第二章

第4話 知らない場所で起きている異変

 夕暮れ時。イヤホンから耳に流れ込んでくる音楽に自然と歩みが合ってしまう。今日の晩御飯は何だろうか。そんな他愛もないことを考えながら家路についていると、視界の端に違和感を覚えた。

 

 雑居ビルが立ち並んでいる、その路地裏へと続く道。奥の方に赤いランドセルが見えたのだ。一度通り過ぎたものの、僕は気になって戻ってしまった。それが、間違いだったことを知るのは直ぐだった。


 改めて路地裏を覗くと、やはりランドセルを背負った小さな女の子が見える。

 

 何故こんな暗がりに小学生が?

 

 人の気配が少ない場所に足を踏み入れるのは躊躇してしまう。止めた方が良いような気もする。しかし、興味が勝ってしまった。


 イヤホンを耳からはずし、暗がりに足を一歩踏み入れる。日が当たらないだけで気温がぐんと下がったように感じる。無音。どこか別の世界にでも来てしまったかのような非日常感。早く元の大通りに戻りたいという思いが早くも募り始める。小学生との距離を縮め、声をかけようとした。


 しかし、頭の後ろから強い衝撃を感じると、僕の意識はアッという間にちぎれた。





 目を開ける。後頭部の痛みで先ほどまでのことを瞬時に思い出した。自分の五体を確認して、少し安心する。誰かに気絶させられただけのようだ。壁にもたれて座っていた態勢から立ち上がり、周りを確認する。


 四方をコンクリートの壁で囲まれた正方形の部屋。僕の向かいの壁にドアがあり、他の三方には何もなさそうだ。天井には蛍光灯がふたつ。それと、この部屋の中心に腰のあたりの高さまである一つの小さな丸机。椅子はない。しかし、机の上にはある物が一つあった。


 拳銃。


 に見えるが、到底信じられない。この国で銃を所持していいのは警察だけのはず。モデルガンといったところだろう。そんな考えが頭を巡ったが、直感ではそれを否定していた。日常の中でコレを見たのなら当然偽物だと信じて疑わないであろう。


 しかし、今この状況は非日常であることを自覚しなければならない。何の音も聞こえないコンクリートで囲まれた、どこかも分からない部屋の中に僕は連れてこられているのだ。日常ではありえない事が既に起こっているのにこの銃だけに日常的な判断を下せるわけがない。


 自分の体が緊張していることを自覚しながら恐る恐る机に近づき、置いてあった拳銃を手に取る。ずっしりと重い。そもそも本物を触ったことが無いために、持ったところで判断は出来なかった。ただ、本物に見えた。


 銃の形を観察して、これはリボルバーと呼ばれるものであることを僕の少ない知識で確認する。警察が所持しているようなオートマチックのタイプではない。自分で一つずつ弾を詰めて発砲する、洋画で命を賭けたロシアンルーレットをする時に出てきそうなやつだ。


 弾を詰める場所であるシリンダーを左に押し出す。どうやら六発まで補充できるタイプのようだが、そこに弾は一つも入っていなかった。とりあえず少しだけホッとする。


 手に持っていた拳銃を机の上に戻し、とにかくここから出ようとドアへと足を向ける。すると、すぐに目的のドアから人が現れた。



「お目覚めのようですね。こんばんは」



 低くて渋い声がこの部屋に響く。スーツ姿の老人。身長は低く、160cm程だろう。髪は白く染まり、短髪だ。しかし、そんな身体的特徴よりも目を惹いたのはこの場にそぐわない、にこやかな笑顔だった。


 耳に届く優しい言葉とは裏腹に、安心できない気持ちの悪さで僕の心が満たされる。この男が僕を拉致したのだろうか?何のために?


「緊張しているのですか?気持ちは分かります。しかし、あなたは今からしなければならないことがあります。緊張などしている場合ではありません」


 急すぎる展開に頭が追い付かない。口からどんな言葉を発するべきか何も思いつかない。しなければならないことがある?この男とは初対面のはずだ。たかが一高校生に何をさせようと言うのか。


「時間もあまり無駄にしたくありません。早速説明いたしましょう。今から、私とあなたでゲームをします。そのゲームで、あなたが私に負けなければ元の場所にお返ししましょう」



 ゲーム?どういう意味だ?この男は僕を拉致してきた。それが自分とゲームをするため?



「負けなければって。負けたらどうなるんですか?」

「ゲームの説明を聞いていただければ全てわかります」


 なんとなく想像は出来る。拉致するほどのリスクをこの男は負っている。負ければ今後の自由は無い。命さえ無いと考えた方が良い。


 つい数時間前まで続いていた日常とのギャップに感覚が麻痺してくる。この非現実感に完全に飲まれていた。


「簡単なゲームですので、説明は一回です。よく聞いてください」


 男が説明を始める。兎にも角にも聞くしかない。何一つこぼさずに聞き取って、今からするゲームとやらに勝つしかないのだと本能的に理解した。


「ゲームにはこの拳銃を使います。コルト・パイソンと呼ばれるリボルバーです。まぁ、本物では無いのですがね。本物は調達するには少し手間でして。しかし、殺傷力は普通の拳銃と同じと思ってもらって問題ありません。少し触っていたようなので分かると思いますが、この拳銃の装弾数は六発となっています。そこにこの弾を一つだけ込めてお互いに引き金を引きます」


 男が左手に拳銃を持ち、右手でポケットから取り出した弾を見せてくる。


 引き金を引くということは、銃口が向けられるのは恐らく僕とこの男だろう。負ければ、単純に命が奪われる。


「その引き金はお互いに二発ずつ交代で引くのですが、銃口は自分もしくは相手に向けていただきます。しかし、相手に銃口を向けて良いのは一回までです。二回相手に向けて発砲した場合、その時点で負けとなります。負けたほうにはもちろん罰があります。これは命を賭けたゲームですから、当然、相手によって命を奪われます」


 正面からは陰になって見えなかったが、男は腰の後側に手を伸ばすと、ベルトにでもかけていたのであろう刃渡り10 cm以上はあると思われる大きなナイフを取り出した。それをテーブルの上に力強く突き刺すと、そのナイフは男の手から自由になっても柄を天井に向けたまま静止していた。


「その時は、どのような方法でも結構ですが、必要であればこのナイフをお使いください」


 男はそういって僕に気色の悪い笑みを向ける。これから命を賭けるとは思えない、ただの生活の延長線上であるかのような雰囲気を漂わせていた。


 僕は頭の中をフル回転させて、なんとか整理する。装弾数が六発ということは先攻と後攻で撃つ回数が変わる。二発と四発。しかし、相手に銃口を向けられる回数は同様に二回。


 ただ、二回目は撃つと負け。つまり、その発砲で相手を殺さなければならないということだ。そうなると、実質のところ後攻は一回しか相手に銃口は向けられないだろう。残りの二発に弾が入っていたらたまったものじゃないからだ。しかし、先攻は二回撃てる。後攻が撃った後に回ってきた残りの二発は確実にどちらかに弾があるのだから、相手に撃ってしまえばいいのだ。自分が負けだろうと、相手が死んでいるのなら関係は無い。


「先攻後攻はコイントスで決めます。表が出れば貴方の先攻。裏なら私が先行」


 言うと男は弾を持っていたはずの右手からコインを取り出し、表と裏を僕に見せてくる。金色のコインで片面にはどこかの貴族のような老紳士の横顔が見える。


 僕が確認したのを見て、男は右手の親指でコインを高くはじき、左手の甲に落ちた瞬間に右手で抑える。


「男性の顔が見える方が表です」


 男が右の手をはずす。そこに見えたコインには先ほど確認した老紳士の顔が見えた。


「あなたが先行です」


 僕が先行。つまり、この拳銃の引き金を四回も自分の手で引かなければならない。この男か僕のどちらかの命を奪う引き金を。人の死に遭遇すらしたことのない僕が自らの手でそんなことができるのだろうか。


「それではまず、この拳銃に細工がないかどうか確認してください。もちろんしなくても結構ですが、命が懸かっていますから当然するでしょう?」


 いつの間にか震えていた手を、酸素を体内に取り込むことで止める。僕は男から拳銃を受け取った。


 どこを確認すれば良いのか皆目見当がつかなかった。だからと言って雑にするわけにもいかない。僕は出来るだけ念入りにあらゆる角度から拳銃を見て、重さを意識して、弾倉も開けて、六発分の空撃ちも行った。


「そろそろいいでしょうか。あまり時間をかけるわけにもいきませんので。では次に弾の方を確認していただけますか?弾の種類は……っと、いけません。そんなことは興味の無い人からすると不必要な情報でした。拳銃は私の趣味でしてね。ついつい語りすぎてしまう。申し訳ありません。とにかく、その弾が発射されると命を落とすということです。重さも意外とあるでしょう?」


 この男の言う通り、弾には予想以上の重さを感じた。こんなものが体に入り込んだならひとたまりも無いことを実感し、背中を嫌な汗が流れた。


「では、返していただきます。一発しかないので、これを無くされでもしたものならゲームが成立しません」


 僕の手から重さが取り去られる。


「では、この弾を今から入れます」


 男はすぐさま弾を拳銃に入れ、手には何も無くなっていた。


「このままだと、リボルバーの設計上どこに弾があるのか一目瞭然です。それではゲームになりませんので、他にはこのダミーを入れさせていただきます。もちろん発射はされませんが、外見は全くの一緒です」


 ポケットから五発分のダミーを取り出し、僕に見せた後、それを全て拳銃に詰めた。男の言った通り、外から見るとどれが本物なのか全く見分けがつかない。


「それでは、お互いシリンダーを回転させていきましょう」


 まず、目の前の男が拳銃に手を添えて弾倉を回す。


 カラララララララララララ……


 小気味良い音が響き、やがて止まる。男は持っていた拳銃を僕に差し出してくる。


「満足のいくまで回していただいて結構ですよ。これからのゲームの命運が左右されるわけですから」


 言われた通りに回す。


 カララララララララララ……。


 同じように回っていた弾倉はやがて止まった。もう一度回す。何度やっても同じだとは分かっていた。しかし、さっきこの男は、あまり時間がありません。と言っていた。なにか不都合なことがあるのではないか?


 そうだ。僕は学校の帰りだった。帰宅が遅くなれば親も不信に思い学校に、さらに時間がたてば警察に通報するかもしれない。そうなれば、僕の捜索が開始されるだろう。それなら、時間をかけるにこしたことはない。少しでも時間稼ぎをすべきだ。


 六回目の回転が止まったとき、男はついに僕の手から拳銃をとりあげた。


「もういいでしょう?恐らく時間稼ぎでもしているのだと思いますが、警察や親が探しに来ることを期待するのは無駄ですよ。ここは見つからない。見つからなければゲームが終わった時に私かあなた一人しかいないのですから意味はないでしょう?」


 確かにこの男の言う通りだ。どれだけ僕が気絶していたのか分からないが、捜索が開始されるまでにまず時間が必要だ。それにこの男の自信ありげな発言からこの場所の発見もかなり難しいのだろう。となると、警察の救助をあてにするのは危険だ。


「それでは、早速開始といきましょうか。ロシアンルーレット」


 再び僕の手の中に拳銃が戻ってくる。これから、目の前の男か、僕が、死ぬ。


 重い。先ほど持った時と同じ重さのはずなのに、生死を実感すると、こんなにも感覚が狂うとは。


「おっとそうだ。細かいルールですが、自分を狙うときはこめかみにお願いしますよ。腕とかを撃って負けたけど生きています、では興ざめですので」


 撃鉄を起こす。カチリ。小気味のよい音が響く。銃口はどちらに向けるべきか。今の段階で弾が出るのは六分の一。自分に向けるなら今だろう。


 拳銃を持った右手を自分のこめかみの横にまで持ってくる。右手が震えているのに気が付いた。もし、弾が一発目にあれば、死ぬ。ここで、終わり。ここまで死というものを間近にしたことはない。急激な恐怖が全身を包み込み、頭の中をぼやけさせる。全身から出る汗が気持ち悪い。まるで自分が自分でないような、感覚が遠く別の所にあるようだった。


 気が付くと、僕の手の中にある銃口は目の前の男に向けられていた。


「おや?一発目から私に向けてしまって良いのですか?最も発砲確率が低いタイミングですよ?」


 銃口を向けられても男の飄飄とした雰囲気と不気味な笑みは消えない。


「もし、発砲されても弾を外してしまったらどうなるんですか?」


「それについては心配しなくても大丈夫です。相手に向けて弾が出たら勝ちです。それで殺せなくても、このナイフで私を殺してください」


 男は先ほど机に刺したテーブル上にあるナイフを示す。


 僕は引き金にかけた人差し指に徐々に力を入れていく。本当にいいのか?一番確率の低い一発目を相手に向けて。自分に向けるべきではないのか。


 同じ思考が自分の頭の中をぐるぐると回り続ける。分からない。ただ、最初の一発目から自分の命を放り出すほどの度胸は僕には無かった。結局のところ、たったそれだけの理由で僕は目の前の男に銃口を向けて人差し指に力を込めた。




 カチッ




「ハズレでしたねぇ。私としてはラッキーでした。ひやひやしましたよ」


 弾は出なかった。やはり自分に向けるべきだった。しかし、どこかホッとした自分もいたことに気がついた。自分が死ぬことは当然望んでいないが、人を殺すことだって同じく望んでいない。そんな経験はしたくない。


「さあ。あなたのターンはまだ残っていますよ。あと一発。どうしますか?」


 一度は死ぬ可能性をくぐったというのに、相も変わらず男は笑みを浮かべたままだった。いや、くぐり抜けたからこそ、次は自分に向けられないという思いがあるのだろう。


 次こそは自分に向けて発射しなければならない。仮に再び相手に向けても弾が出なければ即座に僕の負けになる。次に弾が入っている確率は残り四つに入っている確率より明らかに低い。大丈夫だ。大丈夫。


 ゆっくりと銃口を自分のこめかみに向ける。全身から汗が噴き出す。銃を持つ手が震えている。


 もし、もし弾が出たら、終わる。命が。


 相手に銃口を向けたくなる衝動に駆られる。しかし、それはその場しのぎであることを理解している。このゲームに勝つには、この一回は自分に撃たなければならない。これは絶対だ。


 大きく息を吸い込み、肺の中に酸素を取り込む。息を止める。心臓の音が全身に響く。右手が震えているのを無視し、人差し指に力を込める。

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