30話

 終戦記念の式典も今年になって二〇年。それを記念して例年よりも多大な予算を投入して行われた今回の題目コンセプトは『貴方の記憶に、平和は残っていますか』

 指し示すように、会場ごとに内容こそ異なれども参加者へ問いかける催しが行われている。

 骸銘館に於いても本来ならば、前大戦に所縁ある問題を出される予定であった。

 が、結果だけを述べれば今の帝都に平和は残っていない。


「オォラッ」

「ぎ、がッ……!」


 電雷の如く駆け抜ける佐刀の一閃に、外套の留め金が外れて右肩から血飛沫が上がる。


「チッ……コイツら、耐靱繊維かッ。結構高いんじゃないのかよ!」


 振り返りながらも、佐刀は足を止めずに向き直る。

 圧倒的多数に囲われた劣勢において、たった一人の敵に意識を傾ける余裕はない。一太刀を浴びせれば即座に近場の相手へ目標を定め、別の相手に刃を振るう。


「そしてなるべく近い内に再度目標を定めろ……だったな、ミコガミッ!」

「このッ……」


 再度目標を定めるは、外套を剥がされた同盟員。

 不意をつけた先程とは違い、何の因果か青龍刀を構えて待ち受ける。

 地に足をつけ、刀身を地面へ向け端からは無造作にも思える姿勢。研ぎ澄ました眼光は月明りすら雲越しに注がれる世界で不気味なまでにぎらつく。

 距離が近づくにつれ、加速する佐刀が刃の間合いに入り、短く吐息。


「フゥッ!」


 瞬間、中空へ刻まれるは刃の月光。

 しかして、骨肉を裂いた手ごたえはなし。

 即ち、敵は未だ健在。


「ッの、ラァッ!」

「まだ──!」


 身体を捻り、己が身を螺旋回転させた中で佐刀の一閃。敵も負けじと刃を素早く握り変えて再度振り下ろすも既に手遅れ。

 幾重にも刻まれた浅噛の刃が鮫の牙が如くに軌跡へ噛みつき、耐靱繊維の僅かな隙間を何度も蹂躙して傷を両腕へまで届ける。そして人体は日本刀に耐えられるように作られてはいない。

 結果、同盟員の両腕が弧を描き、青龍刀の切先ごと樹木へと突き刺さる。


「クッソ、……!」


 苦虫を噛み殺し、佐刀は樹木を盾に激しく姿勢を変えながら周囲に展開された同盟員を切り裂き続ける。

 骸銘館の裏手はヒツギの意向により、元来の森林地帯が維持されており、それをそのまま裏庭として敷地の一部としている。故に正門側と比較して警備の目は手薄になりがちであり、そこを憂国軍拡同盟は突いたのだ。

 鬱蒼と生い茂った緑の空間に大挙する同盟員の人数は、樹木に身を潜めた分も含めれば佐刀には想像もつかない。

 その上──


「まだだぁッ!!!」


 血走った眼差しで駆けるは二足無腕の怪物。

 雄叫びを上げる口の奥、舌の上に乗っている紙面型薬物が同盟員の身体能力を底上げし、極度に沸き立つ脳内麻薬が痛覚の類を遮断している。

 なれば、相手の動きを止めるのは絶命の刃かもしくはもう一つ。


「いいえ、もう終わりです」

「ッ!?」


 背後から突き放たれ、剣士の頬を掠めるのは切先のみを研ぎ澄まし、刀身を丸めた鈍刀。

 後ろを取りながらも心臓を穿ち損ねた無能と断じた剣士であったが、早合点だと気づいたのは稲妻に貫かれたかのように全身が痙攣を始めた時。

 ソウジは仕留めた獲物から視線を外すと素早く目を配り、闇に蠢く敵影を見定める。

 ここまでの交戦から敵は一様に灰の外套を纏い、鍔を持つ得物には車輪を象った意匠が伺えた。そして服にも外套にも、本来高価な耐靱繊維を使用して強度を底上げしている。

 相当な資金源を持つ存在が背後に控えているのは明らか、もしくは骸銘館にいる誰かが……


「今じゃない、今は犯人捜しをする場面じゃない」


 被りを振ると、ソウジは眼前に迫る敵へ刃の切先を向ける。


「ソウジ様ッ、応援に来ました!」

「窓から飛び降りるなど……無理をするんじゃないッ!」


 足音には同盟の人間だけではなく、二人に遅れて裏庭へ足を踏み入れる青龍隊や警備隊の隊員も混ざり始めた。

 元より連携の類を見せる素振りはなく、ぱらいそで強化された身体能力による力押しが目立っていたが、そこで数の優位を幾分か切り崩せれば趨勢はこちらへ傾く。

 加えて語れば、無明の型は元々狭所での使用を前提とした構え。闇雲に刀を振るい、樹木諸共に外敵を切り伏せんと迫る連中とは隔絶とした差が存在する。


「ハァッ!」


 気勢と共に烈波の刺突が降り注ぎ、同盟員の顔や手首、素肌を晒している部位へ掠り傷を刻む。

 切先に塗られた無色の毒は猫に引っかかれた程度の軽傷を致命傷へと昇華させ、ソウジの足元に苦悶の表情を浮かべる贄を量産する。

 ふと視線を走らせれば、戦場を縦横無尽に疾走して屍を量産する悪鬼──佐刀鞘。

 彼もソウジの眼光に気づいたのか、殺意に濡れた返事が送られる。

 即ち、白刃を後方へ流した突貫。

 応じるソウジもまた、刃を視線の高さに揃えて半身のまま突撃。


「ハッ……!」

「……!」


 喜と無。

 相反する二つの感情が対峙し、互いの距離は急速に縮まっていく。

 やがて両者の得物がそれぞれを捉え、柄を握る手に力が籠った。

 そして線と点が結ばれる。


「チッ、避けんなよ……!」

「ガッ、あ……!」

「貴方こそ」

「その程、ど……?」


 互いの背後から迫る刺客の首を裂き、その薄皮から毒を注ぐ。

 尤も、互いに穿つ目標は先行していた二人であり、本命を狙った一撃を避けられた結果、背後に控えたおまけへ直撃しただけの話。

 とはいえソウジも、渋々ながら佐刀も理解している。

 ついでにやる程度ならともかく、積極的に命を奪い合える程の余裕はない。



 佐刀とソウジが窓の外へ飛び降りた後、会場側は騒然としていた。

 青龍隊と護衛が突然窓を割ったかと思えば、随伴した少女達に敵の襲来を通達。飛び出してすぐ後から悲鳴と剣戟の音が鳴り渡ったのだ。


「な、何事だ?」

「敵? いったい誰が?」

「警備隊、いったいどういうことだ?」


 如何に貴族と言えども、愛刀が手元になければ抵抗のしようもない。

 幸いといえば、彼らの内誰かが恐怖に駆られて勝手に外へ出る愚挙を起こさなかったことであろう。

 各々が自己判断の元、散り散りに散開してしまえば武器を預けている受付を筆頭に混乱を招くことは明白。更に青龍隊や警備隊としても護衛対象に好き勝手されてしまえば、守り抜くことは困難を極める。

 数少なく迅速に行動へ移せていたのは、佐刀達から声をかけられていたフタバとミツバ。

 二人は率先して会場の入口へ駆け出し、ミツバは背中に携えた黒槍を手に掴み片手で回す。


「受付への道を確保しとかなきゃ!」

「フタバは大剣がないからな。ミツバに……!」


 混乱から立ち直れていない人々を掻き分け、二人は会場の入口へと到達。

 なおも勢いを緩めることなく、ミツバは扉へ黒槍を構えると一切の躊躇なく神速の突きを放つ。


「み、ミツバッ?!」

「どうせ敵は待機してる」

「が、何故……!」


 ミツバの言を証明するかの如く、扉の向こうから漏れるは短い悲鳴と困惑の声。


「ほらな」


 黒槍を引き抜き、穂先に滴る血潮と扉の向こうから感じた抵抗に納得の表情を浮かべ、ミツバは左足を持ち上げる。

 腰を捻るのは一瞬の溜め。

 金具を弾け飛ばさんばかりの勢いで蹴破り、強引に扉を開く。凄まじい抵抗と骨の砕ける生々しい音を合図に開かれた先では、剣閃が幾重にも煌めいていた。

 既に会場の一歩手前までが戦場と化し、階段には憂国軍拡同盟も警備隊も問わず多数の屍が転がっている。


「チィ、やはり受付の確保を最優先に上げるか……

 誰か、会場の守りを固めてッ。ミツバは受付を奪還するッ!」


 会場へ向けて叫ぶミツバに呼応して、何人かの警備隊が扉へ疾走した。

 そして彼女の視線を遮るように割り込むは、結婚礼装を彷彿とさせる衣服を纏う赤毛の少女。

 ソウジにかけられた嫌疑を晴らす好機を得たためか、やや場違いにも思える喜色を浮かべていた。だからなのか、ミツバは怪訝な表情で言葉を待つ。


「なんでもいいから二振り用意してッ。私も手伝うよ!」

「何でも、か。それは容易だが」


 扉の付近で気を失っている同盟員から刀を簒奪し、お望み通りに二振りを投げ渡す。

 宙に投げられた得物は細く、鋭斬なる刀身を携えた日本刀。無論のこと、慮外の力で振るえば硝子細工の如き繊細さで砕けてしまうこと間違いなし。


「慣れない武器でやれるのか?」


 武器を投げ渡した当人からの質問に赤毛の少女は暫しの間、目を閉じた。

 己が得物以外による戦闘をフタバは過去に経験している。

 神の悪戯というべきか、それとも運命の成す業か。

 彼女が疑われる切欠となった事件の現場、通信総合商社吉原支部技術局で。

 会場への扉が開いたと、対峙していた警備隊員を押し退けて迫る同盟員。血走り赤に染まった眼は無防備に右往左往している貴族たちを投影し、手に持つ斬馬刀にも彼らを写し取る。

 手早く穂先を向けるミツバ。を追い抜き、電光石火で迫る影が一つ。

 影は斬馬刀の前で身を屈めると腰に構えた刀を解き放ち、力づくで外套諸共に耐靱繊維へ十字傷を叩き込む。


「当然ッ!」


 力強く宣言するフタバの頬に、砕けた刀身と返り血が数滴飛び散った。



「おのれ、何故襲撃が露見しているッ!」


 裏庭の一角、多数ある樹木の内一つを背にして男は憤りを口にする。

 憂国軍拡同盟による終戦記念の式典襲撃作戦。

 それは日本四六貴族や類する資金力を持つ復興成金が集う骸銘館を最重要拠点とし、正門側と裏庭側で二手に別れ、計一〇〇〇人にも及ぶ同志を投入して決行された。同時に帝都中の主要祭典会場に襲撃をかけ、混乱を招くことで警備隊を翻弄。事前に全域で辻斬り事件を多発させることで疲弊した警備隊ごと貴族を叩く作戦は、現状成功の光明が闇に閉ざされている。

 当然のことながら作戦の詳細は特級機密であり、どの戦線に投入されるかは一定以上の地位を得て始めて通達する程の徹底した情報統制を行っており、下手人の誰かが口を漏らした、という話もない。

 だというのに、裏庭側の登ろうとした面々が相手の奇襲を受けるなど不自然極まる。


「我らの悲願を妨げる愚か者めがッ。富国強兵こそが正しき国家、自国の利益こそが全てに於いて優先されるというのにッ。

 それすら理解できないのか、戦後世代とやらがッ!」


 樹木を蹴る声色に尋常ならざる怒気を纏わせ、男の眼光が刀もかくやに研ぎ澄まされる。

 自身達にこそ正義があり、それを妨げる存在など絶対的な悪に他ならない。そう妄信し、確信を抱く傲慢極まる感性が、男に吐き出しても吐き出し足りない怒りを抱かせる。


「おのれぇッ!」


 大気を震わす咆哮が樹木を揺さぶり、葉を飛ばす。

 地を蹴り抜き、その場を跳躍。半瞬後に背後から振るわれる刃が、樹木諸共に男がいた地点を両断する。

 音を立てて崩れる樹木の奥には、浅葱に黒波を漂わせた羽織の所持者。


「青龍隊かッ……!」

「戦場から距離を置いた場所……貴様が指揮官かッ」


 男の言葉を首肯し、浅葱の羽織が担う大太刀を振り被る。大気を巻き込み舞い上がる塵芥が得物の強大さを物語るものの、如何なる大業物もその身に触れなければ鈍も同じ。

 腰から引き抜き右腕を突き出す独自の構えを取り、半身の姿勢で相手を睨む。


「百刀一閃流がオオエ・ヒムロ、押して参るッ」

「下郎に名乗る名などない!」


 浅葱の羽織が風に揺らぎ、オオエへ向けて突撃。

 変幻自在の太刀筋により、百の刃が如き軌跡を描く百刀一閃流。青龍隊で把握できた情報はその程度であり、具体的な行動指針は不明。

 なれば下手に様子見を仕掛けて時間を浪費するよりも、手早く仕留めて戦力を整える方が重要。

 頭数に劣る防衛側には、一人に対して時間をかける余裕はないのだから。

 故に振るうは大業物の射程にして、オオエの間合い外。


「間合いに勝るからなんだとッ!」

「何ッ?!」


 振り下ろされる一閃を横合いから刃を滑らせることで軌道を逸らし、そのまま距離を詰める。

 得物が大きければ大きい程、万が一懐へ入られた時に対処が出来なくなる。

 火花が舞い散る中、羽織の瞳が朧に揺れ動く。咄嗟に己が得物を手放して、左手に拳を作るものの、それでは間合いの優位が逆転する。


「無駄ァッ!」


 宙空に描かれる軌跡は数知れず。

 その全てが例外なく羽織を思う存分に蹂躙する。

 百の刀が如き所業を以って、服が飛び、肉が裂かれ、骨が砕ける。青龍隊用に拵えられた耐靱繊維も、無限に振るわれる刃には無力。

 刃の軌跡が赤に穢され、浅葱の羽織が崩れ落ちる。

 左腕に挟み、刀身にこびりついた血潮を拭うとオオエが骸銘館の方角を睥睨した。


「タカナシ……貴様の刃の切れ味、この俺が証明してやろう」


 ぱらいそによって強化された身体能力は疲労の概念を消し飛ばし、視覚は夜闇の中にあって相手の輪郭を正確に認識させる。

 故に前線へと赴けば、同胞を次々と屍に加える脅威を認識させた。

 戦場を駆け巡る一陣の嵐、騒乱の渦へとその身を投げ込み、オオエは空中から刃を振るう。己に迫る殺意に気づき、脅威もまた天へ一閃。


「あの時の餓鬼かッ!」

「あぁ……? あぁあぁあぁ、あの時の失礼な客かよッ!」


 煌めく白刃と黒刃を重ね合い、オオエと脅威──佐刀は互いを認識する。

 想起するはオウ工房での一幕。

 当時受付で会話していたコトリを邪険に扱い、仕事を取りつけていたタカナシと奥へと去っていった剣士の一人。

 空間が弾けてオオエが二本の足、佐刀は加えて左手の三本で轍を形成して衝撃を殺す。


「餓鬼に相応しき犬畜生が如き所作……否、刀を口に咥えぬだけ上等と褒めるべきか?」

「ぬかせよ雑魚が。人を騙すしか能がない分際で」


 相対し、口から悪態を吐き散らかしつつも互いを観察。腕の一つ、指の一本動かそうものなら即座に斬り伏せる意志で辺りを満ち足らせる。

 舌戦もまた得物が一つ。

 歴史を左右する戦に於いて、あらゆる些事が国の栄枯を切り分けるのだから。

 鼠色の雲と深緑生い茂る樹木という二重壁に遮られ、森の奥にまで月女神の加護は届かない。しかしてオオエの視覚は戦場たる地形のみならず、佐刀の姿をも正確に捉えている。


「馬子ならず畜生にも衣装、といった所か。夜会服など、柄ではなかろう」

「ハッ。耐靱繊維なんかで着飾る夜盗よりはマシだろう……」


 故に理解する。

 地に食い込んでいた指が一層沈み、手の甲に骨が浮かび上がったことを。


「なッ!」


 瞬間、爆発。

 地面が弾け、砂埃を背景に漆黒の剣士が前面へ突撃。

 大幅な緩急。加えて滑るかの如き低姿勢は通常であらば認識の暇すらなく、視線を不意に天井へと注いでしまうことで己が足を斬り落とされたことを理解する。

 ところが相手はぱらいそ、天国の名を関する薬物を摂取せし剣士。


「無駄ァッ!」

「チッ……気づくかよ!」


 地を抉り薙ぎ、首へと迫る刃に無理な姿勢から刀を重ねる。

 甲高い音が間近で鼓膜を揺さぶり、佐刀は歯を食い縛った。ふんばりを効かせるには前傾に過ぎる姿勢、その上肉体への負担を無視して振るわれる剛腕が彼の肉体を容易く吹き飛ばす。

 背に迫る樹木に対し、受け身を取る余地もない。


「がっ、ハッ……!」


 木と背骨の軋む音を聞き、肺から空気を吐き出す。

 見開いた目には攻め時とばかりに半身の姿勢で距離を詰めるオオエ。どこか既視感のある構えだが、外套が邪魔して確信を抱くには遠い。

 反動をつけて無理矢理身体を側面に転がし、刃が直撃する寸前で回避するものの、タカナシが打ったと思しき刀は障子紙のように容易く樹木を両断する。

 袈裟掛けに斬られた木が音を立てて崩れる中、土に汚れた佐刀が身を転がしてオオエの背後へ。

 左手で拳を形成し、思い切り殴りつける反動で体勢を強引に立て直す。


「ラァッ!」


 かけ声と共に風を斬る刃は、しかして素早く身を翻したオオエの刀に遮られる。


「なんだ、その軽い刃は」

「地に足もつけられなければ、なぁ!」


 打ち合った刀が弾け、佐刀は距離を取った。

 同時に樹木を背に駆け出す。

 当然の帰結として、聴覚も並外れて強化されているオオエには草木の擦れる音すら容易に認識されている。が、それも計算の内。

 同盟側と骸銘館側とでは人数が致命的に異なる。

 襲撃者である同盟側の数は未知、しかして骸銘館側には明確な上限が存在する。

 佐刀こそ把握していないものの、正規の参加者護衛運営警備隊青龍隊全てを数えて一二八名。そこから実戦に耐えうる人材を絞れば更に低下する。

 圧倒的多数を相手取っている状況下で、たった一人に手こずる訳にはいかない。


「逃げる気か、卑怯者ッ!」

「夜闇に紛れる正々堂々なんざ、始めて聞いたぜッ!」


 振り返って嘲笑の言葉を投げかけ、正面で警備隊と打ち合っている同盟員を捕捉。

 火事の不安を煽る程に激しく火花を散らし、巡るましく互いの立ち位置が変化する。

 当たり前ながら、彼らは佐刀の接近など露程にも認識しない。だからこそ、佐刀は手首を振るって柄を腕に沿える。

 都合よく、敵は佐刀に背を向けていた。


「あ──」

「ハッ!」


 浅噛の鋸染みた刃が首を薙ぎ、追い抜いたかと思えば肘で死体を打ち据えた。

 頭部という制御機関を失い、弧を描く屍が肘打ちを切欠に体勢を崩し、佐刀に追っていたオオエへ迫る。


「ッ……!」


 逡巡は一瞬。

 手首を捻って峰で腹部を叩き、仲間だった肉袋を払い除ける。

 不快な感触に吐き気が込み上げるものの、感慨に浸る余裕もない。

 死体に紛れて距離を詰めた佐刀の迎撃をしなければならないのだから。


「小癪な真似を──!」


 鞭の如くしなる右腕、そしてつられて軌跡を描く刀が佐刀へ死を運ぶ。

 袈裟に振るわれた得物を前に、対峙する佐刀は身体を右に倒す。

 身を捩り、肩口への刃が宙を切り、そして彼の天地が逆転。


「お」


 流転する視界の中、何かを発見して目を輝かせた佐刀が右の刀を天へ振るい、オオエの足ごと地面を抉る。

 斬撃への耐性を必要としない靴には耐靱製の素材が用いられていないという予想は正鵠を射、巻き上がる砂塵に鮮血とオオエから離れた足の甲が伺えた。


「な、に……!?」


 足の甲を喪失して重心が大きく狂い、オオエが背中から崩れる。

 一方着地した佐刀の関心は機動力を失った男ではなく、空中に舞い上がった砂塵に混じる一つの生物。

 やがてそれは自由落下を開始し、夜会服を纏った少年が口を広げて待ち構える。

 如何に先の運命を分かっていようとも、変えることが不可能であらば幸運とはなり得ない。


「ヂュウ゛ッ!!!」


 比較的柔らかい腹部を噛み千切られ、溝鼠だった肉片が地面に骸を晒す。

 咀嚼。そして肝心の腹部は喉を通じて胃へと送られる。


「うん、やっぱ下手に食い慣れない高級品よりもこっちの方が舌に合うな」


 口の端から僅かな血を滴らせ、味の感想を一つ。

 栄養補給を澄ませた佐刀が、改めて地面に転がっているオオエを見下ろした。体勢を崩した際の衝撃で刀を手放し、彼は今己が身を守る術を失っている。

 足を奪った佐刀へ注がれる眼差しには、今生遍くを呪い尽くさんばかりの憎悪。


「このッ、脆弱な物の見方しか出来ん分際で──!」


 オオエの言葉を遮ったのは開けられた大口を通じて脳幹を貫き、切先が身体をはみ出し刀であった。

 無論、お喋りな口を黙らせたのは正面から冷めた視線を注ぐ佐刀。浅噛の刀身が小太刀相応のため、多少距離を詰める必要が現れたものの、戦闘時の小回りと天秤にかければ後者を選ぶ。


「百刀一閃流だったか……同門がテロリストとは、あのおっさんも浮かばれねぇな」


 佐刀がこの世界に訪れて初めて決闘に応じた男の容姿を振り返り、浅噛を引き抜く。

 力なく倒れる屍の目が虚空を眺め、舌から離れた紙面薬物が風に煽られ宙を舞った。



「受付を奪還しろォ!」

「受付を死守せよッ!!!」


 一方、骸銘館内は大方の予想通りと述べるべきか、受付を巡る戦いへと推移していた。

 受付には参加者の預けた得物が格納されており、その解禁は現状の力関係への貴族の介入を意味する。

 日本四六貴族は殆んどが一族秘伝の剣術を継承し、そうでなくともフタバよろしく何らかの剣技を身に着けている。そして館での祭典には退役軍人も数多く参加中。

 人数比にして一〇対一だろうとも、彼らの力があれば容易に状況は激変する。

 誰もがそれを理解しているが故に、皆が命を賭して受付の攻防へと身を投じる。


「ハァッ!」


 身を捻り斬撃の嵐と化すフタバもまた、その一人。

 両手に持つは死した同盟から簒奪した形状の異なる刀が二振り。間合いも重量も、握る柄の感触すらも大きく異なるというのに彼女の動きに淀みはなく、既に幾度もの戦を共にしたのかと錯覚させる。

 血に塗れた一つは、刃を敢えて研がずに強度を限界まで増した真性の暴力──研無刀。

 対の一つは、車輪を模した鍔の先から氷柱を彷彿とさせる刀身を覗かせる殺意の具現。

 とはいえ、既に二桁に至る敵の血を足元の絨毯に吸わせたというのに、未だ無尽蔵に沸き立つ軍勢に全くの疲弊なしかと言えば、それは虚勢に他ならない。


「小娘がッ、我らが悲願の邪魔をォ!」


 眼前より迫る脅威へ右肩を上げてその場で回転。

 無理矢理つけた助走を乗せた左の刃で敵の防御ごと、両手で支えた刀ごと脅威を両断。

 耐靱繊維などという小細工も所詮は刃を滑らせることで成立している。ならば、掠めただけで人体に致命的な損傷を与える一撃には何の効力ももたらさない。同時に刀身が軋み、役目を終えた氷柱を投げ捨てると足元に転がっている刀を拾い、フタバは二刀流を維持する。


「沢山巻き込んどいてッ!」


 自分勝手な理屈を掲げて多くの人々に不幸と災厄をばら撒く所業に、フタバは義憤が心中より沸き立つ。

 そして自身が致命的な過ちを犯してしまったのではないかという疑念を振り払うため、彼女はより前のめりに戦場へ傾倒。


「私が切り開くッ。皆は後に続いて!」

「フタバ、あまり先走るなッ」

「大丈夫ッ!!!」


 ミツバの静止を振り払い、双剣使いの少女が近場の手摺りへ飛び乗る。

 見渡せる階下の様子は、やはり戦場。

 絨毯の色か流れる血なのかの区別がつかない程に赤く染まり、左右に首を振った所で浅葱の羽織と灰の外套が刃を重ねている。

 より押しているのは左の階段側か。

 フタバはそう判断し、左へ跳躍。射られた矢の如く向かう先は、左側に位置する階段の登り口。

 風を切る音に敵が視界を合わせ、フタバと視線を交差させるも時既に遅し。


「これでェッ!」


 身を捩り放たれた刃が大気を巻き込み炸裂。

 けたたましい轟音と共に羽織られていたはずの外套が風に揺れ、辺りに衝撃が伝播する。

 全身に走った衝撃にも構わず、フタバは素早く視線を階段へ移すと間髪入れずに駆け出した。未だ背後からの衝撃が動揺の段階で収まっている内が勝負。

 舞うように全身を回し、振り返って迎撃態勢を整えられる前よりも早く背中を切り捨てる。長大な得物は、質量も相まって繊維の特殊性を容易く貫通せしめた。


「まだまだァッ!」

「遅いわ!」

「ッ……!」


 下から掬い上げる一閃が右手に握る大剣を弾き、不意の衝撃で空中へと投げ出させる。

 眼前に立つは長身痩躯にして軍帽を被る男。逆手に持つ軍刀へ反射するフタバの動揺が、男に攻勢であると確信を抱かせた。

 男の振るう軌跡はフタバのそれとは異なり、階段という狭所に適応した上下の斬撃を主としたもの。

 左に握る刀で迫る致死を逸らすものの、見慣れない軌道に純白とは言い難い赤に染まった繋ぎ服へ徐々に擦過傷が蓄積する。


「クッ、このッ……ぁ!」

「慣れない得物に警備隊とは異なる衣装……咄嗟に割り込んだ貴族か」


 軍刀に薄く血が付着していく中、男がフタバの分析を進める。


「選んで殺すのが、そんなに上等か?」

「ッ……何、を」


 鎌かけ程度の質問であったが、予想以上に動揺したのか、フタバの声が僅かに震えた。

 好機と頬を吊り上げ、男は舌勢を強める。


「彼は善人だから斬らない。彼は悪人だから斬る。必要だから。不要だから。効率。非効率。

 諸共下らん、所詮刀は殺人の道具。所詮軍人は国の道具。

 道具が思考するな。ただ主の命に従い、主のために汚れ、主のために死ね」

「そんな……ことォッ!」


 鍔競り合う男の主張を振り払うように、フタバは左腕に力を籠める。

 しかして彼女の剣術に於ける売りの一つであった膂力は勢いを無残にも殺害され、ただ女身一つで抵抗せざるを得ない。


「敗戦したならば次に為すは新たな戦争への準備。その責務を放棄する幕府など不要どころか即刻排除すべき癌細胞。

 国家を形成する最高権力の座を今すぐにでも我らに譲れ」

「自分勝手な理屈でぇ!」

「貴様もそうだろッ、貴族!!!」

「ッ?!」


 烈波の気迫が間近で炸裂し、フタバの躯体が無意識に仰け反る。


「警備隊も、青龍隊もッ、お前達だって人を多数殺めているッ。それは己が意志ではないのかッ。誰かに命じられて振るった刃かッ!

 当然、答えは否であろうなッ!」

「さっきと言ってることが違うじゃんッ、薬物でおかしくなってるんじゃないッ?!」

「黙れェッ!」


 逆手にかかる力が最大限に高まり、克明に浮かび上がった血管の幾つかが加圧に耐え切れずに出血。自らの肉体が損傷している事実にも気づかずなおも自傷を進める敵に、フタバの刃が自らの衣服を掠める。

 後一寸に満たぬ追い打ちで皮膚を裂く──


「ッ……!」


 男の肉体が不自然に痙攣し、フタバの脇を転がり落ちる。

 下る階段に血を撒き散らし、一瞬視線があった瞳からは生気が消失していた。

 振り返るフタバの眼前に立っていたのは、突き出した黒槍の先端を朱に染めたミツバ。その表情は、嘆息と安堵が綯い交ぜとなったもの。


「先走るな、とミツバは言ったぞ」

「あ、うん……ごめんなさい」

「そしてさっきの言葉は気にするな。あの薬は極度の興奮状態を誘発すると確認されている。

 ただの単語の羅列だ、意味はないぞ」


 言葉を投げられたフタバは意気消沈とし、視線が足元へと注がれていた。

 軍帽の男の言葉が彼女に何らかの影響を与えたのは明白。

 ミツバの言葉はただの気休めかもしれない。男の言葉は一貫性がなく紡がれただけで、本心を無秩序に紡いだだけの可能性もある。

 しかして、何気なく口走ったものが心に致命傷を残すことも多々ある。


「……とはいえ、フタバのお陰で受付への道が開かれた。一度会場で休むか?」


 故に休憩を促し、休むことを提案する。


「大丈夫……人手が多い方がいいし、動いていれば余計なことを考えなくて済むし!」

「あ、おいッ!」


 ミツバの静止も無視し、フタバが階段を駆け降りる。

 冷静な思考を手放したい。そう暗に仄めかすように。

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