。


「見られているんですか」


 結局、この男を殺すしかないというのか。


 殺す?人の命を奪う?自分が死ぬかもしれない恐怖を味わった直後、それを相手に体感させるなんて、そんなこと出来るわけがない。そもそもそんな必要はないじゃないか。もうゲームは終了だろ。


「悩む必要なんてないですよ。あと一発だけなのですから。すでに五発分の恐怖を乗り越えたあなたですから、楽勝ではないですか」


 最後。ラスト一発。男に銃口を向けて初めてその重さを正確に実感し始めた。


「どうして撃たなければいけないんですか。撃たなくても終わりでしょう!」


 重たさを跳ね除けるかのように感情が吐き出される。


「あと一発撃てば、終わりです。まあ、ギブアップでも結構ですがね」


 このままでは終わらない。終わらせるには撃つしかない。仕方がない。この男を殺すのは仕方がないのだ。


 自分に言い聞かせる。こんなにも死にたがっているんだこの男は。それなら、従おうじゃないか。


 僕に責任は無い。無い。無い。


 銃口を相手に向けたまま、撃鉄を引く。後は、引くだけ。一秒もかからない動作だけ。ほんの少しの動作だけ。


 僕の思考はもう正常に働いてはいなかった。自分が異世界にでもいるような、奇妙な感覚。命のやりとりというどこか現実離れした時間にずっと身を置き、男より一足早く安全圏へと身を進めたためであろうか。どこか、他人事であるかのような、自分が人を殺すような感覚を正確には想像できなかった。


 少しずつ、指に力を入れ始める。





 駄目だ。





 気がした。ただただそんな気がしただけ。このまま撃ってはいけない。



 相手に構えていた拳銃を下ろす。


「撃たないのですか?」


 男の軽々しい声が耳に届く。表情は、なぜか普通だった。先ほどまでの奇妙な笑みはそこに浮かんでいなかった。


 冷静になろうと自分を律する。先ほどの自分の勘をもう少し考えてみる。どうして僕は撃たなかったのか。ただの気まぐれかもしれない。でも、撃とうとした瞬間の自分は冷静でなかったことは、自覚できる。




 本当に今の僕は安全圏に立っているのか?




 じっと、目の前の男を見て、違和感を覚えた。笑っていない。本来なら普通のことであろうが、今までのこの男からすると、それは普通とは思えなかった。


 考えを巡らす。思い出す。今までのゲームの違和感を思い出す。


 僕の頭の中で、今までのその違和感を羅列する。深い穴に落ちていくかのような奇妙な感覚。


 鳥肌が立つ。




 そんなことがあるか?




 しかし、可能性は否定できない。ゲームのルールに反してはいない。問題はその可能性が僕の思い込みである場合とどちらであるかだ。


「早く終わらせましょうよ。あとたった一発。すぐに終わりますよ」


 男は焦っている。ように今の僕には見えた。


「少し、黙っていてください」


 考える。今僕に出来ることは考えて、生き残る可能性を上げることだけだ。




 どのくらいの時間立っただろうか。何度も今までのゲームの内容を、ルールを、状況を考え直し、僕は一つの決断をした。


 右手に持っていた拳銃を持ち上げ、自分のこめかみに向ける。


「ほう」


 男の表情には少しも笑みは浮かんでいなかった。




 全身を取り巻く不安、恐怖。ただの勘違いかもしれない、その勘違いで自分が死ぬかもしれない。しかし、どれだけ考えても、考えれば考えるほど、これが正解であるような気がしてならなかった。


 少しずつ人差し指に力を加える。先ほど頭の中をよぎったような、この行動を否定する思いは浮かばなかった。浮かんでくるのは恐怖だけ。それは身を委ねるに値しないと分かっていた。自分を信じろ。生きるために思考を巡らした結果を信じろ。

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