タカナシオウ

 宿泊あるいは非公式の商談用の客室の一室に、場違い甚だしい音楽が流れる。蝋管式蓄音機が回転部に乗せられた漆黒の記憶円盤──大陸ではレコード、と呼ぶらしい──の上を針が走る。

 円盤に刻まれた溝や左右の振動を拡大再生する機構が奏でる調べは、著名な作曲家が手掛けた名曲とのこと。

 骸銘館の内と外で騒乱が吹き荒れる中、照明の絞られた温かみが例外的な雰囲気を醸し出す。

 幾つか用意された椅子の内一つに、一人の男が腰を下す。手に持つは硝子製の茶碗と並々注がれた真紅の宝石。

 鼻に近づけ、手元を緩く回してワインの香を堪能する。

 尤も、ワインなど碌に味わったこともない男の仕草。そこに秘められた意味を理解などしていない。

 故に、飲み慣れた日本酒のように一気に煽ると、茶碗の中を空にする。


「ふむ、大陸の人間はこれを好むのか。私にはよく分からんが、美味いのは確かだな」


 男は小太りと言っても差支えない体躯を夜会服で無理矢理隠すも、破裂寸前の風船が如くに膨張した腹部は隠し切れない。禿げ上がった頭部は温かみのあったはずの光に嘲笑を浴びせる。

 男の名は、ウオミズ・ガ・フィールド。

 フィールド運送の総帥にして貴族に連なる者として、ガの一文字を付け加えた貴族である。日本四六貴族に連なる自負を持った者達は、こうして本来の貴族は冠しない濁点や半濁点を名前に組み込んでいる。

 そして部屋の外で巻き起こる騒乱を我関せずと不介入を貫ける理由など、ただ一つ。


「同盟の連中め、上手くやっているのだろうな……」


 ウオミズこそが憂国軍拡同盟の盟主、彼らの無尽蔵にも等しい資金の供給源こそがフィールド運送である。

 ここまで入念に準備をしてきたのだ。人材を集め、武具を供給し、拠点を提供した。ただのならず者程度に警備隊や再編されつつある日本軍の撃滅など不可能と端から断じ、通信総合商社に薬物の開発を依頼した。

 そして終戦記念の式典という最大の好機、大多数の貴族が得物を手放す数少ない機会こそが既存の貴族を掃滅する時。


「何が軍拡、何が枢軸の栄光だ馬鹿馬鹿しい……いっそ奴らも諸共に潰れてしまえば、約束を反故に出来るのだがな」


 しかして、ウオミズに他の連中程の情念、正確に言い換えれば狂気はない。

 同盟も既存の社会基盤を破壊し、自らが幅を利かせるための口実に過ぎず、熱狂に浮かれた連中も必要とあらば躊躇いなく切り捨てる。


「ま、舞台に上がる役者の真似事も悪くはないがな」


 奴らが望むのならば、また熱狂的な軍国主義者を演じるもの一興か。

 ウオミズの思考を遮るかのように、扉が叩かれる。

 事が終わるまで音楽に浸っている予定であった男は、溜め息を吐くと軋む椅子から腰を上げた。肥満体格を自覚しているウオミズには、僅か部屋一つ分の移動にも相応の体力を労する。


「全く、連絡は語り烏経由でやるようにしろと通達したはずだが」


 取っ手付近の鍵を外し、男は外の来客者を歓迎した。


「どうもお久し振りです。ウオミズさん」

「お、タカナッ……!」


 扉の奥から姿を現したのは、灰の流し着を真紅に汚した眼鏡の男。その顔に見覚えはある。

 あるが。


「わ、私は剣士ではないのだよ。そんな悍ましいものを見せるなッ」


 男の背後に転がっているのは、屍の山。

 手に持つ得物は鮮血に濡れ、足元に血の池を形成する。

 先程までワインの芳醇な香を楽しんでいた鼻腔が、血潮の匂いに穢される。口元を抑えて吐き気を堪えるが、流し着の男はさながらその香こそが年代物のワインにも匹敵すると口元に笑みを作った。


「いいじゃないですか。貴方も少しは現場の気持ちを知るべきです」

「な、何故そんなものを……!」

「たとえばそう、戦の痛苦」


 生々しい音と共に、ウオミズの右肩に形容し難き激痛が走る。

 出鱈目な衝撃に巨躯が倒れ、声にすらならない悲鳴を上げて酸欠の金魚よろしく口を上下させた。

 何が起きた。何故私が倒れ伏している。この左手に付着した赤はなんだ。

 脳内で無限に浮かび上がる疑問に答えるように、流し着の男が鷹揚に腕を広げる。


「脂肪の蓄積した、ブヨブヨした筋肉……波打つものよりも筋肉質なものの方が壊しがいがあるのですが」

「き、さま……何のつもりだッ!」

「何って、国家反逆罪の適用ですが」


 男が部屋へ乗り込み、調度品へ金槌を振るう。

 絵画に穴を穿ち、年代物のワインは鮮血代わりに部屋を穢す。椅子は内より綿と木材を剥き出しにし、蓄音機がこれまでとは異なる不細工な音を立てて破砕された。

 刀鍛冶でありながら、男が振るう槌は破壊と暴虐を振り撒く。


「裏切る、つもりかッ……タカナシッ……!」

「タカナシ?」


 自らの名を呼ばれ、男は視線を下す。

 臓腑が底冷えする、何ら感情の籠っていない眼差しで。


「他の人間にはいつも言ってるんですよね。これは。

 の仕事をしている時の名は、タカナ──」


 振り下ろされた金槌が生々しい音を立て、廊下の先まで反響する。

 彼の暴虐に鼓膜を揺らしていたのは、多数転がる警備隊や青龍隊。そして同盟の外套を纏った屍のみであった。



「ソウジ名誉大尉、森林は我々だけで大丈夫ですッ。

 大尉は館の方へッ!」

「ありがとうございますッ!」


 裏庭での戦闘は、既に趨勢が決まっていた。

 指揮を担うオオエの敗死。そして館側に貴族が参戦したことで余裕が生まれ、正規の隊員が大挙して向かったことで、ただでさえ夜襲以上の戦術を有していない同盟側は大崩れ。今ではぱらいその加護が合っても不利とならざるを得ない。

 故に、彼らには戦力の再分配を行う余地が生まれる。

 かけられた言葉に感謝を示し、ソウジは全速力で骸銘館へ急ぐ。

 既に息は荒くなり、全身から無数の汗が流れ、喉が水分を求めて訴えを強める。


「それでもッ」


 今は休息すべき場面ではない。

 如何に口に苦いものが残っていようとも、口の端から胃液が滴ろうとも。

 持てる限りの力を振り絞れ。頭の頂点から爪先まで神経を研ぎ澄ませ。戦の終わる時まで、人々を守る盾にして矛として役目を果たせ。

 自己暗示にも等しい思考を繰り返し、ソウジは肉体を駆動させる。


「こっちはもう大丈夫みたいだな」

「佐刀か……!」

「おいおい、睨むな睨むな。

 こっちもフタバを待たせてんだ、今喧嘩を売ろうなんてつもりはねぇよ」

「……信じてあげます」


 ソウジとしても、ミツバに骸銘館を任せてから随分と時間が経過した。

 未だ同盟の脅威が去ってない以上は、佐刀と事を交えている場合ではない。

 飲み込めない部分はあれど、今は納得して足を進めることが先決。結果として互いに先を行かんと、佐刀と競うように速度を増していくのは望外な効果か。

 裏庭から館への出入口は蹴破られた状態で放置され、外気を問答無用で廊下へと運んでいる。

 飛び込む二人が目撃したのは、悍ましき屍の山。


「ッ……ぁ、うッ……!」

「はぁ……またですかい」


 頭部を粉砕され、四肢があり得ない方向へ曲がり、過大な負荷が肉体を内から破裂させる。

それはまさしく人の死からかけ離れた光景であり、ソウジは空だと思っていた胃の中身を再び喉元にまで押し上げた。他方、佐刀は嘆息と共に振り返り、怜悧な眼光を注ぐ。

 急いでいるんだ。無理なようなら置いていく。

 言外に含まれた意志を汲み、ソウジは口の中を無理矢理飲み込む。そうすれば、手で口元を拭ってしまい状態は元に戻る。


「……失礼、無駄な時間を使わせた」

「別に。

 ……にしても、妙に静かだな」

「大方、主たる戦場が館内から正門へと移行したのでしょう。我々もこの流れに続きましょう」


 屍で埋め尽くされた廊下を進む中、二人の脳裏に強烈な違和感が混じる。

 警備隊の屍がある。青龍隊の屍も、多少見つかる。貴族でさえ一人か二人は見つかってしまう。だが警備隊に次いで多い屍は、同盟のものであった。

 もしも素直に警備隊の刃によって斬殺されたのであらば、二人は違和感を抱くこともなかったのだろう。だが同盟の屍もまた、頭部を紛失した哀れな有様。

 ソウジは記憶を総洗いして青龍隊の面々を振り返るが、このような惨たらしいやり口を行える手合いに覚えはなく、また鈍器に似た武装も未知。


「同士討ち……?」


 警備隊に彼の記憶にない鈍器使いがいた、というよりは合理的な答えか。

 しかして、何故。

 疑問は尽きずとも、足を止めて答えを求める訳にもいかない。


「警備隊どころか貴族もやられるとは、犯人はかなりヤバいんだろうな」

「何はともあれまずは正門だ」


 二人はそのまま疾走を続ける。

 客室の一つ──ウオミズが借りた部屋を通過し、そこにあるかつて人であった肉塊に気づかぬまま。



「あ、ぎッ……!」


 正門側。

 迷路状に植林された観葉植物群の中、灰の外套を纏う男の背中から大剣が露出する。

 曇り空が晴れ、空から月女神の加護たる光が降り注ぐ。血に濡れた切先が反射する先には、男の背中越しに姿を見せる赤毛の少女。

 フタバ・タ・セーデキムが大剣を引き抜くと、栓を失った男の身体から新鮮な血が噴き出し、純白とは呼べなくなった繋ぎ服を更に穢す。

 生温い液体の感触も、もう気持ち悪さを抱けなくなった。

 一日でこれだけの血を帯びたことなどないし、これからも起こり得ないだろう。そう確信出来るだけの、血に塗れた。


「ハァッ……ハァッ……ハァッ……!」


 眼光鋭く、フタバは周囲に意識を傾ける。

 視界に映るは外壁と化した観葉植物。だが、鼓膜を揺らす音色が視界の外で剣戟が続いていることを確信させる。

 まだだ、まだだ。まだだ!

 ひたすらに自己暗示を重ね、フタバは索敵を開始。


『選んで殺すのが、そんなに上等か?』

「うるさいッ!」


 少し意識を内に向ければ、脳裏が先程の質問を回想させる。

 フタバには反論できなかった。結局軍帽の男に引導を渡したのもミツバで、彼女は動揺して剣筋を鈍らせるばかり。自分の剣は質量ばかりで真、心の重量が無に等しいと突きつけられたかのようで無力感に苛まれる。

 故に身体を駆動させる。

 難しいことなど思考する余地がなくなる程に、全身を疲弊させろ。

 だから──


「どこにいるッ。敵はどこにッ!」

「ここですよ」

「え──」


 声がしたのは外壁の向こう。枝をへし折り姿を見せた敵影は、金槌を振り被りフタバの頭を狙う。

 そして黒縁眼鏡をかけた男の顔にフタバは悍ましい既視感を抱き、思考に間隙が生まれる。皮肉なことに、それこそ彼女が望んだ難しいことを思考する余地なき状況。

 金槌がフタバの頭部へと近づき──


「ふっざけんなッ!」


 甲高い音が鳴り響き、金槌の柄へ斬りかかることで軌道をフタバの頭部から虚空へと移す。

 超重量の得物に殴られ、地面から吹き上がる土煙が三者の姿を視界から外した。その隙を突き、横槍した存在はフタバを連れて距離を取る。

 そこに寄り添うもう一人──ソウジは土煙の先へ切先を向け、相手を待ち構えた。


「ねぇ、私だよ……フタバだよ」

「えぇ、そうですねぇ。私が手掛けた大剣は、受付に預けたままですか?」

「分かってて、金槌を……?」


 フタバの言葉は弱弱しく、虚空へ問いかけているかの如く。

 だが土煙の奥から響く返答は、如実に存在を主張してフタバを救助した佐刀やソウジの鼓膜も揺さぶっている。

 その声色に、佐刀もまた聞き覚えがあった。


「えぇ。フタバ・タ・セーデキムだと理解した上で金槌を振り下ろしましたよ」

「これも、作戦なの……特務諜報隊としての……だよね、そうだと言って……?」


 彼女の紡ぐ言葉は、縋りつくかのようで。


「あぁ、あれは嘘ですよ」


 土煙を払った殺人鬼が、希望を容易く踏み躙る。


「嘘、嘘嘘嘘……」


 ただでさえ精神的に摩耗していたフタバが受け切るには過大な負荷が、彼女の手から刀を離させる。

 崩れ落ち、地面に視線を落とす彼女を憐憫の眼差しを向け、佐刀は憎悪の眼光を男へ注ぐ。

 真正面から受け止める男は、憎悪すらも愛おしいというかのように両手を広げる。灰だった流し着は夥しいまでの流血に濡れ、血を纏うと言っても過言ではない。


「せっかくの客の心をへし折って楽しいのか……なぁ、タカナシ……」

「今の私はタカナシ・オウではない……タカナ・シ・オーですよ……!」


 向けられた切先と殺意に強い拒絶を示し、タカナと名乗ったタカナシは金槌を乱雑に振り下ろす。


「オー……オー家は没落したはず。何故その末梢が生きている」


 シの名を冠する貴族は既に没落し、歴史の闇に葬られた。それが日本に刻まれた正史であり、貴族間で周知された事実である。

 その血を継ぐ者が何故今になって。

 ソウジの疑問に答えるタカナの口元には、口にするのも憚られる嫌悪の念が零れていた。


「それは簡単ですよ。

 金と権力を失って落ちぶれた馬鹿な男が、売女を適当に孕ませて穢れた血だけ残したんですよ。

 穢れた血に安銭で身体を売る女……そんなものをかけ合わせれば、当然生まれるのも畜生の子に等しい外道! 如何に人としての生を真摯に教える恩師がいたとしても、結局は魂が外道の生を肯定する!

 それが私なんですよ、タカナ・シ・オーという人格を持った畜生ですよ!」

「そうかよ」


 声を荒げるタカナに、どこまでも底冷えする声色で応じた佐刀は浅噛を構えて距離を詰める。

 身を捻って振るわれる刃がタカナの金槌に遮られ、鍔競り合う衝撃で周囲の植物が揺れた。佐刀としてもどうせ防がれると予想がついたのか、峰で応じる。


「お前の人生とかどうでもいいわ。さっさと死ね」

「ハハッ、話が早くて助かりますね。佐刀ォッ!」

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佐刀鞘の異世界剣遊記 幼縁会 @yo_en_kai

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